第4話
大家には二人して丁寧に断りに行った。ひどく残念そうだったのは、もしかして二人が嫁に行けば店賃を代わりに払ってくれる相手だったのだろうか。
しかし、大家も鬼ではなかった。未払いの店賃はもう少し待ってくれるとのことだ。
「もし気が変わったらいつでも言いなさい」
「はい、ありがとうございます」
二人は大家のところを出て部屋に戻る。緊張が解けてじゅんは足を投げ出して座った。
「あーあ、大家さんがっかりしてたわね」
「そうねぇ、大家さんなりにいいお話だと思っていたのでしょうね」
「小さい頃から可愛がってもらっているから、心配してくれたのはわかっているけど」
それでも、もうしばらくは姉妹二人でやっていくと決めたのだ。
じゅんはようやく投げ出していた脚を畳んでりんと向き合った。
「ねえ、小鉢に入れないといけないお菜ばっかりだと、その場ですぐに食べるか自分で持ってくるかのどっちかじゃないと買えないじゃない? ちょっと包んだりすれば持って帰れるものから始めたらどうかしら? ええと、そうね、甘味ならお饅頭はどう? 姉さんの炊く餡は美味しいから、すぐに評判になると思うの」
煮売屋は、大きな鉢に煮物などを盛ってあって、それを小分けにして売る。場所によってはそういう売り方もいいが、何も決まっていない今は手軽に買えるようなものにしたかった。
必ずこうしなければならないという決まりはない。思いつきを大事にしてもいいのではないか。
「お饅頭ね。わかったわ。後は田楽なんてどうかしら? 春だし、木の芽を練り込んだ味噌を豆腐に塗って焼くの」
「うん、田楽は美味しいわよね」
「最初だから品数を増やしすぎるのはやめましょう。様子を見て、こういうものが売れそうだって思えたらその時に考えたらいいわ」
りんと話しているとわくわくする。これから新しいことが始まるのだという気配がする。雪解けの地面から、新芽が芽吹くような嬉しさだった。
悲しいことの後だからか余計に、自分たちの気持ちを盛り上げる何かが欲しかったのかもしれない。
「そうと決まったら、明日から材料を集めなくちゃ」
じゅんは勢いよく畳に手を突き、起き上がる。そんなじゅんを見上げながらりんはゆっくりと身を起こした。
「そうね、小豆を買って炊いておきたいわ。豆腐は朝しか買えないけど、たくさんいるから前もってお豆腐屋さんにお願いしておかなくちゃね」
「お味噌も竹串も、粉もお砂糖もいるわ」
「そんなにたくさん持てるかしら」
「屋台があるから平気よ。それに、あたしは力持ちなんだから」
と、じゅんは腕まくりをして日に焼けていない二の腕を見せて笑う。りんはくすくすと声を立てた。
「そうね。頼もしい限りだわ。明日は一緒に買い物に行きましょう」
「うんっ」
その日は二人で身を寄せ合って眠り、翌朝に買い出しに向かった。
たくさんの小豆や砂糖、それから豆腐も頼んでおく。
「こんなにたくさん、何に使うんだい?」
豆腐屋の主――背は低いががっちりと太い体格をした
「あのね、実は――」
と、商売を始めることを告げた。
すると、竹七は難しい顔をしながら顎を摩る。豆腐屋は朝が早く、昼下がりの今になっては落ち着いたものだった。中から赤ん坊をあやす女房の声がする。
「そうかぁ。四文屋なぁ。上手くいくといいんだが――」
「あ、竹七さんまで、この姉妹はあの商才のない富吉の娘なんだから心配だって思ったでしょう」
じゅんが言うと、竹七は軽く首を振った。
「いや、そんなこたぁねぇが、商売は大変だからよ」
そんなことをしなくとも、年頃の娘が二人なのだから、嫁に行ったらいいと大家と同じようなことを思ったのかもしれない。
多分りんもそれを感じただろうけれど、穏やかに微笑んでみせる。
「ええ、商売をされている竹七さんは、大変さを身に沁みてご存じですから、私たちが遊び半分でできることではないとお思いになるのも無理はありません。私たちなりに努力してみますが、時々ご相談に乗って頂けたら助かります」
「うん、そいつは構わねぇが。上手くいくといいな」
いつも長屋まで豆腐を運んできてくれるから、りんとじゅんのことも小さい頃から知っている。それ故に心配してくれるのだろう。
「ありがとう。竹七さんもぜひ買いに来てね。お客様にどこの豆腐だって訊かれたら、ちゃんと『竹まつ屋』のだって答えるからね」
ちなみに、『竹』は言うまでもなく竹七の竹であり、『まつ』は女房の名である。夫婦になってから始めて十五年。今も昔も美味しい豆腐を作り続けてくれている。
その後、乾物屋に行ったり、あちこち歩き回って買いつけた。掛け取りではなく、即金で支払う。
どこへ行っても、この姉妹は何をしようとしているのだろうという好奇の目だった。その都度、こういう事情だと話すと、皆が面白がって買いに行くと言ってくれた。本当に来てくれるといいが。
家に帰ると、りんと話し合う。
「ねえ、売る場所はどこがいいかしら?」
「屋台なら広小路によく出ているわよね」
橋の袂の広小路は火避け地であり、建物を建てることが禁じられた場所である。建物は建てられないが、朝のうちには青物市などが行われている。床見世や屋台といった身軽に片づけて動ける商いには丁度良い開けた場所なのだ。
土手の方も考えたが、あちらはこの時季すでにいっぱいで、新参者が入り込める余地がない。花見がてら土手を歩く客を狙っているのだ。
浅草広小路の方は、吾妻橋の手前で、そのすぐそばには浅草寺がある。ここも人通りは多い方だ。土手ほどではないにしろ、他の屋台見世もある。商売敵もそれなりに多いが、そこは腕の見せ所だろう。
「そうね、広小路にしましょう」
今まで商売をしてきた人の邪魔にならないよう、隅っこでいい。小さな屋台でひっそりと商いをさせてもらえたらそれだけでいいのだ。
りんとじゅんはああでもない、こうでもない、と話し合い、浅草広小路の下見に行き、着実に見世を始める段取りを整えていった。
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