第3話
台車と庇のついた屋台を引いてやってきたのは、父の知人である
「おりんちゃん、おじゅんちゃん、富きっつぁんのことは残念だったなぁ」
「亀八さん――」
りんもじゅんも深々と頭を下げた。亀八の住まいは本所の方なのだ。訃報を聞いて駆けつけてくれたらしい。
そう思ったが、そればかりではなかった。
「実はこの屋台、富吉さんが買ったもんなんだ」
「え?」
「担ぎじゃなくて、大八車みてぇに動かせる屋台を作ってくれなんて、また面白ぇこと言い出してよ。用意ができたら持っていくって話になってて、やっとできたのに当の富きっつぁんがいねぇなんてな。一度もこいつを引くことなく、可愛い娘を二人も残して逝っちまいやがって」
亀吉が鼻を啜る音がもの悲しく響く。りんはそんな亀八に声をかけた。
「それで持ってきて頂いたんですね。ありがとうございます」
「うん、そうなんだが、富きっつぁんがいねぇんじゃ、この屋台も使い道がねぇだろ? 俺が金を返してもらってきてやろうか?」
この時、じゅんはその屋台をじっくりと見た。小さな屋台だが、真新しく、小さいだけで可愛らしくも感じる。庇に朱が入っているのが特に目を引いた。
りんも同じようにして屋台を眺める。
「うちのおとっつぁんはこの屋台で何を始める気だったんでしょうねぇ?」
屋台なのだから、これを使って何かを売ろうとしていたのだ。商う品は何にするつもりだったのだろう。
すると、亀八はああ、と零した。
「富きっつぁんは四文屋を始めるんだって言ってたな」
「四文屋――」
じゅんとりんは声をそろえたようにして口を開いていた。そう言われてみると、そんなことを言っていたかもしれない。それどころではなくて忘れていた。
四文屋というのは、その名の通り、並ぶ品々のどれもがひとつ四文で贖える見世のことだ。主に食べ物が多い。四文と安価なこともあり、ちょっとしたつまみ食いや酒肴、夕餉の菜には最適だ。
この他には三十六文屋などもある。額が決まっていると買いやすいものなのか、こうした見世が巷で流行ってはいるのだ。富吉が三十六文屋ではなく四文屋にしたのは、元手が乏しいからではないかという気がした。
「しもんや――」
りんがうわ言のようにして繰り返す。じゅんはそれだけでりんが考えていることがわかったのだ。
りんは父に代わって四文屋を始めようかと考えたのではないだろうか。売り物も器用なりんなら作れる。りんが作った品物をこの屋台を使って売れば、実入りは少なくとも贅沢をしなければ生きていけるかもしれない。
じゅんは亀八に向かって言った。
「おじさん、この屋台はこのまま受け取るわね」
「え? ああ、まあいいんだけどよ。なんか困ったことがあったら言いな」
「うん、助かるわ。ありがとう」
じゅんはにこにこと笑顔で言う。亀八は狐につままれたような気はしたのかもしれないが、二人を心配しつつも去っていった。
りんとじゅんはこの時、口には出さずとも互いに覚悟を決めたのだ。
「姉さん、四文で売れるものって何かしら? 姉さんは何が売れると思う?」
真新しい屋台の滑らかな板を撫でながらじゅんが問う。りんは、微笑みながら答えた。
「そうねぇ、ご飯に合うお菜でしょうね。女子供なら甘味、男の人なら酒の肴かしら」
「姉さん、作ってくれる? あたしが売りに行くわ」
じゅんは声が大きい。それは女子として褒められたことかどうかはわからないが、呼び込みの声は遠くまで聞こえるはずだ。
りんが作り、じゅんが売りさばく。これでよさそうに思われる。
しかし、りんは不安げだった。
「慣れるまでは二人で作って二人で売りに行きましょう? 何があるかわからないから」
じゅんが変な客に絡まれるとでも思っているのか、りんはそんなことを言った。じゅんは絡まれたとしてもやり過ごせるつもりなのだが。
しかし、りんが心配するのなら、慣れるまではそれでもいいかと考え直した。
「わかったわ。じゃあ、まずは何を作るか考えなくっちゃ」
じゅんはこの時、笑っていた。
悲しかった数日を越え、初めて声を出して笑った。やるべきことが動き出し、打ち込むものを見つけたからこそである。
今は不安よりも期待が大きい。それはりんがいるからだ。二人で始めるのなら、怖いものはない。二人で力を合わせて乗り越えていくだけだ。
「じゃあ、大家さんにはあのお話を断らなくちゃね」
大家はきっと――いいや、誰もが、素人の娘が二人で商売を始めるなんてできっこないと止めるだろう。素直に嫁に行けと。
けれど、できるかできないかは今後決まることで、最初から決めつけてほしくはない。
りんと二人、姉妹で手を取り合っていきたいとじゅんは思う。
「うん。あ、でも、徳次さんだったら――」
「もうっ。その話はいいからっ」
徳次の名を出すとすぐに赤くなるりんとのやり取りが、じゅんには楽しいだけなのだ。本音は、相手が徳次であってもりんを盗られたくない。
まだまだ、じゅんだけの姉さんであってほしいのだ。
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