第4話 ー正しい道化の姿ー


 荒船と淵上の三人で職員室の前で話をしたのがもう二週間も前になる。

 私は私らしくない行動をしていた。

 問題児筆頭である荒船に一時の感情で協力をし、彼女の友人を淵上の支配下から解放しようと試みていた。

 だが、試みるだけで終わっていた。

 荒船の友人達と私達はまともに接触出来ずにいた。

 何度接触を試みても、この二週間正面に立つことすら出来ていない。

 淵上の天才的な采配によって私達の動きは完全に把握されていた。

 もしかしたら淵上の手の上で踊らされているだけなのかもしれない。

 私達が抱いている感情ですら彼にコントロールされているのかもしれない。

 あまりにも完璧で完全な相手に日々自信を失う。

 私だけでなく荒船もだ。

 日に日に疲れた表情をみせる荒船。

 彼女の表情を見る度、私も似たような顔をしているのだろうなと思う。


 私はこの二週間で悟ってしまった。

 私では淵上をどうすることも出来ない。

 私では淵上の支配下に置かれた人間をどうにかすることも出来ない。


 白旗宣言をしよう。

 元々性格じゃなった。

 たかが一生徒に頼りにされた程度で舞い上がってしまっていたのだろう。

 自分を主人公だと錯覚してしまったのだろう。

 私は哀れだ。

 淵上はどこかで無力な私を見て酒の肴にでもしているのだろう。

 そもそも努力をしたって努力は実らない。

 私と荒船は頑張った。努力をした。

 無い頭を捻って愚策を生み出し実行した。

 それが実らなかった。

 どこにでもある話じゃないか。

 何故気付かなかった? 違う。何故こうも気付くのに時間がかかった?

 私にも人としての、教師としての矜持がまだ残っていたのかもしれない。

 だがもう終わりだ。

 私の矜持は最初から崩壊している。

 無かったものを有ったかのように見せかけていただけだ。

 私と同じように。死んでいるのに生きているように見せかけていただけだ。


 淵上は何をする訳でもなく私の対面のデスクに座っている。

 職員室で声を荒げる程、お互い子供じゃない。

 私は二週間振りに淵上と会話をしようと……口を開いた瞬間。音を出す寸前に淵上が急に語り出した。


「もし現状を題材に物語でも書こうものなら僕は悪役になるんでしょうね。主人公である少数派が不利な立場に陥れられ逆境に抗う。鉄板と呼ばれるような書き尽くされたストーリーになる」


 何を言ってるんだ。全く意味がわからない。


「……私は嫌いじゃない。寧ろ好」

「そう! そうなんですよ! それなんですよ! 大衆に好まれるんですよ! この手の話は! だから書き尽くされた現代でもまだ書かれ続ける。並木先生が一番嫌悪感を抱くタイプでしょう? なのに貴方は今その主人公と同じ行動を取ろうとしてるんじゃないですか?」


 食い気味に取ってかかってくるが、淵上にしては珍しく的外れなことを言っている。

 真逆だ。

 私は今その主人公と真逆の行動を取ろうとしている。

 少数派が諦めて屈する駄作のストーリーを完結させようとしている。


「それは違う。私とて教師の立場として色々考えた。荒船を一人にさせてしまうのが一番の罪だと思った。荒船を淵上の支配下に置いてやってほしい。荒船の求める形とは違うかもしれないが、仲間と同じ境遇に並び立つという彼女の願いは叶う。それに何よりそれが一番の平和的解決になる。これ以上お互い睨みを効かせ合う必要もない。私と荒船と淵上の関係も終わりだ。私は今まで通り一人でいい。無闇矢鱈に干渉しない数ヶ月前の私のままでいい」

「ふーん。切り捨てるんだ。私を。教師の風上にも置けないね。私は並木先生に助けを求めたのに……」


 職員室で話をしていたのに、何故が後ろから荒船の声がする。

 まるで金縛りにあったかのように振り返れない。

 自分のしている行動の後めたさが尾を引いて身体を動かせない。

 私はみっともなく自分を正当化する言葉だけを紡ぐ。


「私は君を助けると思って言ってるんだ。この選択が将来君に必ず幸福を齎す」


 本当に? 本当にそうなのか?

 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。


「本当に? そう言い切れる? 荒船莉奈という一人の人間性を持つ生徒を見捨ててまでそう言い切れる?」


 荒船の声は落ち着いていた。

 詰めるでもなく、諭すでも諦めるでもなく、ただ淡々としていた。

 声だけで相手の顔を見なくていい分、気が楽だ。


「私はね、この十年近くで君のような生徒を何人も見て来た。対して努力もしていないのに世間に絶望し、後戻り出来ない道を自ら進む。そういう生徒達は子供のうちでも大人になってからでも悪い大人に利用される。大人になろう、荒船。社会で最も必要な能力は同調だ」


 パン!!!


 乾いた合掌が正面から聞こえる。

 淵上綾人。

 茶々を入れる訳でもなく無言のまま私の前から立ち上がり、後ろにいるであろう荒船の元へゆっくり歩く。

 その間も私は身動きが取れなかった。

 口以外の全ての自由を奪われてしまったような感覚。


「だ、そうだよ、荒船莉奈。良かったよ、並木先生。貴方の言う同調は敗北と同じ。貴方は結局何も変わらなかった。何も変えられなかった。変えようとする弱い意志だけでは何も変わらない。貴方はその事実を知った。身を持って体験した。これで僕の仕事は終わりました」


 私は淵上が何を言ってるかさっぱりわからなかった。

 わかっているつもりになっていても言葉が頭に入ってこない不思議な感覚に陥っていた。


「私は……それでも」

「ダメですよ。敗者が言い訳するのは御法度です。あぁ、そうだ、最後にネタバレでもしてあげましょうかね。この三ヶ月で並木先生が感じていた違和感は違和感なだけでしたよ。私は誰も支配なんてしていない。誰も私を崇拝などしていない。ただ、荒船莉奈女生徒が役者だっただけですよ」


 荒船が役者?

 淵上よって最初から仕込まれていたのだろうか。

 何故? 何の為に? 理由が全く見えてこない。


「並木先生。これが物語なら貴方には名前すらないと思いますよ。道化のモブに視聴者のリソースを割いてもらうのは勿体無いですから」


 淵上は恐らく職員室を後にしただろう。

 足音が二つ連なっていたから荒船もいないだろう。


 感情と思考がぐちゃぐちゃになっている。

 衝撃と事実を受け入れられない。

 淵上の言葉の真意がわからない。

 荒船の行動の真意がわからない。

 並木の先生としての正解がわからない。

 私がこの後取るべき行動がわからない。

 私は正しい行動をした。

 私の中で私が揺るがない最も私らしい行動をした。

 狂気でも何でもない正しい行動だった。

 荒船のことを重んじるなら一番正しい行動だった。

 例え荒船と淵上が繋がっていようと私は正しかった。

 道化であっても正しい道化だ。

 人の道を外していない、最も人の道を歩かせようとした行動。

 荒船といた時間に間違いを起こしたこともない。

 私は正しい教師としての行動をした。

 私だけが正しかった。

 淵上も荒船も今頃私を褒め称えているだろう。

 そうだ。

 私は正しい。

 正当化ではない。

 この三ヶ月、私だけが確かに正気で、私だけが正しかったのだ。

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