25. 綾瀬の生い立ちは呪われている

「でも、今も綾瀬さんに憑いてるやつは、物件とは関係ないよ」


 そこには自信を込めるつもりで風馬が断言すると、寺本が「えガチ?」とすかさず反応した。


「すげいつわかったの?」

「今さっき、これ見て」


 風馬は体育座りを崩し、斜め前にある箱へ手を伸ばした。

 早く先を聞きたそうな寺本と、ぽかんとしているトムも、座卓かスツールのような箱を目で追う。


「あれは綾瀬さんの親戚とか先祖とか…わかんないけど本人と縁がある霊かなって」

「なんで?どっか似てた?」


 風馬は首を横に振り、答えた。

 綾瀬に今も憑いているやつは、人の形をしていなかった。焦げた枝木か細長い昆虫のような姿だった。


「これ、綾瀬さんが描いたんだよね?」


 風馬は尋ね、箱の表面を撫でた。黒い油性ペンで描き込まれた幾何学模様は、近くで見れば、抽象的な木か六本足の虫みたいな図柄を連ねたデザインだ。

 トムは話しかけられる準備ができていなかったのか、「ぉん」と噛んだような返事をした。


「そう思うよ。ヒマなとき落書きしてるよ授業中とか」

「この絵好きなの?」

「んーその絵っていうか、そういうテイストが好きなのかな。色んなパターン描いてるよ。パターンにするモチーフをスケッチしたり」

「へぇぇスケッチもするんだね。人の絵も描く?」

「あーー人は見たことないかもなー。だいたい自然ぽいものなんだよ。天気とか植物とか、鳥や虫や魚とかさ」

「いいなぁ。自然好きなんだ」

「新宿しか住んだことないらしくて、自然かっこよく見えるんだって」


 ハハと親しみたっぷりにトムは笑って、風馬はつられて上がりかけた口角をぐっと下げた。

 トムは綾瀬の友達なのだ。

 今更のように、彼の笑い顔が硬い盾に見えた。


「…おれ、綾瀬さんのこと何も知らないくせに憑かれてるとか淀んでるとか…変なことばっかり言ってごめんね」


 ぱちっとまばたきしたトムは「Ummmm」とカートゥーンぽく大袈裟に首を捻った。


「世界の見え方は人それぞれだし、悪口じゃないなら謝ることないんじゃないか?それにアンラッキーを幽霊に置き換えたら、オレもちょっとロクは呪われてると思うよ」


 ハハハと笑うトムに風馬は礼を言おうとして、でもこのタイミングで言うのは綾瀬に悪い気がして呑み込んだ。あとでちゃんと言えばいいのだ。

 今は語る番を回し、トムと綾瀬の馴れ初めなど聞いてみる。


 トムはアメリカ人と日本人のハーフで、去年の秋に両親都合でカリフォルニアから東京へ移り住んだ。

 家庭が仮面舞踏会なので窮屈らしい彼は、学校くらいは羽を伸ばせる所にしようと、適当に探した楽園まんじハイスクールを選んだ。ネット情報によれば、生徒たちが活発にタイムリープや全面戦争を繰り広げていて面白そうだった。

 が、入校してみたらなんか違った。

 イメージに最も近いクラスメイトは、髪が黄緑色で耳がピアスだらけでたいていジャージを着ていて、Tシャツを脱げばタトゥーまみれの綾瀬だった。

 噂によれば、留置場に住んでいたせいで学年をタイムリープした先輩らしい。ますますイメージに近い。

 が、てっきり武闘派勢力の幹部かと思えば、綾瀬は物静かで大人しいサボり魔だった。教室ではほとんど寝ているか落書きしている。周りと喋らないから名前がわからないようで、たびたび話しかけてくるクラスメイトのことはトムと呼んだ。

 彼の名前はトムではないし、学校では日本名を使っているので、なぜトム呼びなのか彼は尋ねた。トムっぽいからだと綾瀬は答えた。本名よりしっくり来ることに彼は驚いた。

 そんなこんなで彼は通称トムになり、トムのマイメンは綾瀬になった。

 綾瀬はあまり喋らないが聞き上手だし、多趣味で活動範囲が広いし、地元の児童養護施設や移民第二世代のコミュニティとも繫がっていて、知人友人が大勢いる。

 彼らからトムが耳にした話を掻き集めて繋ぎ合わせると、綾瀬の生い立ちは呪われている。

 小さい頃、放火または心中による火事で家族を亡くし、引き取り先の養親からは虐待され、自立しようと金を稼げば搾取され、なんとか一人暮らしを始められたのが去年の夏。だが。

 聞くところによると、今年の春まで綾瀬には別のマイメンがいた。呼び名はニーナ。

 ニーナは学生会館に暮らすリトルゴジラで、多動で無邪気で享楽主義で、まとまった金が要るトラブルを起こした。しかし貯金などない。親の仕送りはすぐに使い切るしバイトは受からないし、友達全員には既に借金しまくりだしで犯罪をした。手伝った綾瀬も逮捕された。去年の冬のことだ。

 綾瀬は無期限停学になり、バイトに明け暮れる。

 退学処分になったニーナは、故郷の両親から帰ってくるなと言われたそうで、仕送りもなく綾瀬んちに住み着いた。騒音を発端に3か月後には隣人と衝突、物件の通路で殴り殴られ、逃げ込んだ部屋のドアを狂ったようにボコされた。

 警察は来なかったが隣人は失踪し、後日大家に事態が発覚し、ドアの修理代が必要になった。

 綾瀬は家賃さえ滞納していた。ニーナを養うのがきつい。高校を留年して停学が解除され、もうすぐ新年度が始まるからバイトばかりもしていられない。

 口喧嘩して、ニーナは部屋を飛び出した。空っぽの財布もスマホも着替えも置きっぱなしで失踪した。それから4か月が過ぎた現在。

 家賃を滞納しがちで退去勧告されているし、引っ越し先も見つかったから、今月いっぱいで綾瀬は事故物件を出るそうだ。


「こえーよもう人生の治安がひどい。しんどい事案が相次ぎすぎ」


 いつの間にかリュックから出した水筒を立て膝の間に挟み、寺本がすっぱい声を出す。

 寺本のメントスを齧るトムは鼻から嘆息した。


「日本て意外に安全じゃないよなぁ。平和だから楽園高校がエンタメになるんだと思ってたオレ間違ってたよ」

「いやその認識は間違ってないって。血祭学園はフィクションだから。日本の治安はまあまあで、綾瀬さんはガチャ運最悪」

「ロクいいヤツなのにな……テキトーに省きながら話したけどさ、18年間で何回か死にそうな目に遭ってるんだよ。正直よく生き延びてるなって思うよ」

「やっぱ呪われてるよね?」


 二人から目を向けられた風馬は「うーん」と唸り、傍らに置いたままの箱を撫でた。自分の見解を話したいが、説明するのが難しい。

 頭の中で言葉を練っていたら、寺本に追い越された。


「綾瀬さんに触っていい?」


 他意の欠片もないような、まっすぐな視線に脳を刺されて口をこじ開けられる。


「この部屋、すごくきれいだよね」

「ふぁ?」

「もうすぐ引っ越すから片づけたのもあると思うけど、普段から掃除してる感じする」

「ロクの趣味の一つ掃除だからな」

「へぇえ」「マジか」


 風馬と寺本の驚嘆が被り、横目を合わせた寺本が仕草で風馬に先を促した。


「えっと、悪霊に憑かれてる時って、掃除ができなくなることが結構あって。もちろんそうじゃないやつもいるんだけど、おれが綾瀬さんからもらったのは、できなくなる系のやつだった。ぼーっとして周りが見えなくなって、だんだん何もわかんなくなって、ここ汚部屋になってたはずなんだけど。でも綾瀬さんきれいにしてるし、ひどいことが続いても潰れないで、引っ越し先も探せてるよね」

「憑依耐性が高い的な話?」

「本人が生まれつき頑丈なのかもしれないし、今も憑いてるやつが元気づけてるのかもしれないし。とりあえずおれから見て、あの霊は綾瀬さんの力を奪うものじゃないと思う」

「けど守護霊でも疫病神みたいに言ってたじゃん?そいつがクソガチャの原因じゃないの?」

「うまく言えないけど……ガチャに思える出来事が本人のカルマみたいな可能性もあるから。カルマってえっと、」

「業でしょ?きみこの前の投稿でちょこっと紹介してたよね。業ってなんかダークなイメージがあるけど、本来の意味には良いも悪いもなくて、言っちゃえばクセと一緒だよって」

「あ…」


 そうだった。共同垢になるべく毎日あげているオカルト小ネタ集というか独り言の中で、カルマについて少し触れたことがある。

ちゃんと読んでくれてるんだ―――風馬は感動し、喜色に染まりゆく単純脳をがんばって引き止めた。




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