第5話 狙われた少女
家に戻るとシリカがもう夕食を準備していた。こげ茶色のテーブルの上には焼き魚やビーフシチュー、サラダなど様々な料理が並んでいる。一般市民ではなかなか手を出せない肉や魚が並んでいたことからユーマはシリカの優しさを感じていた。シリカの料理はどれも素材の味を丁寧に引き出していてユーマにとってホッとする味だった。一緒に暮らし始めて5年になるがユーマはシリカの料理が大好きであった。
夕食後、食事を済ませたユーマにシリカが嬉しそうに声をかけてきた。
「ねえ、ユーマ、明日ちょっと時間あるかな。」
「どうした? 別に空いてるけど」
「やった。ちょっと私に付き合ってくれない。新しい畑を買ったからさ。さっそく行ってみたくて」
「そういうことか。良いよ。何時に行く?」
シリカが菜園を持っていることはユーマも以前より知っていた。今日の夕食で出たビーフシチューに入っていた人参もジャガイモもブロッコリーも全てシリカが作ったものだった。明日は特に予定も決めていなかったため快く引き受けた。
「気温が高くなる前の8時ぐらいでどうかな」
「わかった」
満腹になったお腹を押さえながらユーマはゆっくりと二階に上がっていく。一歩上がるごとにきしむ階段から自宅の古さが伝わってくる。シリカはまだやることがあるらしく下でなにか作業をしている。
「ふー」
ユーマは寝室に入るとばたっとベッドに仰向けで倒れた。
ああ、なんか不思議な感覚だ。いつもと変わらない天井。布団の温もり、ほんのりと香るシリカの匂い。全て変わらないはずなのに。2週間前とは全てが違う。
ユーマは体内に充満している強大なオーラに意識を移した。少し力を込めればこの家すら簡単に吹き飛ばせるであろう莫大なオーラが、確かに体の中に存在しているのを不思議に感じていた。
今日、町の様子を見て改めて感じた。この国をなんとかしなければいけない。
俺は、この国に充満する闇の全てに立ち向かっていくだけの力を得た。しかしなにから進めていけばいいのだろう。目の前には貧困にあえぐ人がいる。病気で苦しむ人がいる。貴族による市民への差別も蔓延している。
これから国のために戦っていこうと決意していたユーマであったがそもそも、アルドナ国には問題が多すぎた。自分一人では何をどう頑張っても到底、どうすることもできないと思えるほど、現実が厳しいこともユーマは熟知していた。
この国の闇はあまりにも深すぎてどこから手を付けていいかわからなかった。
俺の力がおそらくこの国で最強だということは間違いないだろう。なにせダンジョンの人類最高到達地点が124階だったのに、俺はは最下層の743階まで行ってしまった。そして神に等しい力を持つギフトを手にした。しかも、今はそれに加え8つの強力なスキルも手にしている。ダンジョンの深層フロアでは神話級と言われる魔物も何体か倒した。しかし……
強力な力を持ったユーマであったが、いざとなると行動に移せないでいるのが本音であった。自分の力をどこで、どう使えば、この国を変えていけるのか。その点が想像できなかった。
そんなことを考えているとユーマはいつのまにか眠ってしまった。
突然の物音に、ユーマは慌てて眼を覚ました。時計を見るともう深夜1時を超えている。
いきなり下の階から、何かを蹴飛ばす音と女性の者と思われる悲鳴が聞こえてきた。慌てて階段を駆け下りると、馬車がちょうど発車するところであった。スピードを上げて駆けていく馬車の後姿を見てユーマは一瞬で状況を把握した。
まさか人さらいがうちにまで及ぶとはな。まあシリカは幼馴染のフィルターを抜きにしても美人だから、金持ち貴族が襲ってもおかしくない。
目の前で幼馴を攫われるという光景を目にしたユーマであったが自分でも思った以上に冷静に思考していた。
きっと、やろうと思えば一瞬で救出できるという自信がユーマを冷静にさせたのだろう。
しかし、時間が経つにつれ、ユーマの心にはふつふつと激しい怒りが込み上げてきた。
もし俺がいなかった時を狙われていたら、シリカがどうなっていたかわからない。そのことに考えが及んだ瞬間、ユーマは抑えきれないほどの怒りと共に走り去っていく馬車をにらみつけた。
馬車には馬を操作する御者が一名とシリカが閉じ込められている荷台の上に一人が乗っていた。
ユーマはすぐにシリカを解放するために、オーラを放出しようとしたがしばらくしてやめた。
待てよ。このままシリカを助けるのは簡単だが、それでは黒幕がつかめない。このままどこへ行くか泳がせて一網打尽にしよう。
ユーマは一瞬で決断すると瞬間移動を使った。馬車の荷台の中に押し込められているであろうシリカの様子を把握するためだった。
急に馬車の中に現れたユーマを見てシリカは大きな声を出しそうになったため、ユーマは慌てて口をふさいだ。馬車の荷台にはシリカ一人であった。
「ユーマ。どうしてここに」
シリカは心底驚くような表情でユーマを見つけるとそう言いながらユーマを抱きしめた。シリカの体は汗で湿っていた。しかも、ユーマに抱きついてからも小刻みに震えている。
ふるえてる……。当たり前だ。深夜に突然攫われて……。恐怖を感じてない方がおかしいよ。どこの誰だか知らないが、覚えてろよ。この報いは必ず受けさせる。
シリカの様子からその恐怖の度合いが伝わってきて、ユーマの怒りはとっくに頂点に達していたが、シリカにはそれを気づかれないように何とか冷静を装った。
そして、外の男たちには聞こえないであろう小さな声でささやいた。
「シリカ。もう大丈夫だから。安心して。必ず助けるから」
「うん。でも……大丈夫なの?」
ユーマの言葉を聞いて多少安心したのか、体の震えは止まったが目にはまだ不安の色が浮かんでいた。
「大丈夫さ。本当に。ごめん。心配かけまいと思って今まで黙っていたけど、ダンジョンですごい力を手に入れたんだ。あいつらは簡単に倒せる」
「本当に?」
「ああ。俺を信じてくれ。シリカに嘘をついたことないだろう?」
「うん。わかった。信ユーマ」
ユーマの真剣な表情を見て、納得できたようにシリカはうなずいた。
「外の奴らを今倒したところで。誰が仕組んだことかはわからない。だから、怖いと思うけど少しだけ協力してくれ。黒幕を見つけないとまた同じことがこの国で起こるだろ?ここで終わらせたいんだ」
「ええ。わかった。どうすればいいの」
ユーマの熱い思いを受けてシリカも意を決したように言葉を発した。
「この馬車が目的地に着いたら。こいつらはこの扉を開ける。その時に俺は一瞬でこいつらを倒す。そしてその場所がわかったら、シリカをオキシール家の目の前まで連れていく」
オキシール家はアルドナ国の4大貴族の一つであった。オキシール家は代々、国内の治安の維持を代々つとめてきた家柄であった。現当主のミラ=オキシールは20歳という800年続いてきたオキシール家の歴史上、最年少で当主につくほど優秀な人物であった。貴族嫌いのユーマが唯一、一目置いている人物であった。
オキシール家は国王「リバレンド=アルドナ」より、アルドナ国内全ての治安の維持という誇り高い役割を与えられている。オキシール家の屋敷はアルドナ国のいたるところに置かれていて、昼夜問わず治安の維持に努めていた。
「オキシール家に伝えるんだ。人さらいにあってしまったが何とか逃げ出してきたって」
「わかったわ。ユーマはどうするの」
「俺は一人で黒幕を捕まえる」
「一人でなんてやめてよ」
「大丈夫だ。俺は前までとは違う。最強の力を得たんだ。大丈夫」
「でもさすがに一人は……」
納得しないシリカを見て、ユーマはもう一度能力を使った。ユーマは家に帰ると、シリカの靴を持ってもう一度姿を消した。
「きゃっ」
再び、突然現れたユーマに驚き、シリカは小さな声を出した。しかし、走る馬車の音にかき消され、外の男達には聞こえていないようであった。
「びっくりさせないで。心臓に悪いよ」
「ごめん。でもほら」
ユーマは持ってきた靴を見せた。
「わかった? 俺は大丈夫」
「うん。でも気を付けてよね。ユーマに何かあったら私……」
不安そうな表情を浮かべているシリカをユーマは力強く抱きしめた。
「私も死ぬからだろ。大丈夫。絶対に心配ないから」
「わかった」
ユーマの言葉を聞いてシリカもユーマを強く抱きしめ返した。
しばらく馬車に揺られていると馬車は止まった。
ユーマの想定通り、男たちは馬車の荷台の扉を開けシリカを連れ出そうとした。しかし、ドアが開くと同時にユーマに顔面を強打され二人は気絶した。二人の男は整った服を着ており、一般市民ではないことは明らかだった。
「嘘っ! ここって」
「ああ、ザガール家の屋敷だ」
二人がたどり着いたその場所は、アルドナ国の貴族の中でも格式の高い「聖18貴族」の一つに数えられているザガール家の屋敷であった。黒い蛇に金色のナイフが描かれた旗が屋敷の上には掲げられていた。
まさか。こんな大貴族の屋敷にたどり着くとはな。ありえないな。金も地位も力も全てを手にしておいてまだこんなことをするのか。
ユーマは闇夜に揺れるザガール家の旗を見ているとこの国の際限のない闇が迫ってくるように感じた。
何としても悪は葬り去らなければならない。
ユーマは改めて決意を固めると横に立っているシリカの方を向いた。
「シリカ、行くぞ」
「え?」
ユーマはシリカの手をつかむと能力を使い姿を消した。次の瞬間、目の前にはオキシール家の屋敷が広がっていた。
「ザガール家だからな。頼んだぞ」
「うん」
シリカに一言つぶやくとユーマはまた姿を消してしまった。
「もう。気を付けてくらい言わせてよ」
怒ったように口にするとシリカはオキシール家のベルを鳴らした。
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