第7話 宮廷魔術師、吠える

 宮廷魔術師は、ずかずかと大股で王宮の廊下を進む。そして、目的の部屋の前に辿り着くと、取り次ぎの従者が止めるのも無視して、中に乗り込んだ。


「王子!」


 案の定、ユリウスは夜も遅い時間にも関わらず、執務室で書類とにらめっこしていた。重厚な執務机には決済を待つ書類が山と積まれ、王子はそれに埋もれそうになっている。目の下には、うっすらと隈が浮かんでいた。適当に目を通して承認の印を押せば済むものを、この王子は書状の隅々まで目を通して、気になる点は担当者を呼び寄せて詳細を確認しているので、仕事が長くなる。官僚たちも不正ができなくなるので、王宮の空気は引き締まったものになりつつあった。


「……どうした? エディリーン嬢」


 王子は帰宅したはずの宮廷魔術師が、ものすごい剣幕で再び現れたので、目を丸くしている。役人もほとんどが帰宅している中、この王子は連日誰よりも遅くまで仕事場に残っていた。

 エディリーンは王子の前に進み出ると、ばん、と両手を机に叩き付ける。積まれた書類が少し崩れ、何枚かが床にはらりと落ちた。


「……人払いを」


 険のこもった目で言われれば、誰もが今の彼女には逆らわない方がいいと判断する。一緒に残って仕事の補佐をしていた老年の従者は、そっと退室していった。執務室にはもう一人、ユリウスの近衛騎士がいたが、彼は退室しようとしない。これから起きることを見届けようというはらだった。


 この二人の前だけでなら、不敬罪は適応されないことになっているし、部屋に王子と二人きりになって何か噂を立てられてはたまったものではないので、この状況はエディリーンにとって都合が良かった。


「さっさと姫のところに行ってください」


 言い放つ彼女の目は、恐ろしく据わっていた。


「いきなりなんだ?」


 王子は椅子に身を沈めたまま、怪訝そうにエディリーンを見上げる。


「結婚したっていうのに、毎日遅くまで仕事仕事で、姫のことを放置しているでしょう! そんな新婚の夫がありますか!?」

「そなたに夫婦の如何いかんを諭されるとは思わなかったな」


 ユリウスは可笑しそうに笑うが、エディリーンの目はますます鋭さを増したので、唾を飲み込んで笑いを引っ込める。


「……どうして姫の元へ行かないんです? 仕事だってこれだけ真面目にやっていれば、少しくらい休んでも問題ないでしょう」

「いやしかし、各地から要望や陳情がどんどん来るし……。周辺各国との関係調整なんかも山積みで……」

「あなたがいつまでも執務室にいたら、部下も休めないでしょう。ちゃんと姫の相手をしてやってください! でないと……」


 勢い込んで言いかけて、はっと口をつぐむ。


「でないと、なんだ?」


 エディリーンは言葉を詰まらせる。をここで言うべきか、迷ったのだ。

 彼女は素早く考えを巡らせる。筆名を使っている以上、姫は自分が小説を書いていることを知られたくないはずだ。それに、互いの名誉のためにも、あの小説の内容は言わない方がいい気がした。男性陣があの小説を目にする可能性は低い。ここで言う必要はないと、エディリーンは判断した。


「……どうしてそんなに仕事にかこつけて、姫のところに行かないんです? 仲が悪いとか、心底嫌っているとかじゃないんでしょう? 姫もきっと寂しがってます」


 迷った末、そんな当たり障りのないことを言うに止めた。

 エディリーンが慌ててユリウスの執務室に押し掛けた理由。それは、先程読んだ、姫が書いた(と思われる)小説の内容にあった。


 その物語では、男装の女騎士が、自らの主人である王子と、身分違いの恋に悩む様子が、切なく儚く美しく描かれていたのだった。

 この女騎士の元になったのがエディリーンであることは、見る者が見ればすぐにわかるだろう。そして、この小説はエグレットから持ち込まれたということだが、エディリーンはかの国に知り合いはいない。従って、この場でエディリーンを題材モデルにできるのは、シャルロッテ本人しかありえない。


 もしかしたら思い過ごしかもしれない。自分が小説の題材にされたこと自体は恥ずかしいしできれば知りたくなかったが、問題はそこではない。

 女騎士と王子の身分違いの恋。ここから、エディリーンは姫が自分と王子との浮気を疑っているとの結論に至ったのだった。あの日の会話から、エディリーンが王子に信頼を寄せられている女性であると姫に思われているということも、その推論を裏付けさせた。


 これはまずい。非常によろしくない。


 王宮を追放されるくらいなら望むところだが、謂れのない罪で処刑などされるのはごめんだった。

 しかし、慣例からいっても、王位に就こうという王子が、側室や寵姫の一人も置かないということはありえない。現に、王子の父である現国王には、第一王妃と第二王妃がいる。それにいちいち悋気を見せないのも、正室に求められる心構えだった。夫の女性関係に目くじらを立てるような女性は、王妃にはなれない。悲しいかな、それが封建社会の常識だった。だから、姫の名誉のためにも、このことを王子に言うことは憚られる。しかし、王子との関係を疑われるのは勘弁願いたい。そのため、この夫婦の関係を修復させようと試みたのだった。


 結論から言えば、これはエディリーンの思い過ごしだった。姫は純粋にエディリーンに憧れのようなものを抱き、小説の題材にちょうどいいと思っただけで、他意はなかった。しかし、この夫婦の現状を見れば、エディリーンが警戒してこのような行動に出たことも、仕方のないことではあった。


「そなたが彼女の心配をしてくれるとは……。明日は嵐か?」


 冗談めかして言う王子に、宮廷魔術師は凍てつくような瞳を向ける。


「それに関しては、俺も何か言わなければと思っていたところです。仕事なら多少抜けても問題はありません。どうぞ、新婚生活を満喫してください」


 傍らで黙って状況を見守っていた金髪の近衛騎士が口を挟む。

 二人に詰められて蛇に睨まれた蛙のようになった王子は、観念して胸の内をぽつぽつと語るのだった。


「行ってもいいのだろうか……」


 近衛騎士と宮廷魔術師は、そろって怪訝そうな顔をする。


「その……彼女といると、とても心が満たされて……ああ、これが幸せというものかと……」


 ユリウスは幼少の頃、政争に巻き込まれるのを避けるため、王都を離れて育った。しかし、父王が床に臥せがちになってからは、異母兄である第一王子と王位を争う関係になり、母は争いに巻き込まれることを嫌って地方に引き籠っており、家族の愛情というものを知らずに育った。

 だから、姫と食卓を囲み、側にいて温もりを得られるという体験をして、やっと安らげる場所を得られたと思ったのだが。


「……それに溺れて戻ってこられなくなりそうで、怖くてだな……」

「は?」


 宮廷魔術師の瞳が、ますます険を増す。

 惚気か。ぶん殴ってもいいだろうかと、エディリーンは拳を固める。


「だけど、ロッテはこの国に来てから、なんだかよそよそしくて……」


 曰く。

 子供の頃に出会ったシャルロッテは、とても可愛らしく愛くるしい姫だった。しかし、それ以上にユリウスの心を掴んだのは、彼女の聡明さだった。

 姫は様々な事柄に精通しており、会話は刺激的で楽しかった。それでいて優しく、いつも周りのことを考えている。


 この姫となら、きっと良い国を作っていけると思った。だから、婚約が決まった時も、心が躍るようだったのだが。

 最近の姫は、昔のように自分の意見を言ったりしなくなった。当たり前の妻のように、夫の後ろに慎ましく控え、意見を求めても差し出がましいからと何も言わない。


「……もしかして、俺は嫌われているのかなあ……。何か悪いことをしただろうか……」


 エディリーンは、表情筋を引きつらせながら、王子の独白を聞いていた。


「それに、もし子ができて、その子たちが俺たちのように、互いに争うようなことになったらと思うと……」


 富も権力も持って、贅沢三昧。庶民は王族をそんなふうに思っているが、それぞれにしかわからない苦悩がある。とかく、生きることはままならない。


「そんな未来を作らないために、あんたがいるんでしょうが」


 エディリーンに憮然とそう言われたユリウスは、ぱちくりと目を瞬く。


「……そなたにそんなことを言われる日が来るとは、思わなかったな」


 尚もおどけて見せるユリウスに一際苛立ちを込めた一瞥をくれて、エディリーンは手のひらに力を込めて、もう一度机を叩く。

 途端、王子は何かに弾かれたように椅子からひっくり返る。かろうじて受け身を取ったが、起き上がって机に手を付こうとして、再び手に衝撃が走り、慌てて手を引っ込める。

 机どころか、置かれた書類にも王家の印章にも触れることができない。よく見ると、机とそこに置かれたもの全体が、淡く光っていた。


「おい……」

「明日まで丸一日、触ることはできません。今この時より、休暇です」

「いや、しかし……」

「往生際の悪い。ちゃんと二人で話をしてきてください!」


 叫んだ宮廷魔術師は、文字通り王子を執務室から蹴り出したのだった。

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