第3話 王女様はちょっぴり憂鬱
お茶会を終えて自室に戻ったシャルロッテは、いつになくぼんやりとしていた。ミシュアが話しかけても上の空で、窓の外を眺めている。
それでも、晩餐にやってきた夫であるユリウス王子とは笑顔を交わし、共に料理に舌鼓を打っているように見えた。
シャルロッテが嫁いできてから、晩餐は二人で過ごす貴重な時間となっている。新婚夫婦に対する配慮であると同時に、同盟国とはいえ、故郷を離れて異国にやってきた姫の心細さが少しでも和らぐようにとの気遣いだった。
ユリウスの父であるレーヴェの現国王は床に臥せがちで、第一王子とは生まれた時から王位継承権を争う間柄にならざるを得なかったこともあり、この王宮には家族が集う光景というものが、長年存在しなかった。そんなわけで、今ここにしばらくぶりの「家庭の食卓」が顕現したのだが、笑い合う二人はどちらも仮面を被っている気がすると、給仕に働くミシュアは思っていた。
二人が食事をしているのは、本宮ではなく、王族の私的な住まいである奥棟にある食堂だった。何代か前の王が、政務を忘れて普通の家族のように食事を楽しみたいと作らせた、こぢんまりとした温かみのある食堂だ。近年明かりの灯ることのなかったその場所は、新婚の王太子夫妻のためにぴかぴかに清められ、毎日二人のために料理が作られている。
しかし、そこに流れる空気はなんだかぎこちなかった。王族の結婚など所詮政略結婚なのだから、温かな愛情など存在しえないといえばそれまでなのだが。
「今日は茶会を開いていたそうだが、問題はなかったか? 何か言われたりしなかったか?」
ユリウスは湯気を立てるこんがりと焼けた雉肉を切り分けながら、妻に問いかけた。銀髪が燭台の明かりを柔らかく反射し、淡い空色の瞳が妻に気遣わしげな眼差しを向ける。その笑顔は少年の面影を残しているが、戦場に立てば兵を鼓舞し、立派に指揮を執る、歴戦の武将でもあった。
高貴な人の食事など、通常なら毒見をした後の冷めた料理しか食べられないのが常だが、ここにはユリウスが信頼できる料理人と侍女を厳選して置き、調理と給仕に当たらせていた。なので、出来立ての料理を味わうことができる。
「はい、こちらはつつがなく。ご心配には及びませんとも」
シャルロッテも、豆のポタージュを銀のスプーンですくって上品に口に運んでいる。
食卓の上には、他にもふかふかな焼きたての白いパン、海鮮のマリネにハムやチーズの盛り合わせや、葡萄酒が並んでいた。上流階級の中には、権威を示すために手を付けない料理をたくさん食卓に並べる風習もあるが、ユリウスはそういった無駄を嫌った。
夫婦の食事の時間は和やかに進んでいく。ユリウスはシャルロッテにあれこれと話を振り、冗談を言って笑わせたりもするが、シャルロッテはユリウスの方には踏み込まない。まして、政務のことには話を振らない。それが王太子の妻としての嗜みだと、姫は思っていた。
食後の菓子とお茶を平らげると、ユリウスは席を立つ。
「では、俺はまだ片付けなければいけない仕事があるから、これで」
「毎日遅くまでお疲れ様でございます。いってらっしゃいませ」
ユリウスはシャルロッテを抱き寄せ、額に軽く口付けてから、本宮の執務室に戻っていく。これも二人が結婚してから、いつもの光景になりつつあった。
居室に戻ったシャルロッテは、机の
「姫様、ご気分でもお悪いのですか?」
結婚したのだから、本当なら「妃殿下」とでも呼ぶべきなのだろうが、姫の幼少期から侍女として仕えているミシュアは、つい癖で「姫様」と呼んでしまう。シャルロッテもそれを咎めるつもりはない。
姫がいつものように小説の続きを書くものと思い、ミシュアはお茶を淹れてきたのだが、ぼんやりとしている姫を見て心配そうに声をかける。
昼間の茶会でのこともあり、平然としているように見えても、やはり殿下のお通いがないことを気にしているのかと思った。傍目にもユリウスは姫のことをないがしろにしているわけではなさそうなのに、夜はこうも別々に過ごしているのは何故なのかと、ミシュアは主の夫を少し恨めしく思う。
「あなたが思っているようなことではないわよ、ミシュア」
姫はミシュアの心の内を読んだかのように先制する。付き合いが長い分、互いの思考の癖はなんとなく把握している。姫は彼女が故国から一緒に来てくれたことに、深く感謝していた。
「でもね、わたくしに期待されているのは男子を産むことだけなのだと思うと、なんだかね……」
ユリウスの夜の訪れがないのは、政務が本当に忙しいのならば仕方のないことだ。いずれ世継ぎはもうけなければいけないのだから、そのうち何とかなるだろうと、姫は思っていた。
しかし、将来的に彼の側にいる女性は自分だけではなくなるだろうとも覚悟していた。側室を置いたりすることもきっとあるだろうが、シャルロッテも王家に生まれた女性だ、それくらいのことは織り込み済みである。
エグレットは厳格なお国柄だった。女性は慎ましやかに陰から夫を支え癒し、健やかな子を産むのが役目。政治に口を出したりするものではないと、姫は教育されていた。
しかし、生まれ持った気性だろうか、飾り物であることは性に合わず、政治経済や歴史、帝王学などもよく学び、自分だったらこういった局面でどんな政策を打つだろうか、こうしたら国がもっと豊かになるのではないかと、あれこれ考えを巡らせていた。しかし、それを口にすれば、女はそのようなことを言うものではないと父に叱られ、礼儀作法や詩歌音曲、舞踊の授業ばかり増やされた。
そんな生活の中で、姫は空想の世界に身を委ねることを覚えた。そして、小説という文化があることを知り、見よう見まねで物語を書き始める。想像の中でなら、城を出て世界中を旅することも、国に革命を起こすことも、自由にできる。
しかし、そんな物語を書いた日には、思想に問題ありとして幽閉でもされるか、はたまた反逆の意思ありとして処刑されることは想像に難くない。
そうした日々の中で降りかかったのが、同盟国レーヴェの王子、ユリウスとの婚約だった。
いずれこの日が来るだろうとは思っていた。ユリウスは見目麗しい貴公子だし、人柄も立派だ。不満はない。
けれど、自分の人生を自分で決められない、どんなに努力して自分を磨いても、決して自分自身を求められることはない。王女として他国に嫁ぎ、世継ぎを産むことしか期待されていないという一点において、姫の鬱屈は溜まっていくのだった。
だから姫は、決して自分のものだとわからないように小説を書いて、社交界にそっと流した。せめて恋愛が題材なら、娯楽として同じ女性くらいには見てもらえるだろうと。少しでも、自分の力で生きたという証をこの世界に残したいという足搔きだった。
「わたくしの願いはユーフェミアが叶えてくれる。それでいいの。だけど……」
空想の中で自由でいる分、姫は模範的な女性であることを自分に課した。それでも時々、無性に空虚な思いが、胸を襲う。
「わたくしは、王家の女失格ね……」
悲しげに目を伏せた姫の背に、ミシュアはそっと腕を回す。
「そんなことはありませんよ。姫様はとってもご立派ですとも」
微かな嗚咽に震える主人の細い背中を、侍女はそっとさするのだった。
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