第8話 所詮、相手は犬である

俺は今、小坊主の家の前に来ていた。

けれどそこはもう別世界だった。

それこそ元いた世界にあってもおかしくはない、巨大な城が聳え立っているのだから。


「ここが、貴様の家か?」


「はい……。恥ずかしいですよね、日本なのにお城なんて……」


いや、恥ずかしいとかそういう話ではない。

確かに日本の住宅地の中に城というのは違和感を感じなくもないが、しかしまさか財閥の頂点に君臨する者がここまでの富を得られるとは。

想像の遥か上をいった現状において、俺はこの土壇場で起死回生の名案を思い付く。


「……小坊主。貴様の身代金はいくらだ?」


「へ?……まあもしも誘拐されたとしたら、20億くらいは出しますかね?僕の貯金がちょうどそれくらいなんで」


この小坊主はまるで危機管理が出来ていないようだ。

そんなサラッと言える内容ではなかろうに。

だがこれではっきりした。

将来財力を蓄えられなかった場合、この小坊主を誘拐しよう。

詐欺罪や脅迫罪を免れる為の方法は後で考えるとして、とりあえず今日は本題である見合い相手の元へと向かう。


玄関、いや最早大門と呼べるのではないか。

そこから一歩中に入ると長い廊下が続いている。

そこら中に絵画やら壺などの芸術品が散りばめられている、そんな廊下だ。

もしかして以前他校生徒に絡まれていたのも、この小坊主の素性を知っていたからではないだろうか。

そうなるとこの生まれながらにして勝ち組の小坊主に対して、嫉妬の様な感情が湧くのも仕方のない事。

俺は今更ながらに助けに入る相手を間違えたかと思ってしまう。


「魔王様、ここです!」


そう言って小坊主は大きな部屋の扉を指す。

両脇にはメイドが立っており、これが1つの客室であるならばこの城の総額はいくらなのか。

まだ入ってもいないのにそう思わせられる程、何にせよいちいち華美な施しがされていた。


「お願いしますよ。ほんとに僕、嫌なんで。何とかこの縁談を破綻させてくださいね……」


「ふん。魔王である俺を使おうと言うのだ。それなりの対価は用意してもらうぞ」


俺の言葉を皮切りに、両脇のメイドたちがゆっくりと扉を開く。

その先の中央のこれまた豪華な長椅子に座るのは、一匹の白い犬とその両親である木島財閥の代表。

俺と小坊主はそちらへと歩み寄り、それぞれ対面する長椅子の両端に腰かけた。

こちら側の椅子の中央には小坊主の父親であろうか、田中財閥の代表が堂々たる態度で座っていた。

その小坊主の父親が俺に目線を向けて声を掛けてくる。


「おや、君は誰かな?飛虎彦の友人かね?」


この俺が小坊主の友人だと?勘違いも甚だしい。

俺はそれに反論する為、何の臆面もなしに返す。


「いいや違う。小坊主は俺の配下だ、見誤るなよ下郎が」


「あ、お父さん違うんです!クラスメイトの如月君って言って、今日は緊張してる僕の為に来てくれたんだ!」


ん?何やら小坊主が俺の発言を訂正して来たようだ。

俺はそれにも反論しようとしたが、何やら必死な小坊主は小声で訴えかけるように言ってくる。


(魔王様お願いです!僕の話に合わせてください!対価は弾みますから!)


ならば仕方あるまい。

一旦俺は小坊主の言う事を聞くことにした。

何故素直に従うのかって?別に対価を求めてではない。

俺はこれでも小坊主の縁談話に同情したからここにいるのだ。

好きでもない奴にしつこく言い寄られる事の苦痛さを、俺は前世で経験しているからな。


「それでは縁談を始めたいと思います。まずはお互い自己紹介でもしましょうか」


小坊主の父親がそう仕切ると、向こうの家族から紹介が始まった。

犬の母親の方が喋り始める。


「今回はお招きいただき有難うございます。ではこちらがうちの跡取り、木島マッケローニです。マッケローニ、ご挨拶なさい」


「ワン!」


「……。」


これは酷い有様だ。

俺は魔王である為、あらゆる戦場を知っている。

だが如何なる戦場であってもここまでの空気にはならない、そんな空気が流れていた。

流石の俺も、そして小坊主も表情1つ変える事が出来ない。

そんな中で勇猛に挑むのは、小坊主の父親であった。


「これはご丁寧にどうも。次はうちの跡取りですね。飛虎彦、挨拶なさい」


そう促された小坊主は無の境地にいるのか、真顔のまま挨拶をする。


「……田中飛虎彦です。趣味は覗きです。好きなものはペロ行為で、嫌いなものは犬です」


おお、と俺は思わず感心してしまう。

自身の評価を極限まで下げて見放されようという魂胆がそこに見えたからだ。

ペロ行為というのが何のか分からなかったが、小坊主、中々やるではないか。

ならばここは1つ助力をしてやるとしよう、俺は犬の母親に問い掛ける。


「その犬の犬種は何だ?言った通り小坊主は大半の犬が嫌いでな。よって相性も変わってくるだろう」


「犬種??あなた、面白い事を言うのねぇ。この子は紛れもない、マルチーズと言う名の部族よ」


「……ふむ」


なるほどそう来たか。

あくまでも犬と認めないからこそ、小坊主の『嫌いなものは犬』が効いていないのだ。

ここに来て頭脳戦が勃発するとは、やはり金持ちは侮れない。


「飛虎彦君、是非ともうちの子と仲良くして下さいね。ほら、撫でてみて?」


そう言われて小坊主は立ち上がり、犬の方へと進んで行く。

流されるままに従う姿は最早、抗う事を忘れた木偶人形のようだった。

相手側の第一声、ワンがそうとう響いたようだ。

小坊主が犬の前で立ち止まり、そのフワフワとした小さな頭へと手を伸ばす。

すると突然何者かの声が聞こえてきた。


『汚らわしい手でボクに触るな。下劣な俗物が』


「へ……?」


犬が喋った。

まあ稀に起きるのかもしれないな、そんな事も。

元いた世界では特段不思議な事でもないし、俺はそう思い聞き流した。


「うちの子、賢いでしょう?難しい言葉もよく使うのよ」


「……。」


どうやら小坊主は完全にフリーズしてしまったようだ。

だから小坊主は現状を把握できていないのだ。

今、はっきりと。

わざわざ相手側の方から破綻の切っ掛けの言質が取れたという事に。

なので代わりに俺が畳み掛ける。


「ふっ。どうやら貴様らの溺愛する子の方が、この見合いを拒んでいるようだな。よってこの縁談は白紙だ。だろう?親父」


俺はそう堂々と言い切り、小坊主の父親へと視線を投げ掛けた。


「……ん?私に言ってるのかな?ふうむ。飛虎彦もそう思うかね?」


小坊主の父親がそう言うと、ようやく流れを理解したのか小坊主が目を輝かせ始める。


「は、はい!僕にはやっぱりまだ結婚は早いと思います!」


そう言い切った小坊主に俺は良く言ったと目で称賛を送る。

小坊主もそれに返すようにして拳を力強く握っていた。


「そうですか……。残念ですが、致し方ありませんね」


そうして縁談は破綻し、木島財閥の連中は帰っていく。

そんな中で擦れ違い様に、何処か懐かしい匂いがした。

白い犬が再び口を開き、俺に目線を合わせてこう言ってくる。


『君は相変わらず退屈しないね、“アレス”。では、また会おう』


「……貴様は」


懐かしい口調が記憶を呼び起こした。

それは魔王直属配下『グリモア教典』を束ねていた“第一の書”、時の魔術を司る「博愛主義者」。


「そうか、貴様も転生していたのか。俺の右腕であり盟友、——ヨハン・グリモワールよ」


俺はそう呟き、シッポをフリフリさせる白い犬の後姿を見送るのであった——。

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