第5話 華恋の追想

——私には、前世の記憶がある。

この世界ではない、もっと遠くの世界で勇者と担がれていた時の記憶。


そこで私は魔王アレス・シックザールと対峙し、勝利を収めた。

人類を守り、悪しき存在を葬ったのである。

それが前世の私、カレン・ローライトとしての記憶だった。


けれど私は魔王を討伐した事を後悔した。

魔王がいなくなった途端、統率の取れなくなった魔族たちが様々な場所で暴れ出したからだ。

その世界の歴史では魔王を討った事で平和で豊かな世界となったと記されたが、実際それは各地の暴動を抑えた更に先の話。


だからこうも考えてしまう。

魔王が存在していた事によって、他の魔族たちの抑止力になっていたのではないかと。

それを裏付けるように歴代の魔王の中でアレスが君臨していた時代が、最も人類に被害の少なかった時代であった事を私は後になってから知った。

私は本当に正しい事をしたのだろうか。

魔王アレスがどういった考え方をするのか、どういう思想を持っていたのか私は何も知らなかった。


だから正直言って、驚き以外の感情が湧かなかった。

私と同じようにしてこの世界に転生して来た魔王アレス、いえ、如月舞人と廊下で初めてすれ違った時は。

何かの間違いかとも思いはしたが、けれどあの圧倒的存在感を私は覚えている。

なので確かめる必要がある。

アレスがどういった考えの持ち主なのか、どういった思想を持つのかを。




「……如月舞人」


早朝。

私は今、家の自室で椅子に座りながらスマホを眺めている。

如月舞人の連絡先を画面に表示させたまま、かれこれ1時間程。

考えずにはいられないのは、魔王アレスに対しての罪悪感から来るものなのか。

それとも別の何かなのか、私にも分からない。


「連絡、してみようかしら……。でも、何て?」


スマホから目線を上げて考える。

もうずっと関りを持つ為の切っ掛けを掴めずにいた。


食堂では本当にたまたまそのテーブルしか空いていなかった。

みんな彼を避けるようにしていたから。

この世界の人間の大部分は恐らく無意識にあてられているのだろう、魔王という存在感に。

それに気づかない人間も稀にいるようだけれど。


対する私は元々人間側であったからか、むしろ好かれる傾向にある。

自慢ではないが男子女子共に告白もそれなりに受けている、全てお断りしているけれど。

こればかりは勇者の魂が人を惹きつけてしまうようだった。


だからか余計に彼が理不尽な境遇にいるとも考えてしまう。

完全に人間の世界であるこの場所が、元々魔族であった彼の居場所を奪っているのではないかと。

でもそれは私にも、そして彼にだってどうする事も出来ない。

出来る事があるとするならば、まずは少しでも彼を知る事からだろう。


「……そうね。それならもう、会いに行くしかないわね」


私はそう決めて学校へ行く支度を始める。

如月舞人と接点を作る方法はいくらか思いつく中で、最も手っ取り早い方法を試してみようと考えて——。




授業終了のチャイムが鳴る。

いつも通り私は二年の教室から生徒会室に向かうのだが、その前に寄る所がある。

1-B、如月舞人が在籍しているクラスだ。

階段を下り一年生の教室が並ぶフロアへと足早に歩みを進める。

途中何人かに驚きのような視線を向けられたが気にしてなどいられない。

生徒会長である私が一年の階層に何用か、恐らくはそんなとこだろう。


そうして私は1―Bの教室に辿り着いて中を覗き込む。

すると一番後ろの窓際の席に彼は座っていた。

ちょうど帰る支度をしていた所か、鞄に教科書やらを詰め込んでいるようだった。

私はほっと一息ついて失礼するわと一言だけ告げ、中に入り声を掛けようと彼の方へ向かう。

けれど黒板の前で2人の男子生徒に話し掛けられ、足を止めざるを得なくなった。


「あれ?生徒会長じゃないっすか!どうしたんすか?一年の教室なんかに」


金髪にピアスを付けた男子生徒がそう言うと、隣にいたもう一人の男子生徒が続けざまに言う。


「え!?うちの生徒会長ってこんな美人なの!?やべー知らなかったわー」


こちらは更に派手なピンク髪の生徒。

いくら髪色を問わない校風だからといってこれは目立ち過ぎではないだろうか。

そんな事を考えるのも束の間、私の目には彼が教室から出て行ってしまう姿が映った。

慌てて廊下に出ようとするも、ピンク髪の生徒がこちらの進行先を塞いだ。


「えーもう行っちゃうの?もっとゆっくりしていきなって!何ならこの後どっか行く?」


「ごめんなさいね、用があるの。それじゃあ——」


そう言って私が去ろうとした時、ピンク髪の生徒が私の腕を掴んで来た。


「おおっと!待って待って!まだ話の途中じゃーん?」


「おい、進藤。生徒会長、嫌がってるって」


教室内がざわつき始める。

金髪の生徒はそう言ってピンク髪を止めようとしてくれたが、如何せん人の言う事を聞くタイプには私にも見えないし感じられない。

私はキッと強い視線をピンク髪に向けた。

けれど全く気にした素振りも見せずに続ける。


「俺らさー、出会うべくして出会ったんじゃね?じゃあもうカラオケくらい行くっしょ!なあ翔太?」


「いやだから、無理強いすんなって」


金髪の生徒もだいぶ気を使ってくれている事は分かるが、私はそれ以上にピンク髪のしつこさに呆れ、今日は彼と話すのを諦める事にした。

これでも元勇者。

それなりに体術は知識として持っているし、運動神経も悪い訳ではない。

故にその気になればこんなチャラ男の1人や2人対処するのは簡単だ。

はぁっと1つため息を溢して、私は掴まれていた腕を振り払おうとした。

だから私にとってこの状況は、全くもって問題ない筈だったのだが。


「——貴様ら、何をしている」


廊下側から教室に入って来て早々、彼はピンク髪の頭を右手で鷲掴みにした。


「てめぇ如月!何すんだよ!?」


ピンク髪の文句が放たれる中で、私は彼の意外性に驚いてしまっていた。

例え私が前世の記憶を持っている事を彼が知らなかったとしても、私の容姿は元の勇者の時と酷似している。

だからてっきり敵対心の方がどことなく勝るだろうと踏んでいたのだ。


「貴様はこの女の何だ?親か?兄弟か?」


「はぁ!?そんな訳ねーだろ!」


未だ頭を掴まれたままで反論するピンク髪に彼は続ける。


「では関わる必要などなかろう。むしろ無駄だ。なにせこの女には既に愛するものがいるのだからな」


「はぁ!?訳分かんねーこと言ってねーで離せよ!!」


「……。」


私は言葉を失う。

愛するものとはいったい何を指しているのか。

誰かとお付き合いなどしていないし、仮にしていたとしても何故彼がそれを知る事が出来るのか。

何の根拠があってそのような発言をしたのか、私にはさっぱり分からなかった。

そんな事を考えている内に彼は掴んでいた右手を離して男子生徒たちに言う。


「分かったらさっさと失せろ。貴様らが触れていい女ではない」


「ちっ!てめぇ覚えてろよ!」


ピンク髪がそう言って教室を後にし、それを追うように金髪も去って行く。


「悪かったな如月。この埋め合わせはちゃんとするからさ」


「必要ない。名も名乗れぬ無能が」


「……やれやれ。今度しっかり俺の名前、叩き込んでやるからな!」


金髪がそう言い残したのを最後に、絡んで来た2人の男子生徒は去って行った。

私がまじまじと彼を見ていると、彼はこちらに向き直って言う。


「間の悪い女だ。俺がいたから良かったものの」


私は何と返答すればいいのか悩んでしまう。

最早当初の接点を作る為の小細工など、頭からスッポリと消え去っていた。

私は精一杯の言葉を絞り出す。


「……どうして、助けてくれたの?」


すると私の質問に対して、彼は自信満々な態度でこう言うのだ。


「ふっ、今更何を言っている?愛しているからに決まっているだろう」


「え……?」


今更?愛している?ここでそれをサラッと言うの?私の脳内は処理が追い付かない。

教室に残っていた生徒たちも余計にざわつき始めた。

けれど瞬間、不覚にも感じたのは心のトキメキ。

加えて顔も熱くなってくる。

そんな放心状態に成りかけていた私に彼はこう付け足す。


「俺も、“飯”をこよなく愛している。貴様も追い飯の常習犯だ。ならばお互い飯に対しての愛は——」


ガンッ!と音を立てたのは、私の鞄が彼の顔面に直撃した音だ。

私は思わず持っていたそれを振り回してしまい、彼の横っ面にクリティカルヒットしたのであった。


「痛いな、何をする」


そんな冷静さを欠かない彼に対して私は申し訳なさを感じる反面、何処か拍子抜けしたような気持ちにもなっていた。


「……はぁ、ごめんなさいね。あなたの言う通り、私もご飯は好きよ。でもね如月君、あなたの言い回しは良くないわ。勘違いされても仕方のない事よ?」


彼は私の言葉を聞き終えると、納得がいったような顔をしてこちらに言ってくる。


「ふむ、なるほど。貴様は追い飯の事実も隠したかったという訳か」


「いえ、そうではなくて——」


私の言葉を遮って更に彼はこう言い放つ。


「ならば話は早い。1つ、俺が貴様に暗示を掛けてやろう」


そう言うと彼は私の目の前に手の平を向けて何かを唱え始めた。


「『いいか、貴様は病気だ。貴様の中の薄汚くも意地汚い病魔が追い飯をさせるのであ』——」


再びガンッ!と私の鞄が音を立てた。

そして落胆と共に教室を後にする。


「痛いではないか。せっかくいい案を出してやったというのに」


そんなセリフが背後から聞こえてきたが、私は振り返りもせずにそのまま生徒会室へと向かう。

どうやら魔王アレスは余程の馬鹿であり、私の抱えていたものは全て杞憂であったようだ。

私は残念に思いながら大きくため息を吐いた——。

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