第2話
絶叫をあげながら、ひろしはベッドの上で目を覚ます。
身体中汗をかいているようで、素肌に触れる浴衣が気持ち悪い。
「ゆ、夢か………」
荒くなった息を整えつつ、ベッド脇の時計に目をやると、時刻は四時三十分だった。
会社にあてがわれた安宿だからか、空調の調節が上手く出来ず、暑い室温の中で無理やり寝たことが悪かったらしい。
乾燥した部屋とさっき出した大声が原因か、喉もなんだかイガイガする。
ひろしはテレビの下に備え付けられている、小さな冷蔵庫の中から水のペットボトルを取り出すと、一気に喉へと流し込み、一息ついてタオルで汗を一旦ぬぐう。
「ふぅ、さて走りに行くか」
ひろしはさっと着替えると、ランニングシューズを履き、部屋を出ようとするが、先程の夢が脳裏に焼き付いているため、一度握ったドアノブを離す。
まぁ、夢ではあるけれど、気持ちも悪いし寒い外で準備体操するよりは部屋でしてからにしておこう。
そう思いなおして、部屋の中で身体をほぐし、軽くストレッチ等をしていく。
部屋の中が必要以上に暖かいせいか、額には再び汗が流れる。
おっと、余りここで汗をかいてしまうと、外に出た時に冷えて風をひいてしまうからもう出よう。
フロントに鍵を預け、ロビーを抜けて外に出ると冬の朝はやはり寒い、部屋の中で準備体操をした影響か、口から立ち上る息もさることながら、身体中から白いモヤのように蒸気が立ち上っている。
さて行きますか………。
身体を慣らすようにゆっくりと走り出したひろしは、出張先と言う事もあり、普段とは違う景色を楽しみながら足を進める。
おっと、このまま行ったらあの夢の公園の通りに出てしまうな。
流れる景色に忘れかけていたけれど、やはり夢の光景が離れなかったのか、公園への道を避けるように右折しようとしたひろしの横目に、チラッとベンチが入ってしまう。
そこにはやはり老婆が二人ちょこんと座り、その脇には夢の中で見た菊の花柄の手押し車が置かれている。
あれは夢だ!
そう心で叫ぶひろしだったが、身体はその場から一歩でも遠くへ離れようと全力で走り出している。
夢の中の老婆があそこにいた。
でも今回はチラッと視界に入っただけだし、何より向こうには気付かれてはいないだろう。
そんな考えが脳裏をよぎるが、身体は恐怖に支配されているのようにまだ全力で疾走している。
しかし、今は夢とは違い、冷静に考える事も少しは出来ている。
なんて思った刹那、耳にガラガラガラガラ…
と 、まるでキャリーバッグを引いて全力で走っている時のような、小さな車輪が物凄い勢いで地面を回転している音が段々と迫って来る。
えっ、そんな…だって夢だったよな。
そうひろしは自問しながら、恐怖に押し潰されそうな気持ちを抑えつつ、振り替えると、一人の老婆が菊の花柄の手押し車に両手を掛けて、笑いながら駆けてきている。
はっ?
一人?
後もう一人は?
いやいや、何処かで待ち伏せされて挟み撃ちなんて事は嫌だ!
そう考えて、ひろしは必死の思いで自分の宿泊しているホテルへと駆け込んだ。
ひろしが駆け込んだ後、自動ドアは何事も無かったかのようにゆっくりと締まり、ロビーから外を確認するが、硝子張りの自動ドアの向こうは大通りにも関わらず、車一台も通らない程静かでがらんとしている。
ひろしは荒くなった呼吸を整えるべく、ゆっくりと歩くが、突然の全速力に痙攣してしまったのか足がもつれるので、ロビーに置かれたソファへ腰を下ろすと、足も腕も投げ出して、天井を見上げるような格好でゆっくりと深呼吸をして息を整えていると声をかけられた。
「お客様、どうかなされましたか?」
「ああ、ちょっとね。でも心配はいらないですよ。ただ走りすぎただけですので」
そう言って、ひろしがホテルマンに視線を移すと、心配そうな表情の男がタオルを手渡してくれたので、
「ありがとう」
そう簡単に礼を言いながら、全身を滝のように流れ落ちる汗を拭き、落ち着いたひろしはホテルに尋ねる。
「あの、この辺って、何か出るとかって聞いたことあります?」
「はぁ、何か…と言われますとこう言うやつですか?」
そう言って、ホテルマンは両手をだらっと胸の前に出してポーズをとるが、その顔はなんだかおどけている。
そんな雰囲気にひろしは少しホッとして、
「ああ、そんなヤツの話…聞いたこと無いか?」
「ん~、ありませんね。まぁ、私もここに配属されてまだ一月なんで何とも言えませんが、そんな引き継ぎもありませんでしたし。え?!なんか出てんですか?」
そうホテルマンが興味津々に尋ねてきたので、ひろしは何だかドッと疲れが出たような心持ちになる。
「いや、なんでも無いよ」
そう言って、もう今日のジョギングはよそうと考えたひろしは、フロントに預けた鍵を受け取りエレベーターへと乗り込み『8』のボタンを押す。
ゆっくりと動き出すエレベーター。
ふぅ、疲れたなと思い、ふと移り行く回数表示に視線を移すと、背後から聞き覚えのある老婆の声で、
「やはりお前、見えとるな」
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