1−3

「怒ったのか、アイツ」

「当然だよ。先輩からしたら、邪魔だろうし」


 わたしは、声をかけられなかった。

 先輩の言うことは正しい。わたし自身は、何もない普通の人間だから。霊に対抗できる術は持ってないし、逆に足手まといになる。疎ましく思うのは当然だ。


 わたしは身体を向き直して、再び手すりに腕を置く。

 また、二人。寒さを運ぶ風以外の音が消える。静寂から逃れるように、顔を逸らした。


「一つ聞きたい」


 不意に、声を掛けられる。変わらず手すりに凭れて、視線を下へ落とす。


「なんで、アイツの話を受け入れた?」


 アイツ、と逡巡してヴィルヘルムさんのことだと理解する。

 とすると、話しているのは昨日の夜のことだろう。


「……大した理由なんてないよ。こんなわたしでも、役に立てると思ったから」

「この前酷い目にあったのにか? 鈍感なヤツだな」

「そうだね。酷い目にあったのに、そう感じないんだよ」


 一瞬、空白が生まれる。

 スカーレッドは苛立ち気に口を尖らせて、懐から何かを取り出した。

 なんてことはない、普通のタバコだ。わたしは顔を顰める。


「幽霊なのに吸うの?」

「嫌ならあっち行ってろ。小娘には毒だ」

「……別に、嫌じゃないけど……」


 スカーレッドは指を近づけた。小さな火が指先に点いて、先端に持っていく。

 が、屋上の風は強い。火が揺れて、上手く煙草につけられない。

 舌打ちするスカーレッド。わたしは右手を、制服のポケットへと入れた。

 取り出したソレを、前へ持っていく。傷の入ったオイルライターに火が灯る。

 一瞬、目を向けたが、スカーレッドは煙草を近づけた。


「おまえみたいなヤツも持ってるんだな、そういうの」

「お守り代わり。こうやってると、落ち着くから」


 紫煙を吐く傍らで、わたしはライターを弄る。

 かちん、と蓋を開けては閉めるを繰り返す。擦れる金属音が心地いいと聞くが、わたしは動作の方が好きだった。

 そっちの方が、何も考えずに済むから。


「さっきの話だけど、特に理由があるわけじゃないよ」


 蓋の開閉をする中、わたしは正直に答えた。


「ただ、埋めたかっただけ。何かしていないと苦しいから、行きたかっただけ」

「一歩間違えれば死ぬかもしれないのにか?」

「うん。でもいいんだよ。それで」


 短く、そう言った。


「いつ死んでもいいの。偶然通り魔に刺されても、不慮の事故で死んでも、後悔しないと思う」

「……何故?」

「……さあ。良いことなんてなかったから、かな」


 手すりの上に腕を、その上に顎を乗せて、眼前に広がる光景を見据える。

 灰色の空の下で、日常の光景が回る。眼下のソレを出来の悪い絵画だと、わたしは思う。

 劣化していく建物、機械的に歩く人たち、空を遮る植えられた電柱……全てのものが、味気ない。人工的なものが多すぎる。

 多すぎるのに、風景の中はいつも孤独に満ち溢れていた。

 まるで、自分が投影されたような世界に、いつか吐き気を覚えた気がする。

 この世界にないのは、赤い卍の花だけだ。


「なにも無いから、いついなくなってもいい。少しでも役に立てたなら、少しは誇らしいと思えるから」


 話すわたしの声に、スカーレッドは応えない。紫煙の嫌な臭いが、鼻を擽るばかりだ。


「────本当に。本当に、そう思ってるのか?」


 ぽつり、と呟かれた言葉に、わたしは思わず、顔を向けた。


「もしそうなら、おまえはとっくに死人だ」


 勢いよく背中を手すりから離れて、足早に歩いて行く。


「ちょっと、どこに……」

「言っておくが、私はやらないぞ」

「えっ?」

「ただでさえまき餌扱いで癪なんだ。その上に教会にまで手を貸せだと? 冗談じゃない。雑魚相手だ、おまえ達でやってろ」

 そう言い切って、たん、と踵で地を蹴った。

 跳躍し、姿を消す。わたしが身体を動かした頃には、気配すら消えていた。


「……ちょっと、待ってよ!」


 鉛色の空に声を出して、わたしは走り出す。

 どこに行くわけでもない。今は、彼女を探さないと。

 彼女がいなければ、わたしは戦うこともできないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る