1−2
わたし達が教会へと入り実戦へと赴いたのは、その翌日だった。
郊外にある大きな病院。正門は歩行者や車の出入りが繰り返されて、その向こうには均等に並べられた団地がドミノのように並べられている。どこにでもある均一な風景だ。
無感情に見下ろす。屋上の手すりに両肘を置いて、どこか流れ作業を眺めるように見つめていた。
背後から錆び付いた音がして、振り返る。塔屋のドアを開いて、屋上へと入った人物は、身を震わせた。
「中にいればよかったのに。こんなところいたら風邪引くよ」
寒さに身を縮こませながら、宇野先輩は足早に隣へと来た。
手すりに背中をくっつけた。相当寒いのだろう。息は白く、鼻を啜っていた。
「話はついた。当分は自由に動いていいってさ」
「当分?」
「怪奇現象を起こしているのが幽霊なんて、普通は受け入れられないでしょ。それを言う僕たちも相手からすれば同じ存在。本音は頼りたくないけど、頼らざるを得ない感じかな」
息を吐く。同時に、話を進めた。
「とはいえ、問題自体は大したものじゃない。物が割れたり浮いたりとか、毎晩犯される夢を見るとか。直接的な被害はないから、まだ足りないんだろうね」
「足りないって、何がですか?」
「霊というのは、偏った一つのエネルギーなんだ。普通、肉体を失った魂は現世に留まれない。どんなに負の感情が渦巻いていても、人の魂という形は崩れてしまう」
だから集まる、と先輩は付け足した。
「同じ死者の霊だけじゃなくて、生者からも負の念をかき集めて形を作っていくんだ。風船と思ったらいい。しぼんでいたら浮かばないけど、膨らんだら空に飛ぶだろ?」
そういえば、学校に現れた幽霊は、自分のことを『僕たち』と言っていた。話す相手も女の子だったり体育の先生だったりと、意識が入れ替わっていた気がする。
あれは亡くなった人たちの霊だけではなく、生きている人の感情も混ざった集合体だからなのか。
「……イメージと違いますね。もっと、ひとりなものだと思ってました」
「そういうのもいる。大半は違うけどね。きっと幽霊になっても、心細いんだよ」
一息ついて先輩は続ける。
「今はまだ準備段階。集まり切れていない微弱な霊だ。物を壊したり悪夢を見せたりして煽っているけど、解決は時間の問題だよ」
そう先輩が話に一区切りをつけると、
「随分と柔くなったものだな、信徒というのも」
上から鋭い声が割り込む。
塔屋の上。足を組んで座る赤い人影。
その人……スカーレッドは気難しい顔を浮かべたまま、塔の上から飛び降りる。
音はない。殺したのではなく、初めから発生していない。
「半端な慈悲は人を殺すぞ。それにここに来た以上、出ようにも出られないんだ。隠す必要はない」
「……どういう意味?」
口に出すと、気難しい顔がこちらに向いた。
「気づかないか? もうすでに、私たちは囚われているんだ」
「えっ、でも、霊自体は大したことないって」
「確かに霊自体は脅威ではない。だが……その霊は、どこにいる?」
あっ、とわたしは声に出した。
「ここは亡霊どもが好む腐葉土だ。死に対する恐れが充満している。亡霊が育つにはこれ以上ない環境だ。だから隠れる。成虫になるまで土に潜む幼虫と同じだよ。今は蛹の状態だ。違うのは成長と同時に、栄養を摂取していることだ」
「栄養って──」
「人間の感情が奴らの主食。外に出ている奴は敢えて見逃されてるんだ。暴飲暴食はいけないからな」
歩みを止める。わたしたちの間に立つスカーレッドは欄干に腕を置いて、眼下に広がる景色を見下ろした。
正門から出ていく人々を眺め、話を続ける。
「こういう手合いは闇雲には探せない。隠れているのか、乗り移っているのかさえ曖昧。ただでさえ幽かな存在を、結界も無しに捜す方が莫迦だ。なら、見つけ出す方法は一つしかない」
スカーレッドの言葉に、ようやくわたしは答えが分かった。
「霊が集まるのを、待つってこと?」
「私もコイツも捜す手段がない。なら膨らんだところを針で突いた方が早いだろう。そうなったら餌は多いに越したことはない。
特に、栄養価の高い……つまり私のような存在が必要になる」
となると、と彼女は身を翻して外界に背中を向けて、欄干に体を預けた。
「炙り出された奴らは餌に飛びつく。そうなったら戦闘は避けられない。ジレンマだな。そこの優男は、お前を巻き込みたくないんだよ」
スカーレッドの話を聞いてわたしは視線を先輩へと移した。先輩は顔を少し下げてから、空を見るように顔を上げる。
「先輩」
「……神父さまはああ言ってたけど、やっぱり、きみを巻き込みたくはない」
口にして、手すりから背中を離す先輩。ゆっくりと、わたしから離れていく。
「後方に徹してくれ。怪しいと思ったら何でもいい、全部僕に伝えること。危険だと判断したら、構わず逃げてほしい」
そう言って、先輩は再び歩き出した。何か言おうとして、喉の奥がつっかえる。胸倉に手を乗せて、ぎゅっ、と握るだけ。黒い影が去るのを、止めることができない。
ドアを開けて、階段を降りる寸前、先輩は振り向いた。
「きみには、こっち側にきてほしくなかったよ」
最後にそれだけを言い放って、先輩は階段を下っていく。錆び付いた寂しい音と共に、ドアが閉められた。
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