第39話 最終日
ナイヤは考える。
グロッソが何を求めているのかわからなかった。思考が止まる。
普通に考えれば、値段は仕入れ値以上で売る以外に答えはない。
けれど、『誰に』というのはどういう意味だろうか。
商売上のターゲット、客層という意味だろうか。
「市販品ではなく、珍品を求められるくらいのお金を持った方……です」
「なるほど……」
グロッソが椅子に深く背中を預け、自慢のカイゼル髭を撫でた。
ナイヤの心中が暗くなっていく。
彼の表情が晴れないからだ。
「ナイヤ……お前が売ろうと思っている方々の目は肥えている」
グロッソが身を乗り出し、両肘を机において手を組んだ。
重々しい声が響く。
「『知識のない一般人』に、お前が私にした説明をして、贋作とわかりつつ高値で売る――という方針だったなら、ナイヤに商人の才能はあるだろうと思う。そんな商人は大成できないがな」
ナイヤは自分の顔から血の気が引く音を聞いた。
「だが、お前は本当にこの品すべてを本物だと信じている。……意味がわかるな? 商人を目指すものが、街の商人に口八丁で丸め込まれ、贋作を高値で掴まされたのだ」
「で、でも……全部に作者の意匠が確かに……」
グロッソがネックレスを持ち上げて、ナイヤに差し出す。
「お前が言っている名工は、生涯で指輪以外を作っていない。それは自身の自伝で語っている――初歩的すぎるミスだ」
「そんな――」
「他の三品についても似たようなものだが、長々と説明する時間がもったいない。ナイヤ、以前も話したが――見た目に騙されては良い商人は務まらない。目で見て、触れて、その作者の意思を読むのだ。名作と呼ばれるモノは必ず何かを持ち主に訴えてくる」
グロッソが言葉を切り、一呼吸置いた。
それは苦渋の決断に見えた。
「商人になれなかった場合は貴族とのパイプに使うと、以前に伝えたな――三度の試験の結果を言い渡す」
「お父さまっ! 待って、私、私は!」
「ナイヤ、お前はモノの表層に囚われすぎる。触れて何かを感じられないのであれば――」
揺れていたグロッソの瞳が、今はたった一つの答えに向けて鈍く光っていた。
当主として最良の選択をすると決めた瞬間だった。
だが、その冷徹な瞳を見て、ナイヤも腹をくくった。
「待って! もう一品だけあるの! ゲインお願い!」
「ここに」
ゲインが持っていた袋の中から何か長い棒を取り出した。
それは木彫りの縦笛だった。
ゲインの手からグロッソに渡る。
数秒眺めていたグロッソが表情を硬直させた。
口から漏れた声が震えていた。
「ナ、ナイヤ……これをどこで手に入れた?」
「もらったの!」
「これをもらった!? 誰からだ?」
「私とゲインを助けてくれた人……」
「タダで渡してくれたのか?」
ナイヤは胸の前で両手を組み、こくんと小さく頷いた。
「私がお父さまの試験を受けてるって聞いて――『たぶんいい結果になるだろう』って、渡してくれたの」
グロッソが眉をつり上げる。
全身から混乱がありありとにじみ出ている。
「バカな……どうして……なぜこれを最初から出さなかった?」
「だ、だって……それに触れてると……なんだかゾクゾクして怖かったから……」
ナイヤが切実に訴える。
「もしかしたら危ないモノかもって思って」
グロッソの瞳に光が灯った。
見る間に口元が綻びていく。
闇の中で出口を見つけたかのように喜びがわき上がっていた。
「それだナイヤ……その感覚だ。そうだ……本当の逸品には良いも悪いもないのだ。お前が触れて何かを感じるのなら……なれるぞナイヤ。お前は商人としての可能性がある!」
「本当に!?」
「本当だとも。この笛は途方もない価値があるものだ。私も不思議な感覚がある……」
グロッソが目を凝らして笛を眺めながら指先で細部に触れる。
「誰から貰った?」
「ナギっていう冒険者の人……たぶんまだ日が浅い冒険者だって、ゲインが」
「日が浅い冒険者がこれを……他に何か言ってたか?」
ナイヤは必死に記憶を呼び起こす。
確か、ナイヤの品を見たあとに笛を渡されたのだ。
「えっと、『何か感じたからここまで持ってた』って……」
グロッソが声にならないうめき声を漏らした。
「欲しいな」
「え?」
「何でもない……そのナギという者と連絡は取れるか?」
「それは……冒険者ギルドに行くみたいだったからたぶん……どうして?」
「この笛を売って良いか確認したい」
「それなら大丈夫。ナギも売っていいって言ってた」
「お嬢様の言うとおりです。きちんと確認までしておられました」
ゲインが横から口を挟んだが、グロッソは「ただの売買ではないからだ」と首を振った。
「半年後のオークションに出す」
「オークションっ!? あの三年に一度の!」
「それくらい価値があるものと判断した」
「そ、そんなに……」
「本当に出品者として名前を出さなくて良いのか確認したい。それと――これは他言無用だ」
グロッソは厳しい顔をしてその場の全員に視線を巡らせた。
ナイヤはただ事ではないと内心慌てつつも、その場に自分がいられることにわくわくし、そして――機会を与えてくれることになったナギに、今すぐお礼を伝えたかった。
◆◆◆
胡座をかいていた俺は、ゆっくり瞼をあげた。
背中には温かいアルメリーの背中の感触。
俺たちは背中合わせで座ったまま睡眠を取っていた。
ずっと落ちていた首の後ろが頭の重みで軽い痛みを感じる。
ほぐすように首を回し、視線を上げる。
遥か高い上空にはぽっかりと空いた穴があり、青い空が見える。
今日もいい天気だ。
地獄のような環境で垣間見られるわずかな心安らぐ時間。
ずっと地下に籠もっていると、どうにも時間の感覚が曖昧になる。
エアコンのきいた部屋でスマホをいじっていた生活がとても昔のことに感じる。
と、背中合わせのアルメリーが小さく身じろぎした。
タイミングぴったりだ。
彼女は三角座りしたまま寝ていたようだ。
「起きた? アルメリー」
「……うん、夕ご飯食べたかなぁ?」
まだ寝ぼけているようだ。
俺は小さな笑みを零し、
「携帯用ならまだあるけど」
ポケットから茶色く干からびた干し芋と木の実を砕いて丸めたものを差し出す。
この場所に放り込まれてから散々食べたものだ。
というよりまともな食料がほとんど見つからないのだ。
「やだぁ、たまにお肉がいぃ」
「わがまま言わない。昨日食べちゃったから、ないぞ」
「そうだっけ?」
「アルメリーが全部食べちゃったじゃん。ウサギ一匹……」
「……お腹減ったぁ」
アルメリーが頬を膨らませてぷいっと拗ねたように視線を逸らした。
「目は覚めたみたいで良かった」
俺とアルメリーのやり取りも随分フランクになった。
まあアルメリーは元からで、俺が敬語を使うのをいつの間にか辞めてしまったのだ。
生死の危機を二人で乗り越えているうちに、自然と。
今のアルメリーは同じ経験をした同志そのもの。
「師匠から今日の指令来た?」
アルメリーがぐいっと首を回す。
俺はかぶりふりつつも、「今、来たみたい」と上空に視線を向けた。
小さな紙切れが一枚、ひらりひらりとのんびりした調子で落ちてきた。
「師匠って、絶対私たちの様子ずっと見てるよね」
アルメリーが両腕で自分の肩を抱きながら大げさに身震いする。
俺は肩をすくめて、
「まあ、いつ寝てるのかは謎だな」
と賛同する。
俺たちが起きたタイミングで必ずメモが落ちてくるし、絶妙な力加減で攻撃をしかけてくるのだ。
はっきり言って、《無戦》の魔術師の恐ろしさを舐めていた。
何度、弟子になったことを後悔したかわからない。
幾度となく陥ったピンチを苦い気持ちで思い出しながら、落ちてきたメモを掴み取って視線を通す。
背筋に震えを感じた。
敏感にその気配を感じ取ったアルメリーが首を伸ばしてきた。
「なんて書いてあったの? ――今日が最終日!? えっ、うそ、ほんとに半年も経ったの!?」
「みたいだなぁ……もう半年もこんな陰気な場所にいる俺たちすごいって、ほんと思う」
「で? で? もう出られるって? お肉食べ放題?」
「……いや、先に修行を乗り越えた素晴らしいプレゼントがあるそうだ。はははははは……」
「えぇぇぇっ、最終日まで!? もうやだぁ!」
「俺だって嫌だっての! 師匠がまともなプレゼントなんてくれたことあったか!?」
「プレゼント――強い敵、ひどい攻撃、恐ろしい罠、つらい毒……」
「思い出させるな!」
「だってぇ」
「一応、全部乗り越えてきたんだ! 俺たち二人で! もう忘れよう!」
「乗り越えてきたっていうかぁ……乗り越えないと死んでたっていうかぁ」
アルメリーがずるずると地面に伸びていった。
もう力が入らないとばかりに完全に熊の敷皮みたいになっている。
俺もそうなりたい。
だが――師匠はこんなパフォーマンスで手を緩めるような甘ちゃんでは決してない。
むしろ、ここぞとばかりにメニューを増やすドSな性格なのだ。
「ほら立って、アルメリー!」
「最終日くらいゆっくりしたいー、もうゾンビもメメントガスも、墓守男爵もやだぁ。ゆっくりお肉焼いてベッドで寝たいのぉ」
「バカ、そんな師匠が喜ぶような台詞を吐くんじゃない! 絶対近くで聞いてて、ほくそ笑んでるぞ!」
「ナギの《強感力》なら魔力が見えるんでしょ……師匠の魔力探して……」
「どうやってるか知らないけど、師匠は見つけられないって前も言っただろ!? ほら立って! メモが上から振ってきてる時点で、絶対近くにいるって」
「もう、ナギのバカぁ!」
「なんで俺!? バカはアルメリーの方だろ! 今日一日乗りきったら、めくるめく平穏な日々がようやく戻ってくるんだ! な?」
「うぅぅ……」
「終わったら一緒にご飯行こうぜ」
「うん……」
「冒険行って――師匠の下から一緒に逃げよう」
「うん……よっし、やってやる!」
「誰から逃げるって?」
周囲の空間に聞き慣れた声が響き渡った。
心の底から邪悪さを絞り出したような悪意に満ちた声だ。
俺たち二人は喉奥で小さな悲鳴を漏らし、すくみ上がった。
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