第9話 ようこそアンダン亭へ

 店は騒がしかった。中は意外と広く、丸テーブルにかけるいくつかのパーティや立ち話をしている男女など、人種も様々だ。

 ぐるっと見回しガダンさんを探したものの見える範囲にはいない。


「厄介者を連れて何か探し物かい? 新顔くん」


 そう声をかけてきたのは禿頭に蛇の入れ墨を掘った男だった。

 わかりやすい悪者顔だ。

 周囲には扇情的な衣服に身を包んだ三人の女性。甘ったるい香水の香りがテーブルに纏わり付いているようだ。


「ガダンさんを知りませんか? 約束がありまして」

「知ってるぜ。この店の二階にいる。静けさを好むあいつの定位置だ」


 男は顎で店の奥の階段を示した。


「助かりました」


 さっさと離れようとして、背中に声がかかる。

 そうだろうな、とは思っていたが。


「まあ、待ちな。その階段は通行料が必要だ。金貨一枚」

「持ってないですね」

「なら、俺に勝つしかないな」


 男の言葉で後ろの女性たちの笑みが深くなった。

 一瞬の沈黙と好奇の視線。

 店の最奥に立つ若い女性のバーテンダーの視線も感じた。

 異世界ではカツアゲがデフォルトなんですね。


「座りな。賭けをしよう」


 店ぐるみの乱暴な招待だろうか。

 ガダンさんを少し恨みつつ、言われるがまま椅子に座る。

 背後でアルメリーさんがあわあわしている気配を感じる。

 ゴーストには強いけど、こういう人と争う場面はダメらしい。

 そして俺は――怖いほど冷静だ。


「ルールは簡単だ。コインの表か裏か当てるだけ。簡単だろ? こっちの顔がある方が表だ」


 男は後ろの女性から一枚のコインを受け取り、カランと音を鳴らせて銀ほカップに放り込む。軽く振り、机に逆さまに置いた。


「さあ、どっちに賭ける?」

「表で」


 カップが上がる。顔がある。表で当たりだ。

 男が拍手を鳴らした。


「幸先がいいな。後ろの女は幸運の女神ってか?」

「俺の勝ちでしたね」

「三本勝負に決まってるだろ?」


 立ち上がろうとしたが、左右の腕を女性たちに捕まれて椅子に座らせられる。

 禿頭の男が机に乗り出し、「二本目」と抑揚のない声で有無を言わせずコインを振った。


「どっちだ?」

「うーん、表で」

「残念、裏だ。幸運の女神には裏切られたようだな」

「私は裏切らないわ!」


 アルメリーさんの何かのツボに入ってしまったようだ。「まあまあ」と首を回してなだめておく。

 机の上では一枚の銅貨が裏を向いている。

 男は酒瓶を一気にあおり、ナイフを取り出して机に刺した。


「次が三本目だ。今なら出て行かせてやってもいいぜ」


 ――五体満足のうちにな。

 そう言わんばかりの表情でのぞき込む男に、俺は平静に言った。


「一応、コインを確認させてもらっても?」

「もちろんいいぞ」


 男が指先でピンと弾いた。

 俺は手に取って表裏を入念に確認する。


「終わったか?」

「ありがとうございます」

「じゃあラストだ……いいんだな?」

「約束があるので」


 男が笑みを深め、コインを入れた。

 だが、まだひっくり返さない。焦らすようにカップを回している。

 硬質な音と緊迫する店内。


「さあ、どっちにする?」

「表で」

「まーた表か。少しは考えろ。同じ答えで勝てるほど、賭けは甘くないぞ。お前の命運が決まるかもしれねえんだ。じっくり考える時間くらいはやる。俺は優しいんだ」

「いえ――表で」

「迷いがないのはいいことだ。若者の特権だな」


 男がカップを大げさに回し、高らかに音を鳴らして素早くひっくり返した。

 そして、空けようと手をかけた瞬間だった。


「やっぱり裏にします」

「はぁ? 今さら何を」


 俺は素早くカップを横から奪い取った。そこにあったコインは顔がない方。つまり裏だ。

 やっぱり。

 これはどうあがいても勝てない勝負だった。


「おいおいおい、寸前に心変わりとは。それはないだろ?」


 大げさに失笑する男の前で、俺は自分の右隣に立つ女性に指を向けた。

 店内の視線が集まる。

 

「新人をあまりいじめないでください。一対三では無理ですって」


 俺は微笑みながら禿頭の男の左右を固める二人の女性も順に流し見た。


「コインの……やり取りしてるでしょ?」


 その言葉に、長身の一人がふっと目元を緩めた。

 艶のある長い黒髪を揺らす妙齢の女性だ。


「ダズ、もういいわ。十分わかったから」

「姐さん……はい! 辞めます!」


 禿頭の男がころっと表情を変えた。いかめしい顔つきが嘘のように緩むと、その場の立場が逆転した。


「どうしてわかったか知らないけど、聞いてた通り、とっても冷静ね」


 黒髪の女性は自分の髪をわしゃわしゃとかき上げ、俺の耳元に唇を寄せた。


「階段を上がりなさい。ガダンと、私が作った料理で歓迎してあげる。もちろん、アルメリーもね。ようこそアンダン亭へ」

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