第38話 羨ましい

 重い足を引きずるようにして、ライサは家の外へ出る。扉を開けた瞬間、ライサは違和感に気づいた。

「あたたかい……?」

 防寒具や魔法具で守られていると言っても、夜の外気はもっと冷え込んで、肌を刺すような冷気が襲ってくるはずなのに、今はそれがない。

 まるで室内にいるかのように、空気が柔らかいのだ。足下の雪も少なくなっているように思う。


「もしかして、炎龍の魔核が……?」

 このあたたかさが、炎龍の魔核のおかげならば。それを持ち帰ってきたザックのおかげでもある。

 ライサは一瞬、背後を振り返った。家の中に戻って、ザックにもう一度感謝を伝えて、ちゃんと気持ちを伝えようか。

 でも、もし自分の言葉が、無理矢理言わされた「嘘」だと誤解されてしまったら。

 「好き」と言おうとして、また怖くて上手く言葉にすることができなかったら。


 ライサは背筋を震わせると、少ない雪を踏みしめて歩き出した。ここで失敗したら、もっとザックを傷つけてしまう。ニーナ村長さんの家に行って、一旦彼とは距離を置こう。

 それが、「逃げ」であるとどこかで認めつつ、ライサはニーナたちの家に向かった。





「ライサじゃないか。どうしたんだい? こんな時間に」

「すみません。その、祭具ができたので見ていただこうかと思ったのと、ザックが炎龍の魔核を持って帰ったと聞いたので、えっと、彼が見せてもらったらどうか、と」

 ライサはニーナの格好を見下ろしながら、しどろもどろに答えた。

 ニーナは防寒着に身を包み、今まさに外出するところに見えたのである。

 お邪魔だっただろうかとライサが視線を泳がせていると、ニーナは力を抜いて柔らかい笑みを浮かべた。


「そうか。入れ違いにならなくて良かったよ。せっかくだし、ライサにも見せてあげようかねぇ」

 ニーナはニヤリと歯を見せて笑い、どこか得意気だ。ライサを家に招き入れながら、彼女はそれにしても、と呟く。


「ザックはちゃんと家に帰ったんだね、良かった。今はどうしてる?」

「あ、その――自室で休んでます。さすがに疲れていたみたいで」


「だろうねぇ。ちょっと顔色が悪かったから心配してたんだよ。それに、炎龍の魔核を譲ってもらってくるって言った時のザックが、酷く思い詰めているようにも見えてねぇ。それでつい、あの時は口を出しちまったんだ」

 無事に戻ってきてくれて良かったよ。ニーナはしみじみと呟きながら、家の奥へと入り工房に続く扉を開いた。村長の自宅から巨大工房へは、扉でつながっているのである。


 工房にはロジオンがいて、ライサの姿を見ると少し驚きつつも顔を綻ばせた。

「おお、ライサちゃんじゃねぇか。どうした?」

「えっと、私は……」

「炎龍の魔核がみたいって言うんで、見せてやろうと思ってね」

 ニーナの言葉に、ロジオンは納得したように頷いた。彼は背後を一瞥すると、体を横にずらす。


 彼の背後にあった机の上に、ランタンのようなものが置かれていた。白銀の入れ物の中には、明々と光る薄橙色の球体が浮かんでいる。

 球体は、磨き抜かれた金剛石よりも、ずっと鮮やかできらびやかに輝いていた。薄紅、深紅、赤紫、橙、そして黄金。変化する色彩は生命力に満ち溢れ、ライサの胸を熱くする。

 

「これが、炎龍の魔核だよ。殻は既に取り除かれた、剥き出しの状態だね」

 ニーナの声に、ライサはぼんやりと頷く。いつもシャトゥカナルから見上げていたからだろうか。懐かしいような、恋い焦がれていた相手にようやく出会えたような、不思議な感慨を覚える。

 思っていたよりもずっと小さい。幼い子どもの握り拳くらいだろうか。


「小さい、ですね」

「ああ、驚くだろう? この小さい魔核に、力がぎゅっと込められているんだ。今はこの入れ物に収めているから、力はずっと抑えられているんだけどね。シャトゥカナル最上階にある台座の上に置けば、本来の力が解放されるよ。そうなったら、もう裸眼で見ることはできないだろうね」


 もう少し近づいても平気だよ。直接触れなければね。ニーナはそう言って、嬉しそうに笑う。

 ライサは恐る恐る魔核に近づいていく。触れないように注意しながら、そっと手をかざした。

「あったかい……」

 手のひらから熱が伝わり、全身を包まれるような安心感で満たされる。

 なんだか、その温かさと安心感はザックとの抱擁を思い出してしまう。ライサは思わず、表情を曇らせた。


「村のみんなにも見せてやりたいけど、それよりもシャトゥカナルに早く魔核を届けに行きたいしねぇ。まぁ、どうしても見たいって言うなら、後日陛下にでもお願いするかね」

「お前も早く肩の荷を下ろしたいだろ、ニーナ。このところよく眠れてなかったじゃねぇか。なんだったら、俺が届けに行くから、お前は休んでても良いんだぞ?」

 ロジオンがニーナに近づき、そっと彼女の肩に手を置いた。ゴツゴツした手に似合わず、繊細で労るような仕草である。


「馬鹿なことを言うんじゃないよ。村長の私が運ばなくてどうするって言うんだい? 休むのは、ちゃんと全てを見届けてからにするよ」

「おう、そうか! なんだったら、しばらく俺が村長の仕事を代わってやったって良いんだぜ?」

「ふふ、脳味噌まで筋肉でできてるアンタに、村長の仕事がこなせるとも思えないけどねぇ。まぁ、気持ちだけ受け取っておくよ」


 そう言って笑うニーナの表情は、とても穏やかで柔らかい。ロジオンの隣に立つ彼女は肩の力が抜けていて、良い意味でいつもの彼女らしくない。

 ああ、やっぱりこの二人は、長年連れ添ってきた「夫婦」なのだ。


「――っ!? ライサちゃん、どうした?」

「え、あ……」

 ロジオンの言葉に、ライサはパッと自分の頬に手を当てる。頬は、あたたかい液体で濡れていた。視界も滲んでいて見えづらい。

 そこでようやくライサは、自分が泣いていることに気がついた。


「す、すみません。あの、気にしないでください」

「気にすんなって言われてもだな……。何か、気に障る事でもしちまったか?」

 ロジオンは、オロオロと大きな体を落ち着きなく動かしている。申し訳なくなって、ライサは涙を拭うと首を激しく横に振った。


「そうではないんです。その、お二人の様子を見ていたら……とても、羨ましくなってしまって……」

「『羨ましい』?」

 ニーナが怪訝そうに呟く。

 上手く言葉にすることができずにライサが黙り込んでいると、ニーナがロジオンの肩にポンと手を置いた。


「ロジオン。アンタはちょっと家の外に出てな」

「え? は? なんでだよ⁉」

「女同士の秘密の会話ってやつさ。野暮なこと聞くんじゃないよ」

 ニーナはそのまま、ロジオンの体をくるりと回転させる。


「だったら別に、工房の外でも良いんじゃ」

「鈍い奴だねぇ。絶対アンタに聞かせたくない話なんだよ、盗み聞きされちゃたまんないからね。幸い、炎龍の魔核のおかげで、今は外でも温かいだろう?  つべこべ言わずに出て行きな!」

 不満げな声を上げるロジオンの背をぐいぐい押して、ニーナは彼を工房から追い出してしまった。

 

 しばらく扉に耳をそばだてて、ニーナはふうとため息を吐く。

「ライサ。ザックと何かあったね」

 確信を持った呼びかけだった。ライサはぐっと言葉を詰まらせながら、ニーナを見下ろす。真っ直ぐ自分を見つめる彼女の瞳には、厳しさと優しさが込められていた。

 その眼差しに絆されるように、ライサは口を開く。


 ザックに自分の気持ちを伝えようとしたこと。しかし、自分を置いていってしまった母親のことを思い出し、怖くなってしまったこと。

 そして先ほど、ザックに『嘘でもいいから好きと言ってほしい』なんて言葉を言わせてしまったこと。それが辛くて腹立たしくて、悲しかったこと。


「心変わりを恐れているのも、ザックのことを信じているはずなのに信じ切れていないのも、それでザックを傷つけてしまったのも全部私の問題で、私が悪いって分かってるんです。分かってるんです、けど……」

 ザックもいつか母親のように「心変わり」をして、自分から離れていってしまうかもしれない。この幸せな日々が終わってしまうかもしれない。

 そんな考えが、「呪い」のように張りついている。


「それで逃げるようにニーナ村長のお家に来てしまったんです。そしたら、お二人がお互いを心の底から大切にして思いやっているのを本当に良いご夫婦だなあと思ったら急に」

「だから羨ましいって? 私たちのことが? ふふ、そりゃ買いかぶりすぎだね。私たちほど度々村を巻き込む大喧嘩をして、しょっちゅう離婚危機に陥っていた夫婦もいないよ」

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