第36話 祭具作り

 薄鱗蒼紅樹はくりんそうくじゅの花は、ライサとザックのどちらが世話をするか、生育に一番適した気温はどこかなどで、その都度鉢の置く場所を変えていた。今朝はザックの部屋に置かれていたため、彼が鉢植えを抱えて作業場へと入ってくる。

「ほら、ライサ。見てみなよ」

 その花を見たライサは、ブルートパーズのような瞳を輝かせて息をのんだ。

「わ……すごい……」


 透明な氷でできた彫刻のような茎と葉、その先に二つの色が生まれていた。キラキラと光を零していて、まるでその周囲だけ時が止まっているかのよう。半透明な花びらの蒼と紅が交互に折り重なって、所々紫色に見える。花びらは全部で六枚。蒼と赤、ちょうど三枚ずつだ。

 ザックは、鉢植えを慎重に作業場の机の上に置く。

「触ってみなよ。ちょっと変わった触感がするんだ」


 こんな神聖なものに触れても良いのだろうか。ライサは躊躇いながらも、そっと指先を伸ばして一枚の葉に触れた。すぐ壊れてしまいそうな見た目に反し、固くしっかりとした感触がある。意外と肉厚で、耳朶くらいの厚さだろうか。親指と人差し指で挟むようにして触れると、ほのかに温かく柔らかい。生き物の肌のようだ。


「本当ね。もっと固いかと思ってたわ」

「加工すると金属みたいに固くなるんだけど、無加工だと柔らかいんだ。不思議だよな、生きてるって感じがする」

 そうね、とライサはザックに相槌を打つ。

「さて、やり方はばあちゃんたちに聞いてきたし、早速やろうか」


 そう言って、ザックはライサにハサミを手渡してくる。軽く深呼吸をし、ライサは震える指で花びらの根元を切り取った。

 紅の花びらはルビーのような赤色、蒼の花びらはサファイア、よりはもっと薄い色だろうか。植物とは思えない、光を湛えた美しい色だ。

 見とれていると、背後でザックが何かに気づいたような声を上げる。


「あ。その蒼い花びら、ライサの目の色と同じ色だな」

「……私の目は、こんなに綺麗じゃないわよ」

 照れ隠しにライサが呟くと、ザックは笑ってライサの頭を軽く撫でる。

「おれにとっては、ライサの目の方が綺麗だよ。――じゃあ、必要な道具をとってくる」

 言うだけ言って、ザックはさっさと作業場の外へ出て行ってしまう。


 私も、この花びらの赤色よりもザックの瞳の方が良いな。頬を赤く染めながら、ライサはそんなことを思う。

「さて、作るぞー!」

 道具を抱えて戻ってきたザックに、ライサは慌てて駆け寄った。


「まずはこの薄鱗蒼紅樹の根を煮出してできた液体に、花びらを浸すんだ。数分ほどつけた後で乾かすことを繰り返すと、花びらが液体でコーティングされて次第に固くなっていくらしい」

 ザックに言われ、ライサは鍋の中にそっと二色の花弁を浸す。薄鱗蒼紅樹の根も透明だったからか、根を煮出した液体も一見するとただの水のようだ。

 しかし、数分待って花びらを取り出すと、先ほどまではなかったつるりとした艶が現れている。


「乾かすのに、どのくらい時間がかかるのかしら?」

「十分くらいだって。そんなに時間はかからないかな」

 できるだけ早く作りたいから、早く済むのはありがたいよな。ザックは笑いながらそんなことを呟く。

 彼の言うように、十分ほど待つと液体は完全に固まり、持ち上げても垂れてくる様子はなかった。

 ライサは花弁の様子を見ながら、再び液体にそれを浸していく。


「この作業が終わったら、次は何をするの?」

「次は余分な凹凸を削って磨きながら、形を整えていくんだ。より龍の鱗に近づくようにな。それはおれがやるよ。その間に、ライサは別の作業を頼む」

 ザックは薄鱗蒼紅樹の茎と葉をハサミで切って、それをライサに手渡した。


「茎と葉を細かく切ってすりつぶして、乾燥させるんだ。そうすると、キラキラに輝く粉ができる。本物の龍鱗は、よく見ると物語に出てくる妖精の羽みたいにキラキラしてるからさ。これをふりかけてまた根の液体でコーティングして、よりにするらしい。粉をちゃんと素材に定着させないといけないから、ここは時間のかかる作業だぞ。丁寧にやらないと、ムラもできるしな」


 花も葉も茎も根も、祭具作りでは全ての素材を上手く活用しているようだ。ライサは感心して、深く頷く。

「薄鱗蒼紅樹も無駄なところがないのね」

「そうだな。本当は別の素材を使っても良いらしいんだけど、全部無駄にしないようにって、この村の人がずっと考えて工夫してきたんだろうな」

 ザックがしみじみとした口調で答える。

 伝統的なお祭りの祭具だ。良いものを作ろう。改めてライサは気を引き締めた。

「ここから時間がかかるぞー。頑張って作ろうな」

「ええ」

 ザックの笑顔にライサも笑みを返した。





 筆で花びらのほこりをそっと払う。艶のある蒼色が一層輝きを増した。角度を変えて明りに透かしてみると、きらりときらりと星のように瞬く。色や細かな粒子にもムラはないようだ。

 あの柔らかかった花びらの触感はもうない。中指ほどの大きさをした少し平べったい形状は、確かにトカゲやヘビの鱗に似ている。しかし、どんな宝石よりも美しく輝いていた。

 本物の氷龍と炎龍の鱗は、こんな風に美しいものなのか。ライサはため息と共に呟いた。


「やっと、できた……」

 結局、途中でムラができてしまったり、形の加工が上手くいかなったりで花びらを無駄にしてしまい、最後の最後でようやく納得のいくものが完成した。

 作り始めてからおよそ一週間、予定よりも時間がかかってしまった。

 失敗してしまった分は、自分のアクセサリーとして使おう。そんなことを考えながら、ライサは完成品を見つめて微笑んだ。


「帰ってきたら、ザックにも見せてあげなくちゃ」

 昨日、ニーナ村長とロジオンが、炎龍の魔核を収めるためのケースを持ってきた。国王陛下に進言して借りてきたものを、スノダールの職人たちの手でよみがえらせたものである。

『ライサ。おれ、炎龍のところに行ってくる。後のことは、任せても良いか? 早くみんなを安心させてやりたいんだ』

 そう問いかけるザックに、ライサは任せてと頷いた。こうしてザックは、今朝早く出かけていったのである。


 炎龍と会うことに危険はないと言っていたが、やはり心配だ。ライサは頬杖をつきながら、完成した祭具を眺める。

「ザック、ちゃんと無事に帰ってくるわよね」


『おかあさん、おかえりなさい!』

『ライサ、ただいまー』

 思い出した声は、ザックのものではなかった。ライサは肩を大きく震わせる。

 最近、こうして一人でぼんやりとしていると、母親のことを思い出してしまうのだ。




 物心ついた時から、ライサに父親はいなかった。時々、父と呼べるような人もいたような気がするし、いなかった気もする。母は銀色の髪と深い青色の瞳を持つ美人だった。ライサとは、あまり似ていなかったように思う。


『おかあさん、おかえりなさい!』

『ライサ、ただいまー。疲れたー!』

 シャトゥカナルの最下層での母と子の二人暮らし。決して裕福ではなかったが、仕事終わりの母が自分を抱きしめてくれることが、ライサは大好きで幸せだった。夜遅くまで仕事をしていた母は、お酒の香りに混じっていつも花のような香りをまとっている。


『おかあさん、大好き!』

『私も大好きよ、ライサ』

 そう言うと、母は必ず笑顔を返してくれて、ライサの頭を優しく撫でてくれる。

 ライサは、母が大好きだったし、母も自分を愛してくれていると思っていた。


 そしてずっと、そんな幸せな日々が続くと信じていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る