第10話 ザックの生い立ち

 突如意識が浮上し、目を開けたライサは上半身を起こす。ここはどこだろう。記憶が繋がらずにぼんやりと周囲を見回す。

 自分が寝かされていたのは、ライサが二人並んで寝てもまだ余裕のありそうな大きなベッドだ。背中を丸めていないと寝られなかった、叔父の家のベッドとは全く違う。


 ふと窓の外へ視線を向けると、降り積もった雪による純白の世界が広がっていた。そこでライサは自分の状況を思い出す。

 そうだ、私はスノダールへ来たのだ。しかし、どうしてベッドで寝ているのだろう。昨夜食事をとっていた辺りから、記憶が全くない。

 ライサは慌てて寝台から抜け出し、家主ザックの姿を探した。


「おお、起きたのか? おはよう、ライサ」

 ライサが声をかけるより先に、ザックが明るい声を出す。彼は家の外にいたようである。

 真っ白な雪が地面を覆い隠し、僅かな日の光を集めて無垢な輝きを放っている。吐き出す息は白いが、思ったよりも寒さは感じない。


 ザックは手に木剣を握っていて、上半身に着用しているのは麻か綿でできた衣服一枚だけだ。ライサは一瞬ギョッとするが、素振りでもしていてきっと暑いのだろうと思い直す。

 無言で立ち尽くしていると、ザックがゆっくりと近づいてきた。


「よっぽど疲れてたんだな。ライサ、食事が終わった後、そのまま寝ちゃったんだぜ? 目が覚めたら突然ベッドの上でびっくりしただろ」

 なんと、そうだったのか。

 ライサは羞恥で頬を染める。ということは、ザックがベッドまで運んでくれたのだろうか。手を煩わせてしまったことに今度は顔を青くして、ライサは深々と頭を下げた。


「ごめんなさい。ザックが運んでくれたのよね? 手を煩わせてしまって」

「あー、全然! ライサ、心配になるくらい軽かったし、これぐらいどってこと――あ! お、おれはベッドに運んだだけで、何も変なことはしてないからな!?」

 太い腕をブンブン振り回して弁明する彼がおかしくて、ライサは僅かに頬を緩めた。

「分かってるわ。大丈夫」


 しかし、料理を作ってもらったり、ベッドまで運んでもらったり、昨夜から助けてもらってばっかりだ。

「ザック、何か私にもできることはあるかしら?」

「え? いや、いいよ。気にしなくてもさ」

 でも、とライサが縋るように呟くと、ザックは仕方がないなと言うように、鼻で息を吐いて笑顔を見せた。


「じゃあ、部屋の掃除とかやってもらえると助かるかな。おれ、掃除や整理整頓はあんまり得意じゃないからさ」

「掃除ね。分かった、頑張るわ」

 家の中が乱雑としていたことを思い出し、ライサは片づけ甲斐がありそうだと気合を入れた。


「そうだ。あっちに村の水場があるから、顔でも洗ってきなよ。水場も魔法具だから、雪の中でも水が凍らずそれほど冷たくないんだ。掃除も良いけど、まずは朝メシ、そして魔法具だな」

 そうだ、魔法具。ただでさえ貴重な時間を無駄にしてしまったのだから、急がなければ。

 ザックが差し出した手拭いを受け取り、ライサは顔を洗いに村の奥へ向かった。




 水場は村の中央に設置されていた。大木をくり抜いて作った長方形の器に、澄んだ輝きを放つ水が満たされている。

 丸太の側には手押しの金属製のポンプが設置されていて、ポンプを押して出た水が丸太の中に溜まっていく仕組みのようだ。ポンプの下は雪に埋まっているので分からないが、地下水か何かを汲み上げているのだろうか。


 ザックの言う通り、満たされている水は凍っている様子がない。警戒しながら片手を差し入れると、心地よい程度の冷たさがライサの手を包み込んだ。

「すごい……」

 思わず感嘆の声を漏らしながら、その水をすくって顔を洗った。

 かなり気分がすっきりした気がする。これなら、いつも眠たそうと言われる自分の瞳も、いくらか大きくなっているのではないだろうか。


「おや、お嬢さんは確か……」

 試しに自分の顔を水場に映していたところだったため、ライサは弾かれたように振り返る。叔父と同年代くらいの、村人らしき男性がこちらを見つめていた。

 ライサは手拭いでサッと顔を拭くと、男性に軽く会釈をする。


「おはようございます。その……」

「なんか、ウチの村長が無理難題を吹っかけたんだって? 大丈夫なのかい?」

 なんと説明しようか迷っている間に、男性が素早い動きで一気に距離を詰めてきた。手鼻をくじかれたライサは、そのまま口をつぐむ。

 そうか、試練の噂はもう広まっているらしい。その男性に続くように次々と村人たちがやってきて、ライサはあっという間に囲まれてしまう。


「ライサちゃん、ウチの村長がすまないねぇ。三日で魔法具なんかできるわけないだろうに! 自分も歓迎していたくせに、何を考えているんだろうねぇ?」

「何かアイデアは出てるのか? 欲しい素材があったら言ってくれ。ウチから持ってくるからな」

「そうだ! 俺は兵士様が使う武器なんかを作ってるんだが……鞘から抜くと軽快な音楽が鳴る剣なんてどうだい⁉︎ もしくは、敵に向けた途端に七色に光るとか」

「馬鹿! そんなもん、何の役に立つんだよ⁉︎」


 村人たちの勢いに押されて、ライサは目を白黒させてしまう。みんな一生懸命助言をくれているのだが、それに返事をすることもままならない。

 困るライサの様子に気づいたのか、一人の柔らかい雰囲気の女性が両手を打ち鳴らして声を張った。

「こらこら! いっぺんに言われちゃ、ライサちゃんが大変よ。一人ずつゆっくりとね!」


 マズイという顔をして、村人たちは一斉に口をつぐんだ。ライサはありがとうございますと頭を下げた後で、ふと疑問に思ったことを口にする。

「その、皆さんはどうして、こんなによくして下さるんですか? 私、この村に来てまだ少ししか経っていないのに」


 村人たちは意外そうな顔をして、お互いに顔を見合わせる。一人の坊主頭の男性が、口元を緩めて照れたように頭をかく。

「まぁ、とにかく若者が少ない場所だならな。ウチの息子も都市の方が便利だってんで、村を出ちまったし。それで、せっかく来てくれた若い娘さんにしたかったっていうのもあるが……正直なところ、俺たちは早くザックに職人になってもらいてぇんだよ」

「ザックに?」


 ライサが聞き返すと、村人たちは再び顔を見合わせる。誰が話を切り出すか相談している、そんな雰囲気にも見えた。

「そうね。ザックの生い立ちに関わる話だけど、私たちが勝手に話して良いのかしら?」

「まぁ、ザックなら気にしねぇだろ?」

 それもそうね、と女性があっけらかんと口にしたのを聞いて、ライサは思わず口をポカンと開く。


「ザックが、一人暮らしってところで察しているかもしれないけれど、ザックには産みの親がいないの。ある日、まだ赤ん坊のザックを、ニーナ村長たちがどこからともなく連れて帰ってきたのよね」

 詳しいことは聞いても話してくれなかったわ。女性はゆっくりと首を横に振った。彼女の後に続けて、眉の太い男性が口を開く。


「あの二人は子どもに恵まれなかったこともあってな、実の息子のように愛情かけてザックを育てた。そんな二人の背中を見て育ったからだろうな。ザックはこんなチビの時からずっと、将来二人みたいな職人になるって言ってたよ。……まさか、あんな意外な欠点があるとは思わなかったがな」

 そうだったのか。彼の思わぬ過去を聞かされ、ライサはそっと目を伏せる。


「わざわざ一人で暮らしてるのも、職人になって早く一人前として認めてもらいたかったからじゃないかしらねぇ。私たちにとってもザックは孫みたいなもんだからね。夢を叶えさせてやりたいんだよ」

 そうか、この試練に合格すれば、ザックが職人になれる。夢が叶うのだ。

 ライサは決意と共に、持った手拭いを強く握る。


「もちろん、ライサちゃんのことも応援してるわ。少しロジオンから話を聞いたけど、そんな事情を聞かされちゃったら都市になんて戻せないわよね」

「ありがとうございます。頑張ります」

 胸が温かくなって、ライサはまともに顔を上げられぬまま、お礼の言葉を絞り出す。


 これは自分だけの問題ではないの。ザックの夢を叶えるためにも頑張らなければ。

 改めてライサは水場の水をすくい、バシャバシャと顔を洗った。



 ところがその日、ライサたちは魔法具を作るどころか、何を作るのかさえ思いつくことはできなかったのである。

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