第1話 雪と氷のシャトゥカナル

 すぼめた口から、ふっと息を吐く。両足を肩幅に開いて、両手で強く柄を握った。斧の刃を軽く丸太に当てて位置を調整し、腕を振り上げ刃の重さを利用して振り下ろす。

 パカンと気持ちの良い音を立てて、目の前の丸太が真っ二つに割れた。曲げていた膝を伸ばし、ライサは先程よりも長く息を吐いて空を見上げる。


 灰色の雲で隠された空に一点、橙色に光る明かりが見えた。煌々と強い輝きを放つ、太陽のように温かい光。ライサは憧憬の滲んだ眼差しで、魔核の光を見つめた。

 

 極寒の都市国家シャトゥカナル。分厚い氷と雪の山に囲まれ、一つの都市といくつかの村のみで形成された小さな国。全てが凍てつく寒さに加え、強靭な肉体と人智を超えた力を持つ「魔物」の脅威にも晒されている。

 この国の人々が平穏に暮らしていけるのは、円錐形に広がったシャトゥカナルの頂点、そこに据え置かれた「魔核」によって結界が張られているからである。遥か昔、この地を支配していた炎龍えんりゅうの魔核は、シャトゥカナルの寒さを和らげ魔物を遠ざける。この国にとって必要不可欠なものだ。

 

 ライサは視線を手元に落とす。ひと息つきたいところだが、薪割り場の丸太は山積みだ。もう少し頑張ろう。口元を覆う布を鼻先まで持ち上げると、再び斧を強く握った。

 結界は下層へ行くほど効果が弱まってしまう。シャトゥカナルの下層に住む者は、厳しい寒さを乗り越えるため、たくさんの薪を必要とするのだから。


「はい。確かに、ご苦労さん」

 ライサが今日割った薪を渡すと、薪屋の主人はにこりともせず頷いた。毛のついた分厚いフードとマフラーによって、声がくぐもって聞き取りづらい。

 薪の乾燥はこの店の主人に任せているため、彼女の仕事はここまでだ。


 薪屋の主人を見下ろしながら、ライサも表情を動かさぬまま頷く。長身である彼女は相手に威圧感を与えてしまうことも多いのだが、愛想笑いをするのは苦手だった。


 主人は店の者に指示を出し、ソリに乗った薪を乾燥小屋へ運び込ませると、ライサの手に小さな皮袋を乗せた。中身の金属がぶつかり合って、硬質な音を立てる。手の中に感じる重さとその音の軽さから、今日の上がりは少ないことが分かった。

 それに文句を言うこともできず、ライサは軽く一礼すると店を後にした。


 時折、全身防寒具に身を包んだ町の人とすれ違いながら、踏み固められた雪道を歩いていく。彼女が引く空のソリが、二本の線を雪道に描いていった。

 視界に映るのは真っ白な道と、分厚い煉瓦造りの建物である。右手側には魔物の侵入を防ぐ壁が高くそびえている。壁沿いにずっと進んでいけば、ライサがお世話になっている家が見えてきた。


 煉瓦作りの小さな平屋で、隣に雪かき用のスコップやライサの商売道具をしまう納屋がある。

 タイミングよく扉が開き、ブロンドヘアの少女が顔を出す。


「おかえりなさい、ライサ姉さん! 寒かったでしょう? 早く中に入って!」

「ただいまナターリア。出迎えなんてしなくても良いのに。体に触るわ」

「大丈夫よ、今日は調子が良いんだから! ちゃんとコートも着てきたし、ね」

 口では咎めるようなことを言いながらも、ライサの口元には僅かに笑みが浮かんでいた。


 飛び込んでくる小さな体を受け止め、ナターリアと目を合わせる。長いまつ毛に縁取られた大きな瞳に、眠たそうな目をした女が映っていた。

 二つ年下の従姉妹は、自分と血が繋がっていることが信じられないほど可愛らしい容姿をしている。ブルートパーズのような瞳の色だけが、唯一そっくりだ。


「ライサねぇちゃん、かえってきたの⁉︎ おみやげは?」

 子犬のように家から飛び出してきたのは、ナターリアの弟のブラトである。彼の頭に軽く手を置いて、ライサは身を屈めた。

「ただいま、ブラト。残念だけど、今は仕事の売上金しかないわ」

「えー、そうなの? つまんない」

「こらブラト! ライサ姉さんはお仕事だったのよ。まずは『おかえり』、そして『ありがとう』でしょ!」


 そんなやり取りをしながら、ナターリアとブラトは屈託なく笑う。彼女の頬や鼻に赤みが差してきたので、ライサは慌ててソリを納屋に入れ二人を促し家の中へと入った。


 入って目の前に食事を取るテーブルが現れ、その奥に寝室などの小さな部屋が三つほど。五人で暮らすには小さすぎる空間だ。家の奥へ入っていく二人を見送りながら、ライサはブーツの底についた雪をいくらか落とし、分厚いコートを一枚だけ脱いだ。


 ライサたちの住む最下層は室内でも防寒具が必要になる。それでも結界の中にいられるだけマシだ。

 手袋を外してようやく一息吐くと、落ちてきた髪の毛が頬をチクリと撫でた。手入れなどろくにしていない髪は、枝毛が目立って潤いもない。紐で括ってまとめていたが、もうバッサリ切ってしまおうか。

 髪を指先で摘みながら考え事をしていると、何かを引きずるような足音が近づいてきた。


「帰ったか、ライサ」

「叔父さん……」

 こちらの機嫌を伺うような、陰鬱な視線。叔父が自分に向ける態度は相変わらずだ。ライサは目を逸らすようにして、頭を深く下げる。

「今、戻りました。その、これが今日の分です」

「ああ、いつもご苦労さん」


 ボソボソとくぐもった声で告げた叔父は、不自由な片足を引きずり、家の奥へと入っていく。叔父の態度にナターリアが形の良い眉を潜め、何かを言おうと口を開いた。

「まぁ! ナターリアもブラトもこんなに冷えて!」

 甲高い声を発して部屋の奥から出てきたのは、心配そうな表情をした叔母だった。両手に持った分厚いブランケットを、ナターリアの肩に慌ててかける。


「特にナターリア、あなたまた風邪をひいてしまうわよ。ブラトも、早く温かい物でも食べましょう。……ライサ、早くコートをかけなさい」

 叔母の言葉に少し引っ掛かりを覚えながらも、ライサは表情を変えることなく頷いた。突然押しつけられた姉の子どもを、こうして家に置いてくれているだけでも感謝しなければ。

「お母さん! また、ライサ姉さんのこと」

 自分を守ろうとしてくれているナターリアを目で制し、ライサは言われた通りコートをコート掛けにかける。


 すると玄関扉から、やや乱暴なノックの音が聞こえてきた。強さからして風が当たった訳でもないだろう。既に食事の準備をしていた叔母に代わり、ライサが返事をして扉を開けた。


 頬を刺すような寒風と共に、緋色の分厚いコートを着込んだ男性が目の前に現れる。以前ブラトがバケツを被ったような形と称した帽子を被り、胸元にはシャトゥカナルの紋章が刻まれている。

 国の兵士だ。ライサはハッと息を呑む。


「すまない、邪魔をするぞ」

 ライサたちが呆然としているのを良いことに、兵士が強引に家の中へ入ってきた。同じ服装の兵士がもう一名と、髭を生やした老人が後に続く。老人の柔らかく暖かそうな衣装と黒々とした艶のある顎髭は、それを手入れできる身分と余裕があることが見て取れた。


「兵士さま。それに、こ、これは宰相さままで⁉︎ い、一体、こんなところに何のご用でしょうか?」

 部屋の奥から出てきた叔父が、目を剥いて姿勢を正す。宰相と呼ばれた老人はライサの顔を眺め、すぐに興味を無くしたように視線を外した。一瞬向けられた値踏みするような視線には、不快感しか覚えない。


「この家に、ナターリアという娘はいるか?」

 宰相の言葉に驚き、ライサは思わず振り返った。ナターリアは突然指名されたことに肩を震わせながらも、おずおずと手を上げる。

「私、ですけど……」

 宰相たちの視線がナターリアの姿をなぞる。雪のような肌やブルートパーズに似た色の大きな瞳、プラチナブロンドの髪の毛の先まで眺めると、納得したように大きく頷き合った。


 そして、宰相はコートの隙間に手を差し込み、丸めた羊皮紙を取り出す。緋色の封蝋には、シャトゥカナルの紋章が刻まれていた。

「国王様の代理として。宰相であるこの私が、貴女ナターリアに樹氷の森スノダールへ嫁ぐことを命ずる。これはシャトゥカナルを救うため、必要不可欠な婚姻である!」

 羊皮紙を掲げながら、宰相は朗々と声を張り上げた。

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