第18話 夜

 事後処理をしたり情報収集をしたりしているうちに夕方になり、リアンはシリン子爵の屋敷に泊まることになった。


 屋敷の従者は全員逃げているとリアンは思っていたけれど、実のところ一人だけ残っていた。ロクサナの専属メイド、ジェマだ。年齢は十九歳。ロクサナが十六歳なので、三つ上となる。ジェマは薄桃色の髪を肩まで伸ばした優しそうな女性で、ロクサナは逃げろと命じたのだけれど、屋敷に残っていたらしい。ロクサナを置いてはいけなかったそうだ。


 リアンは、そのジェマに夕食の準備などのもてなしをさせた。ロクサナを通した間接的な指示だったが、とにかく従ってくれた。また、ジェマと一緒にカミラもメイドとして働かせた。カミラにはほとんど戦闘力がないし、特別な知識や統治能力も期待できない。メイドとして働かせる方が良かった。


 カミラとしても、役立てる場所がなくて半端な立ち位置でいるより、何かしら働ける場所がある方が落ち着くようだった。存在価値がないと思われたら、あっさり殺されるという不安もあったようだ。


 ただ、カミラには一応剣の素養もあるようなので、将来的な戦力としてリアンは期待している。メイドとしての能力はジェマに鍛えさせて、剣士としての腕はいずれ誰かに鍛えさせるつもりでいる。


 食事の後、リアンは風呂に入った。アラクネの村では体を清めるときにはよく水浴びをしていたけれど、シリンの町では風呂も普及している。全家庭にとはいかないが、ある程度裕福な家にはあるらしい。お湯を作る魔道具のおかげだ。


 ジェマはリアンの風呂の世話をしようとしたけれど、リアンはそれは断った。貴族みたいな贅沢な暮らしをしたいというわけではないし、風呂は一人でゆっくり入りたかった。


 風呂から上がったら、リアンは寝室として用意させた客間へ。領主の屋敷らしく、客間もかなり豪勢。調度品も高級そうで、天蓋付きのベッドもあった。


 リアンは既にアラクネ状態から人間の姿になっていて、そのままベッドに倒れた。しばらく野宿ばかりだったので、柔らかなベッドが気持ちいい。



「……覇権国家の設立、か。悪くないアイディアだとは思うけど、この世界では、何をすれば覇権国家になるかな……?」



 数千キロに及ぶ遠距離移動の方法も、遠距離通信の技術も発展しておらず、遠く離れた土地のことについて、この世界の人はあまり考えない。どこそこの国が世界の主導的な立場にある、と言われても、ピンとこないだろう。


 ワイアット帝国がそうしようとしているように、全ての国を支配下に置くとか、色んな国を併合するとかの方が、わかりやすくはある。



「世界を完全に支配したいわけじゃない……。そんなのは無理だ……。それで私の心が癒えるわけでもない……」



 村を滅ぼされた復讐はしたい。復讐を中途半端にして、明るい未来を掴もうとも思えない。


 魔物が主導する世界を作り上げるのは、復讐心を満たし、かつ、安心して暮らせる未来を作るのに丁度いい。


 ただ、覇権国家を必ず設立させなければならない、というわけでもない。人間に、魔物に下手に手を出してはいけない、と痛感させることができれば、魔物の暮らしはより安全になる。


 復讐は果たさなければならない。でも、世界を支配したいわけではない。いずれ、争いとは無縁の世界で、子供を産み育てたい。魔物も、そして人間も、安心して暮らせる世界を作りたい。


 おそらくは、大きすぎる望み。実現できる明確なビジョンは、実のところない。あるわけがない。



「……それでも、やるだけやってみるよ。エレナ……。たぶん、エレナは私にこんなことをしてほしいとは思わないんだろうけど……ごめん。納得できるまで、戦わせて……」



 リアンがしばらくぼぅっとしていると、ドアをノックする音が響く。



「あの……少しいいかしら?」



 ザリナの声だった。ザリナ、カミラ、ロクサナの三人には、夜は好きに過ごせばいいと伝えていた。それでもあえてここに来るというのが、リアンには不思議だった。なお、コンラッドも自由にさせているが、自分から誰かを殺しに行くのはダメだと伝えている。


 リアンはベッドから起き上がり、部屋の鍵を開け、扉を開く。



「何? 私を殺しにきたわけじゃなさそうだけど」



 ザリナも風呂に入ったのだろう。ゆったりした寝間着のワンピースを着ていて、頬が少し色づいている。



「話をしようと思って……」


「仲間を殺された恨みでも言いに来た?」


「そうじゃないの……。リアンのことを、知りたくなっただけ……」


「ふぅん……。まぁいいよ。入りな」


「ありがとう」



 ザリナを部屋に招き入れる。リアンはベッドに座って、ザリナを椅子に座らせた。



「それで、何を知りたいの?」


「何を……というか、リアンの、色んなこと。どういう人なのかとか、どういう風に生きてきたのかとか」


「それを知ってどうするつもり?」


「……わからない。でも、知りたいと思った。リアンが……私の大切な仲間を殺した、許しがたい相手なのは確か。だけど、リアンが本当に望んでそうしたとは思えない。だから、ちゃんと知りたい。知って……心の整理をしたい、のかな。自分が大切な仲間を失ったこと。私がこれからリアンに協力していくこと。そういうのに、心の整理をつけたい」


「そう……」



 リアンは少し迷う。あまり自分のことをあれこれと語りたいとは思っていない。


 人間に対する憎悪は、決して消えたわけではない。不幸自慢のような真似をして、同情を誘いたいとも思わない。


 迷っていると、またドアがノックされる。



「……遅くにごめんなさい。リアンさん。私と話をしませんか?」



 ロクサナの声だった。用件は、おそらくザリナとそう変わらないのだろう。



「……ザリナ。開けてやって」


「わかった」



 ザリナが席を立ち、扉を開ける。ロクサナは一瞬驚いた様子だが、すぐに平静を取り戻す。



「ザリナさん……あなたも、リアンさんと話を?」


「そうですね。リアンのことを知りたくて、話をしにきました」


「そうでしたか。私も同じです。……リアンさん、入ってもよろしいでしょうか?」


「いいよ」


「ありがとうございます」



 室内に椅子は一つ。ロクサナがそれに座って、ザリナがその傍らに立つ。



「それで、ロクサナまで私のことを知りたいって?」


「はい。教えてください。あなたのことを。私はまだ、あなたとの対話を諦めてはいません。人間と魔物が対等な立場で共存していく未来を、あなたと共に作っていきたいのです」


「そう。諦めないのは自由だけど、あまりうっとうしいと無理やり黙らせるよ」


「……はい。承知しました」



 リアンはロクサナとザリナを見て、そっと溜め息をついて、話をしてやろうと決める。


 支配される側が、支配する側のことを知りたいと思うのは当然。問答無用で隷属させるより、自主的に協力する姿勢を持たせる方が、役に立つ場面も多くなる。

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