第190話 手紙

190 手紙


真っ黒な世界を風圧にたたかれながら落下していく。

大の字に開かれた体に風圧がかかっている。


暗視スコープで海中に描かれたサインと潜水艦のフォルムは確認できる。

既に浮上していたようだ。夜間でも浮上すれば発見される恐れがあるため、着水後に浮上する計画であったが、流石に、法王を待たすわけにもいかないと思ったのか浮上していたのである。


落下傘が開き、潜水艦の方へと向ける。

降下猟兵部隊の訓練を受けたというのはまんざら嘘ではなかったようだ。

海上は微風だったが、甲板へとタッチダウンする。


危険この上ないやり方であるが、無敵の法王はこの程度で怪我をすることなどない。

そう、落下傘が開かず海面に叩きつけられても、生きているに違いない。

それくらいの強靱さはもっていそうである。


「閣下、お早くお移りください」小松自らが出迎え、艦内へと案内する。

「御苦労」法王は敬礼する。

小松も敬礼する。小松は法王の兵学校の後輩に当たる。


そうして、法王は大西洋に舞い降りたのである。

一体どのような目的であろうか。



・・・・・・・・・・・・



旧オーストラリア、今や神聖皇国と化した大陸国家である。

その土地には、多くのユダヤ人が暮らしているのだ。

彼等は、ドイツ領域から労働力として買いとられた。


ほぼ奴隷の身分である。

奴隷と公称されていないだけである。

そもそも、この神聖皇国では、法王を神として崇めなければならないのである。

彼等は、ユダヤの神を信仰している。

つまり、国民として受け入れられる素地をもっていない。


すでに十字教徒はすべて放逐されている。

この大陸には、日月神教の教徒とアボリジニなどの原始宗教の現地人しかいない。


宗教侵略は実行されており、アボリジニの人々は、法王が、彼らの神が遣わした戦士であると信じ込まされてようとしていた。

だが、彼らの地位は確率されており、昭和の世界のように、ライフルで獲物として撃たれるようなことは起こっていない。彼らは1等国民である。


ユダヤ教の人々は、米国などにいる親戚に金を送ってもらい一般国民の地位を買うことが出来た。

そうすれば、普通の国民として生活することが出来たのである。

ここでも、子供たちはキャンプで法王がユダヤの神の生まれ代わりとして教えられている。

子供に対する親の影響を最小にするため、引き離されて育てられる。


そうすれば一等国民としてこの国で生活することが出来る。


兎に角、連邦の各国でも同様のことが公然と行われている。

アラー教の関連でも同様である。

法王はアラーの代行であり預言者と捻じ曲げられて教育されている。


相当数の国が連邦に参加することになって、宗教の齟齬が大きな問題となるところを、この捏造が齟齬を押さえる効果を発揮しているということは、まさに皮肉な結果である。


話は戻るが、その皇国のユダヤ人から多くの手紙が米国に送られていた。

そのような国外への手紙はほとんど検閲を受けて居るだろうに、その内容はこう書かれている。


『親愛なる〇〇へ


先のチリ沖大海戦で、米国艦隊は敗れました。しかしその際、敵は卑怯にも法王様を直接狙うという非道な行いをしたのです。法王は我々の神様の生まれ代わりであることは前にあなたに教えたと思います。法王様はその不遜な行いを大変怒っておられます。

法王様はこのように言われました、


『不信神者に神の鉄槌を食らわせん』と。

どうか、東海岸から逃げてください。神罰は遍く、必ず到達するのです。これは絶対の真理なのですから、どうか早く逃げてください。後ろを振りむかずに逃げてください。


              あなたを愛する〇〇より』


とても常識のある人間が書いたとも思われぬ、文章である。

徹底された思想教育が影響を与えているような文章であった。

そのような内容の手紙が相当な数、米国へと届けられたのである。


米国情報部もこの手の手紙を数多く察知していたが、具体的に何を意味するのか、はたまた単なる敵の謀略なのか判断できずにいた。


実際に、少し頭のおかしくなった親戚の意見を聞いて中央部へと避難する者もいた。

実際には、そのおかしな手紙が理由ではなく、大西洋から爆撃機の飛来することが多くなったからである。


そして、文面の中の海戦については、国内で全く報じられていなかったことが理由である。

明らかに、情報統制が始まっていた。これを悟った人々が念の為に、避難したというものである。


政府が情報統制をするということは、非常に我が国(米国)が苦境にあるということを意味する。金持ちは情報が命であることを知っている。

それに調べれば、その大艦隊に赴任した者たちのほとんどが連絡をとれない状況であることがはっきりとわかったのである。


そして、何より10万人の怪死事件。ユダヤ資本家はどのような方法でこのような大量殺人を行ったのか疑心暗鬼の状態の中にいた。

(本当は、神の奇跡、死んだ人間は、殉難者として『聖人』認定を受けるべき事象である)



この事件には、ユダヤ教徒は含まれていなかった。

同じ神を信仰しているのに、差が生じたのであろうか?

死んだのは皆、十字教徒であった。(基本的には、同じ神をあがめているので死んでいても何らおかしなことはなかったはずである)


そのことで、十字教徒はユダヤ教徒が何らかの毒ガスなどで我々十字教徒を虐殺したのではないかと疑う者も複数存在していたこともまた事実である。


米国内には不穏な空気が充満し始めていたということであろう。


どちらにしても不気味な、沈滞した雰囲気が米国内に漂よい始めたのである。

何かが起こりそうな嫌な予感がしていた。

皆がそのように感じていた。


夏の太陽だけがギラギラと輝いていた。


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