第157話 人手不足
157 人手不足
ナチス・ドイツがヨーロッパの覇権をほぼ手中に収めたころ、ユダヤ人の虐殺が激しくなる。
ナチス・ドイツは自らアーリア人であると称して、彼らの敵である、ユダヤ人を殺すのだという。
アーリア人は本当に存在するが、そのほとんどは、中東のペルシャ人やインド人の源流である。白人の彼等が真なるアーリア人と名乗るには無理があるように思われた。
しかし、今を時めくヒトラー総統にそのような事を言える人間はいない。
神聖ナチス・ドイツは真なるアーリア人を優遇するのである。
一方、神聖月読皇国では、広大な版図を獲得したが、人手が不足していたのである。
オーストラリア大陸の大半は砂漠だが、とにかく広い。
治めるには、有能な人間が複数必要なことは明らかだった。
勿論人間は数多くいた。
しかし、彼らは兵士であり、官僚ではないのだ。
どちらかというと、狂暴な戦士である。
官僚に向いている筈がなかったのである。
親衛隊にも官僚向きの人材はいたが、絶対数が少ない状況であった。
そもそも、学問ができる人材は、技術開発部門へと回されるため、事務職が足りない状況ではあった。
ここで、件の男は一計を案じるのであった。
そもそも、無駄に殺されている多くの有能な人材がいるとする。
そして、有能な人材を欲する者がいる。つまり、これは取引できるのではないだろうか。
そこで、男は、ナチス・ドイツの最も優れた参謀。いつも酒に酔っていて、女にうつつを抜かしているが、いざというときには、天啓を授かるというモルトケの再来と呼ばれる男に連絡を入れるのである。
「我が神聖皇国では、人材が不足しており、その穴埋めに、ユダヤ人を買い入れたい。そちらではどうせ殺すしかしていない、格安で譲るように、総統を説得してほしい。これは、今までの借りをチャラにするチャンスではないか」と。
ウーデッドは、親衛隊の一部がそのような暴挙にでていることを知らなかったが、真実を知って、気を失いそうになった。
既に収容所は完成し、稼働していたのである。
ヨーロッパ中のユダヤ人が集められていたのである。
そして、ナチスに抵抗できる勢力はほぼない状況であった。
今後、我がドイツは、アフリカ方面へと侵出することになっていた。戦争にばかり目が行っていて、足元で何が行なわれているかなど知る由もなかった。
ヨーロッパの各地に同じような収容所が複数あるなど聞いたことが無かったのである。
ウーデッドは、顔色が真っ青になっていた。
自分の国が何という暴挙にでているのかを知ってしまったのである。
ウーデッドには、もともと、あまり責任感がなく、意欲もなかった。
しかし、時宜を得た意見具申によりナチスに大きく貢献し、今や参謀次長である。
参謀総長になることは、忙しくなるため辞退したのである。
彼は、まったり酒を飲めればそれでよかったのである。
しかし、この手紙は見逃すことはできなかった。
うまく酒を飲むためには、殺されている人々を助けなければ申し訳ないという気持ちだけが高ぶったのである。
総統府に出頭したウーデッドは、ヒトラーに面会を申し込む。
そして、神の閃きがある人物と信じられているため面会を許される。
「ハイル、ヒトラー!」特有の敬礼を行う。
「うむ、それでどうした、また何やら閃いたのか」
ヒトラー自身も閃くタイプの人間であるので、そう聞いたのである。(彼の場合は的外れになることが多いのだが)
「はい総統閣下、まことにその通りであります」
「言ってみろ」
「は!」
斯くしてウーデッドは、絶滅収容所の人間を、オーストラリアに売却することを進言する。
勿論、オーストラリアはすでになく神聖月読皇国となっているが、西欧においてはそのようなことはどうでもよいことだった。
「ほう、しかし、貴重な資源を費やして、あのユダヤ人共を送りつけるくらいなら、ここで殺した方が世界の為になるのではないかね」ギロリと目玉がウーデッドを睨みつける。
何人たりとも、我が意志に歯向かうものは許さないと、眼が語っている。
「総統、日本側では、その必要になる費用までも出すということです」
「なるほど」
「総統もあのユダヤ人共をヨーロッパから絶海の孤島へ追い出せば二度と会うこともないので清々するのではと愚考いたします。それに、死体を焼くにも、資源は必要です。アフリカ攻略に向けて資源を浪費している場合ではありません。彼らの売却代金で軍備を増強することこそ良作、一石二鳥というものです」
「ほう、流石は、モルトケの再来と呼ばれるだけのことはあるな、しかし・・・」
「総統閣下、今言っている値段より吹っ掛ければ、もっと軍備増強がはかどるでしょう」
はじめに提示された値段は安く、次に倍にするという戦略であった。
「わかった、まあ、ヨーロッパにユダヤ人共がいなくなり、オーストラリアで繁殖するくらいは、眼を瞑ることにする。オーストラリアで再会すれば、その時こそ絶滅させるがな。
その内容で、話を日本と進めよ」
「ハイル、ヒトラー!」
これでようやく、酒がゆっくり飲める。
ウーデッドは、ぐったりした気分だった。
しかし、彼の受難はこれからも続くことになる。
何故なら、収容所には、彼が直接赴かなければならないのだった。
ナチス親衛隊の頭のおかしな連中に、自分の部下(ドイツ国防軍)の話が通じる訳がなかったのである。
結局、総統命令を盾に、自分が現地に足を運び、交渉するしかなったのである。
「こんなことなら、満州に居残った方が何倍もマシだった」
収容所には、死臭が満ちていた。そして、死の雰囲気が溢れていた。
彼は、必死に交渉し、オーストラリアへ売却する人間を増やそうと努力したのである。
収容されている数百人を前にして、彼は宣言する。
「私は、ドイツ国防軍参謀本部次長、エルンスト・ウーデッド上級大将である。」
ユダヤ人とそれを監視するナチス親衛隊に知らしめる意味でも、大げさな身振り手振りで宣ったのである。
「貴様らユダヤ人はドイツ人の富を掠めとったろくでなしだ。よってオーストラリアへ流刑とする。しかし、これは総統閣下の寛容さを表しているのだ、有難く涙を流せ。心して聞け!貴様らは、オーストラリアに流刑に処され生涯そこで労役をこなす必要がある。このことについて、承知する者だけここに残れ。働く気のないものは、去れ」
実態は、ここに居残れば死が待つばかりである。
しかし、生涯労役といわれてもつらいものがある。
だが、ウーデッドはこのことだけは確実にこなさねばならない。働かない者を同盟の地に招くことは無いのだと。向こうの法王の言葉である。ある意味向こうの法王こそ、彼は恐ろしかったのだ。
それに、ここで甘いことを言えば、親衛隊が総統に密告することは目に見えていた。
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