第150話 『DH作戦』

150 『DH作戦』


連合艦隊司令長官に就任した井上成美大将は、対米戦争の指揮を執ることになる。

本土を爆撃した艦隊は、ダッチハーバーを根拠地として攻撃を行ってきた。

彼は、その基地を攻撃し、敵機動部隊を無力化するように命じられる。


嘗ての栄光の機動部隊の姿はその残照こそ残すものの、実体は新米ばかりであってかつての死なば諸共のような決死の精神も熟練度もなかった。


井上成美大将自身も航空畑を進んでいたわけではなかった。


航空の熟練兵ベテランたちは、同盟軍の機動部隊へと引き抜かれていった。

破格の給与と待遇。そして本当の戦争を行っている側であったからである。

日本は戦争が終了し、それらの人材を必要としないとはっきりと表明されたからである。


「そんな馬鹿な決定を受け入れることは、亡国への道ですぞ!」

終戦に反対し徹底抗戦の声を挙げた男達皆が予備役に編入された。

かくいう井上成美も終戦を受け入れることには反対であった。

しかし、陛下の意思はこの国の意思である。

この国の父は陛下であり、家長の決定は絶対である。

井上はそのように考えて、表立って反対意見を言わなかったのである。


真向から不平不満を言ってのけた男は、あわや不敬罪で逮捕される寸前までいったという。

しかし、そこは日本の村の論理で村八分程度で済ましてやるという温情が勝ったのである。


ぬるいな!これだから日本は舐められるのだ!私なら、逮捕監禁して牢獄で暗殺するくらいはするのだが」あの男はそううそぶいたのである。

井上は彼と同郷、同級生であるので本人の口からその言葉を聞いた。


この男を逮捕して暗殺するなど一体誰にできるというのか!

井上はかつての同級生に対して思った。

そんなことをすればちまたに死体が幾十も転がることになるだろう。


こうして男は去っていった。

そして腹いせに、帝国海軍の優秀な将校をほとんど引き抜いていったのである。


それでも機動部隊には数々の戦勝艦の空母が在籍していた、天城、赤城、蒼龍、飛龍などの空母。そして大和、武蔵、金剛型4隻などである。


空母機動部隊の司令官には、栗田建夫中将が就任した。

栗田は、あの男の薫陶を受けた人物(兵学校時代に直接指導を受けた)であり、優秀な人物であると思われていた。(実際は、戦意不足を心配してあの男が、ことあるごとに監視していたので、失敗しなかった。)


そして大和、武蔵などの戦艦部隊による打撃艦隊司令官には、伊藤整一中将が就任していた。


井上は、これらの部隊によるダッチハーバー攻略作戦を練ることになったのである。


空母機動部隊の艦載機部隊の練度はかつてよりもかなり下がっていた。

打撃部隊も同じである、月月火水木金金の訓練は日日月火水土土となっていたのである。


ここでも日本人の熱しやすく冷めやすい性格が災いしてしまった。

戦争はもはや終わったのである、それほど濃い訓練をする意味がないのではないか。

そしてそこには、『人殺し多聞丸』と呼ばれたような厳しい士官は存在しなかったのである。


井上自身は、海軍省で和平に関する業務を続けていたので、そのような事情をあまり知らなかった。

彼の中では、陛下への忠誠が大事であり、他の兵士たちも同様であると考えていたのである。

だが、現場では、別の理論で動いていることに気づくことは無かったのである。


空母機動部隊によるダッチハーバー攻撃作戦『DH作戦』が立案され実行に移されることになる。


この作戦は、機動部隊艦載機による基地の攻撃と敵機動部隊の殲滅を行うことを目的に実施されることになる。


作戦内容がかつてどこかで聞いたことがあるような気がするのだが、杞憂であろう。

我が帝国海軍機動部隊は連戦連勝であった。

無敵皇軍、快進撃!が国内で宣伝されていた。新聞紙も大々的に煽っていた。今や日本最高の左翼新聞すらもこのころは、煽っていた。

そうしなければ、新聞が売れないからという、ジャーナリズムから程遠い倫理であった。


国土を蹂躙された国民の怒りを納めることが難しい状態であった。

そして、札幌、函館も連日爆撃され被害が出ていた。


DH作戦は国内でも、ひそかに話題に登っていた。

「絶対に、ダッチハーバーをやっつけてくださいよ」

人々が海軍兵士にこのように声をかけるほどに。

当然に、米国情報部はこの情報をキャッチしており、反撃作戦を計画していた。

エセックス級空母4隻、インディペンデンス級軽空母6隻の空母を中心とした艦隊をスプルーアンス中将が指揮を執る。


一方栗田中将の機動部隊は、天城、赤城、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴の6隻の大機動部隊を編制していた。


艦載機数による優劣はないほどに米国の工業力が発揮され、空母はそろっていた。

だが、艦載機の性能は、既に米国が上回りつつあった。

米国戦闘機はF6Fが登場し、零戦よりも高性能であった。

日本は未だ97艦攻、99艦爆を使用していた。

戦争が集結したことにより、新兵器開発はストップしていたのである。


嘗ての作戦では、戦艦部隊は空母随伴としていたが、この作戦では、主力戦艦部隊が後方に配置されることになる。(なぜこのようになるかは、不明だが、昭和のミッドウェー海戦でも同様であったことから、帝国海軍の基本的戦略なのであろう)


こうなると、心配性の栗田は、非常に不安な気持ちに襲われていた。

第一次太平洋戦争(現在はこのように呼称されるようになった。)では戦艦部隊は常に真っ先切って敵に突撃を敢行していたのであるが、この作戦では、かつてのように戦艦部隊をなぜか後ろに置くようになってしまったのである。


大和・武蔵ならば、十分な対空砲が搭載されていたのだが・・・。


そして、未だ陽も登らないうちから偵察機が放たれる。

技師不足により多くのレーダーが止まっていた。

目視による偵察に戻っていたのである。


二段階索敵が実施される。

敵機動部隊は、ダッチハーバー近郊に碇泊している筈であった。


このようにしてダッチハーバー沖海戦が幕を開けるのである。








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