第142話 我を称えよ!

142 我を称えよ!


房総半島のレーダーサイトがとらえたのは、僥倖ぎょうこうだった。

帝都周辺の防空戦闘機隊が舞い上がっていく。


多くのベテランパイロットたちが、軍を去っていた。

戦争が終われば軍人はそれほど必要ない。

そして、高給でリクルートしてくるPMC(民間軍事会社)が存在した。


「これからはアジアの平和を守るために、あなたの技術を活かしませんか」

パイロットたちは日本人である。

平和のためにというお題目が非常に気に入ったのである。

しかも、給料は今までの倍も出るという。


軍も、退職を申し出ると喜んで送り出してくれたのである。

戦争は終わったからである。やめてくれるなら給料を払う必要がなくなる、喜んで送り出すというものである。


何故、これほど簡単に戦争が終わると思うのかは謎だが、人間は自分の都合の良い方に考えるものなのだ。

あの大国に勝ったのだ!日本人は大満足であった。

しかも、米独の戦争が終われば、賠償金を得ることができる。(という講和条約の条件)

皆が夢を見ていたのである。


米国が黄色人種ごときに負けてはならないのである。

優良種たる白人の国が劣等種の国に負けることなど許されないのだ。

そして、我慢の時は終わった、今こそ、日本を討つべし!

いや、叩き潰すのだ!米国人がそう考えたとしても何もおかしくはない。

まさに、そのようなことが起こっていたに過ぎない。


「米国の戦闘機などおそるるに足らん、全機を撃墜せよ」

零戦が米国の戦闘機を圧倒した事実は、絶対であった。

帝国の海軍、陸軍(隼と呼称しているが、零戦の陸用版である)も自信をもっていた。


迎撃機は、零戦や陸軍用の零戦(隼)であった。


だが、時間がたっているのである。

旧式の武器が通用するのだろうか。

しかし、日本では戦争は終わっていたので技術開発の速度は止まっていたのだ。


互角以上の戦いが米国側有利で繰り広げられる。

米国の戦闘機はF6Fへと切り替わり、1年以上も厳しい訓練をつんでいたのだ。


一方日本では、戦争は終わっていたので、優秀なパイロットたちが去り、新兵が多かった。

艦爆や艦攻がその隙間を縫って本土の工業地帯に殺到した。


そして、防空の意識が関東に向けられていた頃、中国本土から発進したB29の大編隊が、北九州、瀬戸内海の工業地帯へと侵攻していたのである。

高空を飛ぶB29を迎撃するには、零戦では無理があった。


平和を謳歌していた国民の頭上に爆弾が次々と容赦なく投下されていく。

平和は今砕け散ったのである。


各地で爆発と火災が発生し、工場とそれ以外の場所が破壊された。

高高度爆撃のため、照準が外れることは当然で、関係のない民間人も多数死亡したのである。


帝国の防衛は、太平洋岸の奇襲に気を取られているうちに、日本海側の攻撃で相当な被害を出したのであった。


こうして、米国の一大反抗作戦が開始された。

呉鎮守府こそ爆撃を逃れたが、迎撃にあがった零戦が全く戦えないというきびしい現実を突きつけられることになる。


日本では高高度迎撃機を開発していなかったのである。

それに、戦争はすでに終わったはずなのに、このような卑怯なだまし討ちをしてくるなどとは全く考えていなかった。


そもそも、戦争の初めは、ほとんどが奇襲攻撃から始まるのである。

当たり前のことを多くの人々が忘れていた。


たった1日で数万人の被害者が出た。

それほどの大量の爆撃であったのである。


国民は、この奇襲を許した軍に不信感をもった。

戦時中は、敵の奇襲爆撃計画を察知し、逆に空母を鹵獲した軍とはまるで別物に思えたからである。


一方、爆撃機部隊の一部は大連へと飛んでいた。

大連、奉天なども、帝国の工業の心臓部であったからである。

だが、それは間違いであり、既に満州は、日本との関係を希薄化させていた。


そして、警戒はまったく緩んではいなかった。

数日前から、米国の大型爆撃機が、中国の基地へと舞い降りているという情報が集まっていたからである。


「それはB29に間違いない、国境の警戒を最大レベルに上げよと伝えよ」

ウラジオストクからの命令が満州に届く。


日月神教から、太陽が裏切ったために、月読教団と名を変えた宗教の指導者は、命令した。


次の戦闘がどこで始まるのか、敵の空母機動部隊が北方に向かったことから、ダッチハーバーから攻撃してくることが予想されていた。

そして、その反対に中国にも、インドを経由して爆撃機集団が到着。

明らかに、戦火がすぐそこに迫っていた。

しかし、日本の愚か者どもはまったくそれに気づきもしないとは。


「そういうのは、愚直というのだ、人を簡単に信じて、すぐに忘れる性格を直さねばな」

今や、月読教法王となった男は、一人ごちた。


人々は知らなかった。

この世界に、たった一人、妙な存在が紛れ込んでいることに。

この神の御遊びでやってきた男は、実に契約を果たしていたのである。

日米講和は実質的に、日本側の勝利であった。

すなわち、男は、女神との契約を果たしてのけたのである。

そして、その事実は、男が自由を手にしたことを意味していた。もはや、彼は何物にも縛られず生きていくことが出来る。

そう、世界に危機が迫っているといっても過言ではない状態が出現しており、もはや誰もがそれを止めることが出来ない、運命となっていた。

『危うし、世界!』「私こそがすでに神である」男は一人そういって、赤く燃える瞳でニヤリと笑ったのである。



勿論この日米講和は見せかけで米国が再度、艦船をそろえれば、ハワイ奪回、日本壊滅作戦に討って出てくることは明らかだった。


「そんなことは、この際関係ない。私は、契約を果たし、自由の身の上となったのである。今日から私こそが、教祖であり崇拝対象であり神である」

男は、その日から、月の女神ではなく、自分をあがめるように、信者たちに教えるようになっていったのである。


「もはや、私こそが神である。称えよ!崇めよ!神たる私を!」

狂喜して舞う男の姿は、ウラジオストクの宮殿の庭で見ることができた。

しかし、周囲には、神教の親衛隊が完全武装で何人もを寄せ付けない状態にしていたのである。



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