第130話 暗雲

130 暗雲


フレッチャー中将の眼の色が変わっていた。

「ぼさぼさするな!」

「しかし、兵士の命が」

「黙れ!この聖戦において重要なことは、あの悪魔に勝つことだ。多少の犠牲は

しかたがないのだ!」

兎に角人命を大切にする軍隊においてその発言は異常と思えるものだった。

「司令!」

「貴様まだいうか!」フレッチャーは泡を飛ばしながら、拳銃を引き抜き艦長に向ける。


「抗命罪で処刑するぞ!」

フレッチャーの発言は今までの彼の人柄とは全く違うものであった。

「司令、落ち着いてください!」艦長も何とか説得しようとなだめる。


「神の名を辱めるような輩は私がゆるさぬ!」


フレッチャーは今日の朝、夢をみた。

神は彼に語り掛ける。『君たちは悪魔に狙われている、気をつけるのだ。そして、これだけは決して忘れるな、君たちの、命を賭して守り切れ。無理ならば自沈するのだ』


その時、フレッチャーの後ろにいた航海長がフレッチャーの足を撃った。

「神の名誉を守れぬ士官など不要!」

銃弾は確かに、フレッチャーの右足を貫いたが、フレッチャーは体を捻じ曲げて、航海長を撃ち殺した。


「馬鹿な!」艦長は叫んだ。

「早く命じろ!艦長、これは神の命だ!」

艦長が素早く拳銃を引き抜き後ろにねじ曲がっているフレッチャーが撃った。

奇しくも、それは海外で人気のブローニング兎拳銃であった。


「グハ!」

「司令、我々には、そのように人命を軽視する神は必要ありません」

「愚か者どもめ、不敬なる者どもめ!」

胸を撃ちぬかれたはずだが、フレッチャーは脅威の生命力で、艦長の方に体を向ける。

拳銃が艦長を狙う。

その時、艦橋の全員が、フレッチャーに向けて発砲した。

「グハ!なんということだ」さも驚いたという風な顔をして、フレッチャーが倒れていく。さしものフレッチャーも集中砲火では生き残ることはできなかったのだ。


水平線から巨大な戦艦が現れつつあった。

すでに、50Kmの射程に入ったということである。

空母には3000名近い兵士が乗っている。

三隻も自沈すれば、9000人が死亡するのだ。

艦長の判断は正しいのだ。


少なくとも、彼の中では合理的な判断である。

足が遅くなった空母は、戦闘力がほぼないのだ。兵士の命が最優先のはずであった。


「少なくとも9000人は、殺しそこなったということになりますが」

「問題ない、パイロットのほとんどは、海の藻屑だ。船員ぐらいならば、今度殺せば問題ない」

「は!」

戦艦の艦橋ではこのような、恐ろしい会話が交わされていた。

またしても、太平洋上の米海軍の稼働空母はゼロになってしまった瞬間だった。


現在、以前鹵獲された空母は修理改装され、第7艦隊所属艦になるべく艤装が行なわれていた。

今回の3隻も同様の経過をたどることになるだろう。


本国では、新型空母と戦艦が竣工するため、空母が必要というほどではないのだ。

しかし、米国艦船の設計思想を勉強するための良い材料であることは間違いない。

また、いずれ起こるかもしれぬ、大空母部隊との決戦の時には、必要になるかもしれない。


だが、敵の大空母部隊は少なくとも、1945年まで時間がかかるのだ。

さらに深刻なことだが、米海軍ではいまだに大艦巨砲主義がはびこっていた。

ハワイでの艦砲射撃が効いていたのだった。


こうして、ミッドウェー海戦は、米国側の大敗という形で幕を閉じたのである。

昭和の時代では、ミッドウェー海戦は日本が負けに向かって突き進む条件となった海戦だったが、この照和ではいかなる結果になるのだろうか。


連戦連勝の日本海軍はまだ突き進むのか。

はたまた、十字教の神の力が、加護を発揮して米国を勝たせることができるのか。

眼に見えぬところで暗闘が行なわれていたのであった。


「どうしてこうなるんだ!キング作戦部長!」ローズベルト大統領が、執務室でキングを叱責していた。

「それは、・・・」

作戦自体が無意味なものであったことは間違いない。

ミッドウェー島の水上爆撃機を破壊したところで戦況を良くすることはできない。

プロパガンダ用に戦術的勝利を手に入れるための作戦だった。


それを欲したのは、ローズベルト大統領その人である。

しかし、作戦(戦術)の失敗の責任は、軍幹部にあるということは、間違いない。


「大規模な予算を投入して、空母も建造せねばならないでしょう」

「貴様は馬鹿か!」


しかし、空母が無ければ、ハワイ島を救出することはできないのが事実である。

戦艦は現在建造中であり、ついで空母も建造中である。

しかし、艦が大きいと時間がかかる。

東海岸の造船所はフル稼働状態なのだ。


「とにかく、潜水艦を使っての輸送を強化するしかないでしょう」

「そんなもので、救えるわけがないだろう」

「大統領、そもそも、戦争を仕掛けたのは我々ではない、あなたなのです」

「何をいまさらなことを言っているのだ、ああ!」


大統領執務室には一触即発の雰囲気が満ちる。

そう、英国に泣きつかれて編みだした作戦が、日本に攻撃させ米日戦争、日本の同盟国、ドイツとの開戦というスケジュールであったのだ。


誰もが、強く止めなかった。

東洋の黄色い猿の小国にこのような力が存在すなどと誰が考えたであろう。


「キング何とかしろ、辞めるのはその考えができてからにしろ」

プライドの塊のキングの眼に激しい怒りが溢れる。

眼で殺せるなら、ローズベルト大統領は死んでいたかもしれない。

ホワイトハウスに暗雲が立ち込めていた。


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