第95話 相沢事件

095 相沢事件


秘密結社『兎の穴』には、石原莞爾、乃木兄弟、梅津美治郎らが入っていた。

梅津は、乃木保典(弟)と同期であり、神の声に従って乃木が彼を引き入れたのである。

陸軍においては、皇道派と統制派が争っていた。

しかし、石原は無派閥。皇道派の主力は、柳条湖事件により爆死していたのである。

統制派でも、東条何某が死亡していた。


それでも火花を散らす両派。

だが、皇道派の首領格の荒木、真崎などが爆死したこともあり、統制派が有利になっていた。

そんな中、統制派の中心人物、永田鉄山暗殺事件が発生する。


不利を覆す一挙に出たわけである。

相沢何某の剣が唸りを挙げるが、残念なことに、永田軍務局長の部屋には、先客がいた。

恐るべき抜き打ちの一撃が、相沢何某を襲う。

剣の腕では、『日本鬼子』には敵う人間が果たしているのだろうか?

ソファーで座っていたはずの客は、残像を残しながら、すり抜けていた。

日本鬼子の皮肉な笑みと真っ赤に燃える瞳だけが、相沢何某の記憶に焼き付けられた最後だった。


相沢は、両断された。相沢は上下に分断された。

軍務局長室は、血まみれ以上にひどい状況になった。

その他諸々が飛び散っていた。


「これで解っていただけましたか」海軍少将の咲夜が何事もなかったかのように、机に座ったままの永田に言う。


「是非とも、海兵師団の拡張をお願いしたい。」


・・・・・・・


少し時間をさかのぼる。

突然、海軍少将を名乗る男が、陸軍省を訪れる。

永田軍務局長と至急、会見したい旨の申し込みがあった。

永田は、その海軍少将に面識はなかったが、陸軍内部の乃木派に大きな影響力をもっている人間であり、関東軍の石原らとも昵懇であることは知っていた。


『熱河事変』では、公にされてないが、彼の私兵『八咫烏』なる部隊が事変を、解決に導いたといわれていた。その成果で、熱河省が満州国の領土に組みこまれたのだ。


その影で動く人物が現れたのだ、一体何が起こっているのか。

永田は考えていた。しかし、すぐにそのような人物と会う訳にもいかず、断ったのである。

だが、断ったにも関わらず、少将は入ってきた。


「まあ、少しくらい話を聞きなさい、君の命に係わる大事な話なのだ」

それは、聞かないと死ぬぞという脅しか!

陸士でも最優秀であった永田だが、胆力も当然優れていた。

「それはどういう意味ですか」

「言葉そのままの意味だ、君は危険なのだ」

少将は、ソファーに勝手に座りリラックスした様子で話し始める。


「そのような脅しに屈服するとお思いならばかえってください」

位は、陸海と違うが同じ少将である。それに断ったのに入ってきたのだ。


「勘違いしているようだが私は脅したりしていない。私が本気を出せば、脅す必要すらないのです。単純に、あなたが危険なので来ただけです」


なにを言っているのか、わからなかった。

「あなたは、私が何と呼ばれているかしっていますか」


そういえば、自ら神の使徒を名乗っていたはず。


「そうです、神の声が聞こえたのでここに来ました。あなたの命を救い、恩を売り、私たちの意見を聞いてもらうためです」


「命を救うとは、どういうことですか」

「待っていればわかります」

男は、持参していたのであろう、本を読み始めた。

なんという、傍若無人。永田は怒鳴りたくなるのを我慢した。


「因みに、意見とは何ですか」

「助ける前から聞いていただけるのですか、流石は陸軍にこの人ありといわれる永田少将だ」


「乃木の特殊戦術師団をより拡大したいのです、いよいよ、ネイバルホリデーも終わり、軍拡競争が始まります。日本は、おそらく、米国と戦うことになるでしょう、戦場は、太平洋になります、海軍には、島嶼の占領部隊がおりません。そこで陸軍に協力をお願いしたいのです」


「米国と戦争?何を馬鹿なことを」

「そうなのです、馬鹿な事ですが、事実なので申し訳ない」

「敵は、中国です」

「いえいえ、中国などと争っている場合ではありません。関東軍には、厳しく釘をさしています。敵は海を渡ってくる米国です」


「そんな鹿な」

、しかし、米国が仕掛けてくるならばしかたないのではありませんか、それとも、満州を手放しますか?せっかく石油も出ているのに」


満洲は今や、日本の経済ブロックの中心になっている、それを手放すことはできなかった。

満洲さえ放棄すれば、というか、米国に満州を献じれば戦争は回避できるかもしれなかった。

欧州列強に昔日の面影はもはやない。


そして、このころドイツではヒトラーついに実権を掌握し、国際連盟を脱退する事態に至る。

ドイツの再軍備が始まるのである。


日本は満洲を手放し、東洋の田舎に戻れば、米国も興味を失うに違いなかった。


しかし、そのような事を人間ができるわけがない。

先ず、利益を捨てるような行為が許容できない。

さらに、アジアの田舎者に戻るには、日本人のプライドは高すぎる。

国内では、欧米何するものぞ!という雰囲気を庶民ですら持っているのである。


そして、もしそのような聖人のような判断を出来る人間であるならば、満州国を建国したりするわけがない。


神のシナリオ通り、日米は決戦をということなのだ。


私の予想では、そのような聖人が現れ、国家を治めた場合、おそらく何者かに暗殺されるだろうと考えている。つまり、が登場するという訳だ。


そして、時間を戻す。

室内は、血のりでべっちゃりとしている。

血の臭いも、内臓の臭いも凄い。


「永田局長、では海兵師団増設の話をよろしくお願いしますよ」

場に不釣り合いなほどの笑顔で、挨拶する男が颯爽と去っていく。


こいつ、荒らすだけ荒らして逃げたな!

永田は呆然と、それを見送るしかなかったのだ。


誰が、この部屋の掃除をするんだ!

血まみれの部屋で場違いな感想を抱く永田であった。


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