第93話 『熱河事変』

093 『熱河事変』


1933年(照和14年)に発生した後に『熱河事変』と呼ばれる事件は、満州国を実質的に取り戻すために、張学良ら東北軍閥が軍事作戦を仕掛けたことが発端である。


関東軍が、師団規模で反撃を行うが、ドイツ、米国、ソビエトなどの支援を受ける東北軍閥は存外につよかった。

というよりは関東軍の主力は、開発された油田の警護とモンゴルの対ソ国境に出払っていたのであった。


そのため、有力な師団はなく、苦戦する事態に陥っていた。

日本は、モンゴルを赤化させず、日満露の経済圏に引き込む工作を実施していたのである。


モンゴルには何もないはずだが、男は、私には見えていますよ、発展するモンゴルが、とうそぶくのである。


決してモンゴルではなく自分の懐が発展するに違いない。そういう男なのだ。

石原は内心考えていた。しかし、この構想自体は、非常に都合がよい。

モンゴルが赤化しなければ、ソビエトとの緩衝地帯になる。

もし、モンゴルが赤化すれば、砂漠地帯で遭遇戦闘を行い続けることになるのだ。


関東軍の参謀部長になっていた石原莞爾大佐はやむなく、ウラジオストクに駐在する男に救援を頼むしかなかったのである。


料金は発生するが、奴らは強い。

だが、陸軍の命令を無視したりする厄介な性質を併せ持つ。


『八咫烏』を名乗る民間軍事会社(PMC)である。

すでに、師団規模を突破したとの専らの噂である。

シベリア師団が出動するとの回答があったのがその証拠だ。

何故に、師団規模!


特別列車の通行許可が求められる。

彼等は、新型戦車を投入するために、列車輸送を視野に入れている。

陸軍との考え方との隔絶。それは、輜重に関する考えかただった。

彼等は、高速機動こそが最も重要で、それに付随して、大量の輜重も途切れさせてはならないと考えているらしい。

石原も陸軍の輜重の考え方を今すぐに完全に変えるように何度も意見された。

大軍を抱える陸軍には無理だ。そう言うと、では戦争などするなと一喝されてしまったのだった。


彼等は違う、金に飽かせて大量に用意された物資を輸送する。

そんな真似は帝国陸軍ではできない。


では、するな。そして、武器を置け。

男の論理は簡単だ。

圧倒的な物量で敵を圧倒する。

最も戦術の基礎である。

そして、それができなければ負けるのだと。


確かにそうだが、その足らぬ部分を知恵と精神で補完するのだ。

そうやって、多くの兵士を犬死させるのか。


頭にきて、男を殴りとばそうと鉄拳を振るったが、当然完璧なクロスカウンターを食らって意識を失った。

戦力の彼我の差は明確。

それを見誤った行動は身を亡ぼす。

男がそのあとに言った言葉であった。


熱河事変では、中華東北軍閥の兵力10万人が侵攻してきた。

当初、彼らは有利に戦いを進めていたが、ある日を境に全く別の局面に突入した。


猛烈な砲撃が陣地に加えられた。大地を耕すような砲撃である。

数千名の兵士が吹き飛ばされるような猛撃だった。

次は、真っ赤な航空機が数十機飛来して、爆弾を投下、機銃掃射を仕掛けてきた。

陣地は大混乱に陥っていた。


組織的に反撃できる間もなく、轟然とエンジン音が響きわたってくる。

砂原を濛々と砂塵を捲き上げながら、大規模な敵の部隊が侵攻してくる。

中国兵は見たことはなかったが、それは戦車大隊の進撃であった。

戦車砲が、火を噴く。そして、上部に取り付けられたブローニング兎重機関銃が吠える。

あっという間に、防衛線を突破されて後ろに回りこまれる。

そうなれば、後は虐殺である。

緑の軍服の兵士たちの銃は、連射でき尚且つ、威力が高い。戦車を盾に侵攻されれば、訓練を受けていない彼らには、どのようにも対処できなかった。


その間にも、敵の砲撃は精確に、味方の陣地を吹き飛ばしていた。

航空兵による観測と地上における観測員がひそかに、無線で砲撃箇所を指定していたのを彼等は知らない。


東北軍はたった一回の戦闘で大惨敗を喫して大潰走した。残された兵士たちは捕虜にされることなく処刑されていく。


「中国兵には、真の恐怖を植え付けねばならない。」

シベリア師団の師団長織田信高中佐はそのように檄を飛ばしていた。


師団長でも中佐であった。

それは、真の教祖が未だ大佐であり、それを越えることが憚られたために、現在の最高位が中佐ということになっているのだ。


織田信高は激烈な狂信者である。

不信神者は直ちに撃滅せねば、神が許しても、教祖様が許さないと心の底から、信じていた。

神も教祖も一切そのような願いをもっていないが、彼はそう信じているのだった。

そして、その信念を変えることはもはや誰にも不可能なのであった。


まさに、『狂信』者である。



その後数日で、熱河省は完全に関東軍の支配下に置かれ、満州国の一部になったのである。

これが『熱河事変』の顛末である。


関東軍内部には、この異教徒の戦闘部隊こそ陸軍に必要なのであるという奇妙な意見が巻き起こった。参謀長の石原は、苦々しい想いでいっぱいになった。


まさに五族(日満蒙露華)共和、大東亜共栄圏には、武力を用いるのがもっとも早道なのかもしれない。

彼の理想では、アジア人種たちが協力しあって、アジアの盟主に日本が納まるのが理想であった。しかし、現実は、アジアは人種のるつぼであり、中華思想により、協力しあうことが非常に難しいのだった。


そして、今や日本軍の脅威というか日本人への恐怖が中国の人々を心胆寒からしめたのであった。


そういえば、奴らは、朝鮮半島においても戡定作戦を実施し、レジスタンスを言葉通り皆殺しにした経験をもっていた。


その時の指揮官もこの織田信高中佐だった。ということは、知られていない事実である。


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