第85話 特急アジア号
085 特急アジア号
関東軍参謀石原中佐は、脅されて了解させられてしまった。
応接室の外には、兵達がいたが、動くことはできなかった。
彼は、目の前の男がすでに何人もの人間を葬り去ってきたことを悟った。
流石の石原も自分で人を殺したことはなかった。
だが、眼の前の人間は、自分のことを、蚊を叩き潰す程度の感慨で殺すだろうと感じた。
そして、作戦計画案は、確認させられてから、取り上げられた。
証拠など残すような馬鹿ではない。
計画発起は、9月18日と決定されていた。
その日、特別列車が、満州鉄道を走る。
それは、新ロシア皇国が、借り上げたものである。
その列車が攻撃を受けることになっている。
その攻撃に、関東軍は反撃する。
双方とも激しい戦闘経過をたどるが何とか、関東軍が勝つことになっている。
そして、列車を攻撃した北閥を関東軍が満州から一掃するという計画である。
この計画では、石原が考えた計画とあまり変わらない。
しかし、この特別列車は、爆破され、乗客の大半が死亡する。
生き残りにも、八咫烏師団が攻撃をかけて殲滅する。
つまり、特別列車の乗客は全員葬り去られるということであった。
そして、その乗客とは、新ロシアに招待された帝国軍人が乗っているのだ。
満洲軍閥は、帝国軍人に反感をもっており、この列車を爆破するのである。
風の噂で、新ロシア皇帝から帝国軍人に招待状が配られているという。
なんでも、新ロシアは現在休戦中の身であり、国土防衛は喫緊の課題である。
それゆえ、優秀なる帝国軍人と誼を交わしたい。
新ロシアは日本の満州支配を認める代わりに、ロシア防衛線に帝国軍の派遣を望んでいる。
そのために、帝国の優秀なる軍人を今回皇都に招き接待したいという内容であるらしい。
このパーティーに参加していただけるように、大連から列車を走らせるので、ぜひ乗ってほしい。旅費として些少ではあるが10万円を同封する。
大日本帝国を将来に渡り背負われる優秀な皆さまの参加を切に希望する。という内容であある。
10万円は大金である。
当然招待に応じれば、接待や土産を期待できる。
噂では、爵位を叙爵するのではというものまで流れている。
現に、帝国軍人でロシア伯爵なる男も存在するのだ。
招待状を受け取ったもの達は、それこそ有頂天に舞い上がっているらしい。
10万円という金は、今でいうと1億円の価値がある。
相当な額である。
それが旅費である。
しかも、接待されに出向けばそれ以上の謝礼などがもらえるのは当然であろう。
もう、帝国軍を抜けてもよいかもしれない。
ロシア軍の将校にでもなれば生活は安泰ではないか。
それと、将来有望な者にしかこれは来ないというものであることだ。
生来、自負の塊のようなもの達であれば、全くその通りであると、それを職場で見せて回るような者も存在しているらしい。
「気に食わんが、これでロシア伯爵と同僚になるのか、まあ、気に食わんが、我慢も必要であろう、あいつは、皇帝の姉婿だからな」
そういい放つ者もいたという。
一方街には、不穏な気配が満ち始めていた。
ロシアが満州の統治を日本に任せれば、関東軍が直ちに侵攻を開始するのではないかという噂があちこちで流れていた。
噂では、ロシアが満州の支配を日本に認める代わりに、ソビエトが侵攻を開始した時に、援助をしてほしい。それがこのパーティーの開催理由であるという。
そのために、莫大な金を投じているのだ。
パーティーの会場で、日露の秘密交渉が行われ、秘密協定が結ばれる。
そうなれば、晴れて、関東軍が満州を支配し、軍閥を一掃する手はずを整えているのだという。
現に、満州とロシア国境に、師団規模の軍隊が駐留している。
ロシア駐留の軍隊が、関東軍に手を貸し北部軍閥を挟撃するのではないか。
手遅れになる前に、日本軍の招待客をウラジオストクに行かせないことが重要になってくるのだ。噂はあちこちで正確な情報を伝えている。まるで、誰かが流しているかのように。
秘密協定は、優秀な日本軍人たちの中の誰かが結ぶに違いない。
協定が結ばれれば、いかに軍閥とて抗し切ることはできないのではないか。
今迄は、限定的にも協力的であった軍閥だったが、ここにきて顔色を変えている。
探れば、確かにロシア満州国境に沿いに、師団レベルの軍隊が、駐留していた。
満州鉄道の特急アジア号は大連駅で特別車両を引いて待っていた。
豪華な外装、一目見てお召し列車である。
内部はそれほどでもなかったが、一般客車とは比べものにはならないほど豪華であった。
プラットホームには、軍服に身を包んだ軍人たちが今や遅しと乗り込もうとしていた。
彼等は、満足していた。ロシア皇国から将来の日本の柱石たるにふさわしい人物であると認められたのだ。
使いきれない旅費が入っていた。
勿論、余ったら返してくださいなどとは書いていない。
これで、向こうに行けばさらなる好待遇を受けられる。
そのために、特急を借り切ってくれている。
奉天で止まるが、そこからはノンストップで
ウラジオストクだ。
宮殿での祝賀会に参加して、飲み食い、さらには土産物も用意されているだろう。
夜には、ロシア美女とも親しくなれるかもしれない。
夢を膨らますとはこのようなことを言うのだろう。
一つ気に入らないことを挙げれば、乗客の中に、私が嫌いな奴が存在する。
寺内中将がなぜに乗っている、あんな盆暗なのを。
これだけは、ロシア側に伝えねばならない。
そして、同様のことを皆が思っていた。
何故、荒木中将がのっているのだ。あんな口だけの戯け者を。
これだけは、ロシア側に伝えねばならぬ。
そうして、十数人の乗客が、薄く広く乗り込む。
皆が思っている。「あいつだけはない」と。
それでも、顔色を変えずに、挨拶だけは済ます。
「ロシアには、見る眼がある閣下ほどの人物を招いているのですから」
「ははは、私も全く同意見だよ、やはり君がいたか」
皆が口先から嘘を言っていた。
将官、佐官、尉官もいたが、欺瞞に満ちていた。
誰もが、お前だけは違うだろう!と感じていた。
そして、陸軍だけではなく、海軍も2名ほどいた。
陸軍軍人は海軍軍人のこと知らなかったが、少なくとも見た目からして、あいつらはダメダと切って捨てたのである。
アジア号が汽笛を鳴らす。
それは何故かもの悲しく聞こえたのである。
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