第40話 過去②

 神楽ショーはスムーズに進んでいた。モデルがコレクションを着てランウェイを歩き、観客のデザイナーやマスコミ、バイヤーたちの熱い注目を浴びている。


 そしてみーちゃんの出番になった。


「行ってくるね」


「頑張って」


 みーちゃんと僕が短く言葉を交わし、みーちゃんは袖に戻ってきたモデルと入れ替えにランウェイに出て行く。


 悪夢の始まりだった。





 最初、みーちゃんがランウェイに登場した時、観客は無反応だった。みーちゃんの身長は百六十。外見もメイクをしているとはいえ、子供であることを誤魔化しきれてはいない。対して、他のモデルの身長は百七十五を越えている。いきなり子供が登場したというのが、観客の偽らない思考だったのだろう。


 着ている服も、制服。ノーマルに近い学生服で、見ようによっては他のモデルの着ているオートクチュールと比べると子供服にも見える。


 なんでいきなり子供が……という感じで様子を見ていたのだろうと、今になったらわかる。


 そして……みーちゃんは歩き出す。


 モデル志望のみーちゃんは全くの素人ではない。ウォーキングの練習もしているし、習ってもいる。でも、周囲のハイレベルなモデルたちとは比べるべくもない。粗が目立ち、来ている目の肥えたお客さんたちを誤魔化せはしない。


 みーちゃんが歩くに従って、客席に『無言』が広がってゆく。


 みーちゃんは震えながら歩いていた。精一杯、自信を表そうとしていることはわかったが、逆にそれが怯えている子猫の様にみーちゃんを見せていた。


 そして……


 みーちゃんが前のめりに転んだ。丁度全身を打ち付ける、コントにあるような転び方だった。


 客席の反応は、なかった。ただ黙って、皆みーちゃんを見つめている。


 しばらく、みーちゃんは立てなかった。袖からみーちゃんを心配して出ようというスタッフもいたが、その前にみーちゃんは立ち上がる。


 そして……


「笑わないで!」


 客席に対して大声で言い放った。


「私じゃなくて、『制服』を見て! ここは『服』を披露する場所でしょ!」


 濡れた瞳で観客を射抜きながら、仁王立ちをする。


 対して、客からは何も返ってこない。


『侮蔑』

『嘲笑』

『唖然』

『無視』


 無言の視線だけがみーちゃんを矢のように射抜く。


 みーちゃんは動けない。全身を震わせながら、ランウェイの真ん中で立ち尽くして、涙をぽろぽろこぼし始める。


 それに対しても観客からの応答はない。


 みーちゃんは動けない。スタッフがみーちゃんを舞台から引きずり降ろして、僕の制服の披露演は終わった。



 ◇◇◇◇◇◇



 ショーの終わった楽屋で、僕はみーちゃんが晒し者になったことに衝撃を受けていた。みーちゃんなら出来ると思っていた。いや、思い込んでいたことを思い知らされる。つまり、自分がデザインした服を披露したいというエゴを優先しすぎていて、それ以外の部分が見えていなかったのだ。それを目の当たりにさせられて愕然としていた。


 僕の失敗だ。みーちゃんのせいじゃない。みーちゃんに無理をさせて、結果としてみーちゃんに辛い思いをさせてしまった。


 ごめん、みーちゃん。ごめん、ごめん、ごめん、ごめん……


 頑張ってくれたみーちゃんに申し訳なくて、涙が滲み出てくる。


 みーちゃんは泣いていた。ただただ涙をこぼし落としていた。


 全て僕のせいだ。僕がみーちゃんに無理させたからだ。


 悪寒がする。汗が流れ出してくる。気持ちが悪い。吐き気がする。黙って立っていることがただただ苦しい。


 スタッフのメイクさんやモデルさんたちは、黙って遠巻きに僕らを見つめている。僕らに対する憐みはあるんだろうけど、ショーを台無しにした事に対する不満や怒りも感じる。その視線が、僕の苦痛を増大させる。


 辛い。


 苦しい。


 水中でおぼれる様に息が出来なくなる。


 心臓が押しつぶされるようだ。


 逃げ出したい。ここからどこか遠くへ。


 なにもかも忘れて、全て無かったことにしたい。


 なんでこんなことを始めたのだろう。しなければよかった。


 全て無意味だった。全てが失敗だった。


 あとからあとから後悔が湧き出してきて、止まらない。


 それが僕を圧迫して、心の中で育んできた夢とか希望を潰してゆく。


 逆らえないし、抵抗できない。


 苦しみの中で、僕は逃げ道を探してもがく。





 部屋に、総帥の神楽さんが取材を終えて戻ってくる。皆の注目が集まる中、神楽さんは話し出す。


「ショーはこの一回で終わりではないしモデルの技術が足りないことも別に珍しくはない。ランウェイで叫んだところでどうにもなりはしないが……」


 神楽さんの声は、悪寒に震える僕の身体に強く響くようで……


 そして、嘲笑うかのような決定的な一言を言い放った。


「不細工だったな」


 僕の心臓を射抜く様な音だった。


 泣きじゃくっていたみーちゃんの声が止まって、場に沈黙が落ちる。神楽さんはそれ以上なにも言わない。非難もしないかわりに、みーちゃんに温かい言葉をかけることもない。もう耐えられなかった。ただただこの場所から逃れたい一心で――僕はその部屋から飛び出した。


 廊下を駆け出す。


 人にぶつかりながら、ぶつかった人に罵声を浴びせられながら、どこか遠くの何もない場所を求めて逃走する。


 逃げる。逃げる。とにかくどこかどこか遠くへ。


 大切に積み上げてきた何もかもを捨てて。投げ去って。この苦悶のない場所へ。





 そのあとも悲惨だった。


 マスコミに謎の天才小学生デザイナーともてはやされた過去ありきで、ショー失敗によりあることないことをボロクソに書かれて炎上、ブランドは失墜した。そして神楽総帥は、特に僕に断ることもなく全ショップを閉鎖。


 僕は、ほぼ引きこもりの自失状態で心折れてデザイナーを辞め、みーちゃんと再会することもなかった。風の便りに、モデルを目指していたみーちゃんが神楽塾を辞めさせられたということを耳にしただけだった。

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