第39話 過去①

 開演まであと十分になった。


 美月と悠馬たちは、既に、最初にお客さんに見せるジレスタイルのモノトーンジャケットとパンツに着替えている。美月がスカイブルー、悠馬がダークブラウン、ユキがミントグリーンを基調としたコーディネートだ。


 あと五分。あと五分で、俺たちのショーが始まる。


 昔失敗してから五年の歳月が過ぎている。ずいぶん時間がかかった。長い断絶があった。あきらめていたようであきらめきれなかった。心の奥底で葛藤があった。


 でもあと五分。五分で昔に繋がる。俺の心に沸き起こる悔恨、懐心、感謝、決意。その中で――ドクンと、心臓が脈打った。


 え?


 思ってもいなかった身体の反応に戸惑う間もなく、さらにもう一度ドクンと心臓が鳴って視界がブレる。


 悪寒と気持ち悪さが押し寄せてきて、耐え切れずに片膝を着く。


 なんだこれは? と疑問に思う間もなく、暗黒に襲われる様な圧倒的な『恐怖』を感じて目をつむる。


 怖い……のか? ショーが?


 震えながら自問自答するが、答えは既に出ている。怯えが全身を駆け抜けて、両腕で自分の身体を抱きしめる。


「晴人っ!」


 美月の高い声が聞こえたが、その美月を見上げる余裕はない。


 視界が白くなって、俺は昔失敗した神楽総合ファッションショーの記憶の中に紛れ込んでいた。



 ◇◇◇◇◇◇



「モデルの女子高生が事故ったらしい!」


 プランナーがスマホ片手に声を上げた。


 神楽総合ファッションショーの本番。僕の『制服』が神楽ショーで披露される当日のバックヤード。かなり広い楽屋だったが、『神楽』の総帥――神楽蒼樹――やショーのプランナー、モデルやフィッターで部屋が狭く感じる。


「怪我は軽いんだそうだが……来られなくなったと警察から連絡があった!」


「モデルの女子高生ってもしかして……」


 僕はおっかなびっくり問いかける。


「そうだ。HARUTOの制服モデルの女子高生だ」


 それを聞いて、僕の頭は衝撃で真っ白になった。


 その漂白の中にバラバラな思考が浮かんでは消えてゆく。


 モデルが来られない。なら、本番はどうなるのだろう? 今までみーちゃんと一緒に寝ないでデザインした制服だ。神楽ショーでの披露を夢見て二人で頑張ってきた。でも、モデルが来られなくなったという連絡があった。さすがに直前すぎて、代わりのモデルを用意する時間はないだろう。


「代役のモデルでいいんじゃない? ここにはプロ中のプロが大勢いるし」


 神楽配下のモデルの一人が提案してくれる。


「いや……。難しいと思う」


 僕は、深い穴の中へ沈んでゆく様な暗澹たる気持ちで答える。


「制服は高校生用に作ってる。ここのモデルさんたちは服に合わせるには『大人』過ぎる。それに、服は身長百六十台のオーダーで、ここのモデルさんたちは背が高すぎる。着るとわかるけど……」


 一拍置いて、言葉を絞り出す。


「大人が子供服を着ているみたいで奇妙にしか見えない」


「………………」


 提案してくれたモデルが押し黙った。


 部屋に沈黙が落ちる。僕とみーちゃんが、一緒に心血を注いでデザインした制服。国内最高峰の神楽ショーで披露することになった制服。僕が大人になったらみーちゃんと一緒に着たいという憧れを形にした制服。全部、無駄になる気がして、途方に暮れる。


 なんとかしたいという強い想いがある。


 どうにかならないのだろうか?


 服を仕立て直す時間はない。変わりのモデルの手配は間に合わないだろう。いっそ、僕が制服を着てランウェイを歩く……事すら考えたが、どうにもならないだろうという結論に達する。


 唇を噛みしめた。


 拳をきつく、痛いくらいに握りしめた。


 こんなことで終わってしまうのか?


 今までの僕の想い、努力、夢とさえ言ってもよいことが……


 と、目端に映っていた『みーちゃん』、部屋の隅で椅子に座ってじっとしていたみーちゃんに気づいて、はっと思いついた。


「みーちゃんが着てくれないか?」


 え? と部屋の注目がみーちゃんに集まる。


「みーちゃんなら身長も丁度いいし、大人が着るのは無理だけど、十二歳のみーちゃんが着るのならなんとかなる!」


 プランナーが最初に反応した。


「確かに身長や体格は誤魔化しがきく。だけどみーちゃんはプロのモデルを目指しているけどプロのモデルじゃない。そのあたりの技術は見る人が見れば一発だ。誤魔化せない」


 さらにメイクさんが付け加える。


「あとは、言いたくはないがショートカットで男の子っぽいまだ少女のみーちゃんの外見は、モデルとしては苦しい。着る服が制服だとは言っても、前後のモデルとの浮きが激しすぎる。高級外車の中に、軽自動車を混ぜ込む様なものだ」


「でもっ!」


 僕は、その手を大きく広げて必死に自分を訴える。


「僕はこのショーを諦めたくない! 僕の創った制服をみんなに披露したい! 見てもらいたい! 確かにみーちゃんはまだプロのモデルじゃないけど、でも充分技術はあると思う。みーちゃんなら、僕のデザインした制服なら、絶対に成功すると思う!」


 部屋の面々が押し黙る。重い沈黙が室内を支配する。


「でもやっぱり無理が……」


 一人が口にしたところで、みーちゃんが反応した。


「私、やってみる!」


 皆が、そのみーちゃんに注目する。


「私、はるとくんの努力を無駄にしたくない。私でなんとかなるのなら、やってみたい!」


しばらく部屋に沈黙が落ちた後、総帥の神楽さんが声を発した。


「やってみるがいい」


 今度は皆の注目が神楽さんに集まる。


「そこまでの覚悟があるなら、やってみるがいい。しかし、私の神楽ショーに於いて不作法は許さない。やるからには成功させねばならない。それが十二歳の小学生であろうとも、だ」


「うんっ!」


 みーちゃんが決意の声で反応した。


「なら、フィッター、メイク、みつきを見られるようにしろ。時間はない」


 その神楽さんの命令に、フィッターとメイクが素早く動きだす。濃紺のブレザーに薄青のミニスカートを纏い、髪を整え、メイクを施すみーちゃん。まさかみーちゃんが僕の作った制服をきてランウェイを歩くとは想像もしてなかった。みーちゃんに無理はさせたくないという気持ちもあるんだけど、もうそれしか方法がないこともわかってる。


「みーちゃん」


 僕は椅子に座って、見栄えを整えているみーちゃんの隣に行って声をかける。


「大丈夫……とは聞かない。頑張って。あとは、ありがとう。僕の為に」


 みーちゃんが僕を見て微笑む。


「はるとくんの頑張りをずっと見てきた。だからそれを無駄にはさせたくないし、絶対成功させたい。成功する。きっと」


 僕とみーちゃんはその後、言葉ではなく目と目で会話を交わす。


 互いの手を取り合って、そして開演時間になった。

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