第35話 天才パタンナー②

 その日の真夜中。ワシ、結城八重は、六時間ほど睡眠をとった後、ふらふらと自室ソファから起き上がった。


 仕事場にしているワンルーム。中央に大きなテーブルがあって、メジャーやハサミなどのパタンナー用具がごちゃごちゃと散乱。周囲はマネキンと布で埋め尽くされている。


 汚部屋というわけではないが、雑然として取り留めもない。


 洗面所で顔を洗うと、まだ眠っている頭がやっと動き始める。


 まずはパソコンの電源を入れ、メールを開く。添付でPDFファイルが幾つか。仕事がさらに山積みになるということだ。ああもう、ごちゃごちゃうるさい。仕事すりゃいいんじゃろ?


 ――と。


 見慣れない差出人からのファイルがあった。神楽のものではない。リーヴからでもない。


 開く。


 デザイン画。


 グレーのノースリーブに同色のパンツセット。シンプルで落ち着いたデザインながらその形状からアクティブさも醸し出していて、自分がJKになれたら背伸びして着てみたいと思わせる造形。


 うん。わるくない。


 メールの差出人は……晴人か……。昨日電話がかかってきた五年ぶりの親友。昨日というか……寝る前のつい六時間前。


 悪くない。五年ぶりにしては、悪くないデザインじゃ。


 こちらも結城……いや、勇気が湧いてきた。晴人の為というわけでもないが、気張ってやるかと、腕まくりする。


 ここ数日はLIEVの納期が迫っていてまともに寝ていない。本来ならJKの年頃なのだが、髪はボサボサで後ろにゴムで束ねてるだけ。なんとも物悲しい限りだが、この仕事が好きな事には変わりなし。


 まずはデザインを確認。イメージ。脳内で完成形を形作る。そして作図してマネキンに直接生地を張り付ける立体裁断に進むのが私のやり方。


 最近はCAD、コンピュータソフトウェアを使う人が多いのだが、私は私のやり方を通している。結果を出しているので文句は言わせない。私は私の我を通すまで。


 置いてあったマグカップのコーヒーを手に取り、がぶ飲みする。冷めてはいたが、頭がすっきりして冴えてくる。さあ、イメージ創りだ。


 私は瞑想しはじめる。これは私だけのやり方。他のやり方は知らない。これをしないと次のステップに進めないのだ。


 ぼんやりとしたイメージが徐々に固まってくる。それが服の形状を取る様になり、そして完成形にまで仕上がる。


 よし。イメージ完成。


 さらに作図を経て立体裁断。マネキンに布を張り付けて、メジャーで測りながらハサミを入れる。ここは楽しい作業。袖。衿。背……。見る間に部品が形になってゆく……


 そしてトワル組み。修正は毎回なし。ほぼ全てのパタンナーは修正を数度行うが私はしない。私はする必要がない。裁断時に服の完成形が完全に見えているからだ。


 さらに仕様書を作成しなくてはならない。『手書き』で縫製時の細かい仕様を、デッサンと共に書き込んでゆく。通常はCADソフトで作る。だが私はCADが苦手だ。忌避しているというレベルでだ。工場も『そういうこと』が通じる『お抱え』の専門を選んでいる。通常レベルの縫製工場はお呼びではないのだ。再びコーヒーをがぶ飲みし、メロンパンを頬張りながら頑張る。頑張る。


 結局、完徹。でも完成。ひと仕事終えていい気分じゃ。


 翌朝、日が昇る頃には晴人から送られたデザインを勢いそのままにパターンに仕上げて、トワルと仕様書を工場に送ってしまったのだった。



 ◇◇◇◇◇◇



「これ、案件に入ってません!」


 神楽配下の縫製工場で、女性職人の声が響いた。


 工場といっても、大規模アパレルが自社で持っている、机がズラーッと並んでいる広大なものではない。


 下町のマチコウバを思わせる屋内にミシンが六台の、狭い工場だ。


 ここには、大手で雇われている様なバイトやパートの従業員はいない。皆、その道二十年以上の『職人』といわれるレベルの人たちだ。


 その内の一人、若い、といっても四十程の女性が、送られてきた段ボール箱を確認しながら声を響かせる。


「これ、受注案件にないトワルと仕様書です!」


 と、室内で布をチェックしていた六十絡みの男性職人が、動きを止める。女性の元へ行き、段ボール内から仮縫いの生地を取り上げ、しげしげと舐める様に見やる。


「だが、確かにこれは嬢ちゃんから来たトワルだ!」


「あ! ありました! 八重さんからのメールです。八重さんの『個人的』な案件だそうです!」


「なら、断れねぇよな……」


 男性職人がニヤリとつぶやく。


「そこの寝こけてるヤツ、叩き起こせ! 仕事だ仕事! 俺たちゃ、伊達に普通の奴らの何倍も給料もらってるんじゃねーんだぞ!」


 工場が震える。


「寝てる暇なんてのは引退してからだっ!」


 その言葉で、職人たちがまたミシンを動かし始める。


 この、県内一就職が難しいといわれる工場に休みはない。



 ◇◇◇◇◇◇



 八重からメールが届いた。


 最初に送ったデザインを……一日経たずにパターンに起こして、トワルと仕様書を工場に送ったぞ、どやっ! という内容だった。普通ならばスピードと完成度はトレードオフの関係にある。しかし八重にその常識は通用しない。あのスピードであのレベル。おそるべし、結城八重。神楽、ひいては日本が誇る天才パタンナー。


 あと二か月で彩雲祭のファッションショーという無理なスケジュール。どこかをショートカットしないとコレクションは完成しない。


 デザインの手を抜くのは本末転倒。だから、昔馴染みの八重を頼った。八重が工場まで手配してくれるとは思っていなかったが……。こちらを慮ってくれたのと、八重の仕事の都合もあるのだろう。



 ◇◇◇◇◇◇



 このようにして毎日が忙しく流れて行った。


 授業中、俺は疲れて眠りこけていたが、放課後になると悠馬とユキへのレッスンが始まる。


 自宅に美月が帰ってきて俺がラフスケッチしたデザインに対して議論を戦わせる。


 短い食事、お風呂を挟んでさらに寝る前に方向性の再確認。二人で「おやすみなさい」とだけ挨拶を交わして、疲れからすぐに眠りに落ちる。


 そしてデザインが完成するとそれを八重に送る。八重はスピード感を持ってパターンを上げ工場へと送る。工場での縫製は修羅場だろう。


 そんな毎日が続く。


 残り時間は少なくなっていったが、やがて一着、また一着とコレクションが完成してゆく。お手伝いを頼んだ照明係さん、音響係さんなどを含めた直前の体育館でのリハーサルを経て、彩雲祭本番の当日を迎えたのだった。

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