第28話 夕食

 夕食。


 時間がたつのも忘れてデザインに没頭していて、夜十時過ぎになってしまった。


 デザインしたラフ百枚をソファで順に眺めている俺に、美月がキッチンから声を向けてくる。


「今日は晴人が来る予定日だったから、ハウスキーパーさんは頼んでないわ。その……」


 美月が少しごにょごにょと口ごもる。


「手料理……とかごちそうしてあげたくなって」


「それは嬉しいんだが……。前に家事は壊滅レベルだって言ってなかったか?」


「いいの! 作ってみたくなったのよ! それで一緒に食べるの!」


 美月が怒っているような声を出し、すぐさまガッシャーンという皿を床に落として割った音が届く。


 うーんと思いながら腰を上げる。台所に行って美月の脇に立つ。


「このパスタ茹でればいいんだな?」


 美月に言ってから、手をよく洗いフキンで拭う。湯気が立っている鍋に塩を振り、パスタを入れる。パスタは形よく広がり、それを箸でゆっくりとかき混ぜていると……


 俺を黙ってじっと見つめていた美月と目が合った。


「なんだ……?」


「すごく……上手ね……」


「いや。ただパスタ放り込んだだけだろ? というわりに、なぜそんなに不満顔?」


「ふんっ。しらないわっ!」


 美月は気分を損ねたという様子でぷいっと横を向いてしまった。


 うーん……。美月の性格を考えると怒る気持ちもわからないではないのだが……。ただパスタを茹でただけで気分を害されると何もできない。美月に食事の準備の全てを任せれば問題解決なのだろうが、不安しかない。


 少し聞きたくなって聞いてみた。


「俺はリビングでどっかとして待っていて、美月が『ごはんよ~』とか言う古風なのがお好みですか、美月さん?」


「まあ、ありていに言うとそう。実は……結構昔から……あこがれてたの。こういうの」


「こういうの?」


「そう。今風じゃないけど、家庭的なお父さんとお母さんというの? 家族のだんらん的な」


「そういえば、美月は母親だけで、そのお母さんとも離れて暮らしてるっていってたよな」

「ええ……」


 美月が少し寂しそうな顔を見せる。


「小さいころから『パパ』はあまり私の事、構ってくれなくて。それでも『パパ』の事は好きだったのだけど」


「……うん」


「そのパパが私のママと別れてからは、私はモデル一直線でやってきて」


「美月は俺が見た感じ、立派なモデルだと思う。俺ごときが言うのもなんだが」


「そうよ。私、頑張ったの。それは必死に物凄く頑張ったの。才能なかったから。でもその他の事はすべて捨ててきて、アットホーム的なものに憧れるからいま晴人に美味しいもの作ってあげられないのが悔しい気持ちもあって……」


 その美月の独白は、すうっと俺の心の中に自然に入り込んできた。


 確かに美月には才能はないと思う。ウォーキングに格別の不備はないが、教科書どおりというだけで取り立ててどうこう言うものでもない。言ってしまえば代わりのモデルはいくらでもいるというモデルでもある。


 しかしその代役OKレベル程度に何とか達している美月ではあったが、そのウォーキングや立ち振る舞いから並々ならぬ努力の跡が見て取れた。過去にプロのデザイナーとして活躍していた俺だからわかる。美月は本当に必死に頑張ったんだって、わかる。だから、その美月の、料理とかに憧れてたという言葉には重みがあって、今までの態度、行動を納得させるだけのものがあった。


「昔から、普通の家庭じゃなかったからそんな普通の家庭のだんらんに憧れる気持ちも捨てきれなくて……。だから、将来大人になっったら仲の良い家庭を築きたいって……思ってたのっ!」


 最後は感情を発散させた大声だった。下を向いてしまった美月の顔が真っ赤に染まっているのがわかる。


 俺は、美月に告白された当時、美月は軽いお遊びのつもりで俺に接近してきただけだと思っていた。今になったら美月が本気だったことはわかるのだが、当時はその美月の気持ちなんてなにもわからずに制服姿に右往左往して、美月とのキスに懊悩して……


 今なら、美月の家庭的なものに憧れる気持ちもわかる気がする。


 モデルに成るために一心不乱に思春期を過ごしながら、きっと、ずっと、父親とか彼氏に憧れていたんだろうって思う。


 だから、美月とのこの夕食イベントはきちんとこなそうと決めた。


 適当に料理を作って、腹ごしらえして次に進む、じゃ駄目なんだと気付かされた。


「じゃあ、一緒においしい料理、作らないとな」


 俺は下を向いてもじもじしている美月に語りかける。


 美月が顔を上げる。


 俺がその美月を見つめて微笑むと、美月はその表情をぱあっと華やかせた。


「ええ!」


 美月がにっこりと満面の笑みを返してきた。


 将来、美月と一緒になるかどうかなんてわからない。美月の事は嫌いじゃない、というか好き……なんだろうが、とてもそんな先のことは考えられない。


 それよりなにより、二か月後に彩雲祭のファッションショーがあるし、その為のコレクションデザインに押されている。


 でも……


 美月も俺の事を考えてくれていて、俺の為に時間と労力を惜しむことなくかけてくれている。だから俺も美月の事を考えなくちゃいけない。美月の気持ちを考えなくちゃいけないと思う。


 昔、神楽ショーを失敗したのも、自分の事しか考えなくて、手伝いを申し出てくれたみーちゃんの事とか、ショーを見てる観客の気持ちとか反応とかを無視したからだ。


 全て俺自身の都合だけで動いたからだ。一度失敗しているから、わかる。


 人は、多分、失敗からしか学べないんだと思う。生まれてから最期まで失敗なく過ごせるのは理想だと思う。でも失敗する。人間だから。


 人はその失敗を認めたくない。全力でやったから後悔はない、と言う。嘘だと思う。後悔だらけだ。その失敗を「失敗だと認めて」からが勝負なんだと今は思っている。


 胸中でいったん思考を停止して料理に戻る。


「ひき肉は……?」


 美月に尋ねると、「冷凍庫」と返答が帰ってきた。


 扉を開いて、ほとんど空の冷蔵庫からチルドの肉を取り出す。美月と顔を合わせてアイコンタクトしてから、パスタに乗せるミートソースの制作に取りかかる。


 美月とは多分きっと楽しく食事ができる。俺と美月の間は、多分そのくらいの近さにはなっている。思いながら鍋に油を敷いて温め始める。そして料理の出来栄えは満足できるものになった。結局、ミートソースパスタとサラダは俺がほとんど作ることになったのだが。

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