◆5-14:メラン トランジットチューブ

 窓の外を鮮やかな彩りの電飾サインが駆けていく。

 鮮やかではあるが無機質で味気のない直線。それが赤から紫へ。紫から青へ。青から水色へと次々にグラデーションしながら移り過ぎる。

 メランはひじを立てた左手で口元を覆い、そこで頭の重量を支えながら、目の前を過ぎる色とりどりの線を眺めていた。

 普段は紅く輝く瞳も、けばけばしい光線に照らされた今は生気のない灰色に沈んで見える。


「朝から辛そうね。生理?」


 狭い車内のシートに座るのはメラン以外にはイザベルとネムリの二人だけ。

 男子の姿がないとはいえ、イザベルが切り出した明け透けな話題に、メランは思わず「馬鹿」のバの字が出掛かった口のまま表情を固めてしまう。


「なるわけないだろ。そもそも器官がないんだから」


 生理の話題ごときで慌てては年長者としての沽券こけんに関わる。メランはことさら平気を装い、首の裏をボリボリときながら言った。

 今日のユフィはゆったりと編み込んで垂らしたフィッシュボーンの髪で頭を飾っていた。

 エレガントなこの仕上がりはイザベルの手に依る仕事で、任せきりにしたのはメラン自身の責任だが、やり慣れていないせいでどうにも頭がむずがゆい。


「あ、そ? 症状をなくす薬のこと知らないんだったら教えてあげようと思ったんだけど」


 世話焼きのイザベルらしい。彼女の純粋な好意を疑うわけではなかったが、それだけにメランとしてはきまりが悪い。

 イザベルはユフィの正体が成人男性であるメランが幼生退行した姿だと知ってもなお、まったくと言ってよいほど態度を変えず、他の子供たちと同格か、ともすると女性の先輩として、メランに女子の気構え的なものを教示しようとしてくるのだ。


 その件に関しては、不完全ながらユフィとして過ごした時間の記憶が残っていることが、メランの心情を複雑なものにしていた。

 ふとした瞬間に、自分が今も彼女に世話を焼かれる無力な幼児であるように錯覚してしまうことがある。

 当たり前のように着替えを手伝ってもらっている自分に気付き、羞恥心にさいなまれた経験も一度や二度ではなかった。


「じゃあなかったら、やっぱり憂鬱の原因はケネスにフラれらせい?」

「…………」

「イザベル。デリカシー」


 言葉少なにイザベルをいさめたのはネムリである。

 今日はもう一人のにぎやかしであるセスがいないので、自然と彼女の発言が増える傾向にあった。


 三人は今、小型の自動運転車トラムバスに乗ってリューベックの艦内を移動していた。

 彼女らの乗る車両は寮の敷地を出て、〈ヴォーグ〉の建造ドッグへと向かうチューブの中を疾走している。車内から視認はできないが、前方には、同じようにケネス、アキラ、ドッドフの男子三人を乗せた車両が走っているはずだった。

 この円柱の管は一般に開放された交通路トラムではなく、緊急、あるいは機密の用途で用いられる専用線である。


 今日の作戦に際し、経路には予めアンチMフィールドが張り巡らされ、強力なM力場の発生源と目されるケネスをその枠の外に漏らさないための準備が周到になされていた。

 アンチMフィールドを生成するためには装置の一つ一つに人間一人が張り付いている必要がある。

 キケルクォのような適性の高い者でなければフィールドの展開範囲は装置1基につき1㎞程度が限界であり、今回の作戦には文字通りの人海戦術であたる必要があった。


 手間の掛かるこの外出の目的は、〈ヴォーグ〉搭乗適性のある子供たちを実機に乗せてみて、アンチMフィールドの展開範囲を測定すること。

 もっともそれは、ケネスや他の子供たちに報された表向きの目的であった。

 真の目的は実験にかこつけてケネスの行動を誘導し、彼が肌身離さず所持する謎のデバイスを奪取することにある。

 研究者のサラウエーダにとっては、むしろ表向きの実験の方が俄然好奇心たぎるメインイベントであるらしかったが。


 彼女に代わってデバイスすり替え作戦の指揮を執るのはシトロフロロである。彼は遠隔からメランたちの内耳に仕込まれた無線機で指示を送る運びとなっていた。

 いま車内にいる三人の会話も、同じ機器によってシトロフロロや他のオペレーターたちに丸聞こえになっているはずである。


「悪かったわね。デリカシーなくて。それに、フラれた訳じゃないって言うんでしょ? 本当は相思相愛の二人が、対立し合う二つの勢力のせいで引き裂かれる悲劇。んー、なかなかロマンチックじゃない?」


 芝居じみた身振りを交えながら、イザベルがメランを揶揄からかう。

 いや、もしかするとこれは彼女なりに元気づけようとしているのかもしれない。


「勝手に盛り上がるな。遊びじゃないんだ。これは……、こんな馬鹿みたいな作戦でも、俺たち連盟の命運が懸かってる……わけなんだから……」


 たしなめて真剣に語ろうとするメランだったが、改めて口にしてみるとやはり、この冗談じみた作戦には引け目を感じざるを得ない。

 途中で力を失ったメランの声はイザベルを余計に調子付かせた。


「だったら余計よ。テンション上げていかなきゃ。失敗したらどうしようとか考えてちゃ駄目。成功してる自分を想像しましょう。最っ高に成功したらどうなるか。ほら、ケネスだってさあ、事情を話してお願いすれば、こっちに味方してくれる気になるかも。二人が結ばれてハッピーエンドになる未来だって──」

「結ばれてどうするんだよ」


 話を遮られたイザベルもそうだが、思わず大きな声が出たことにメラン自身も驚いて口をつぐんでしまう。

 狭い室内に満ちた気まずい沈黙を取りなすようにネムリがポツリと呟く。


「イザベルは忘れてる。ユフィの中身は男の人……」

「え、忘れてないけど……」


 むしろそこがこのシチュエーションの燃えるポイントなのだという話は、すでにセスと二人で散々盛り上がり、確かめ合ったことだった。

 だが、さすがのイザベルも、こんな空気の中、当人を目の前に、その好奇心をひけらかすべきではないという程度の分別はわきまえていた。辛うじて。


 メランは押し黙ったまま、心の中で懊悩を囲う。

 彼がユフィの身体で目覚めて以来、始終頭をよぎる気の重い想像について再び思いを馳せる。

 先ほどメラン自身が言ったとおり、これは統一銀河連盟と、その社会で暮らす人々全員の命運が懸かった一大ミッションである。

 サラウエーダを通じて下されたこの命令の実行に関し、決して迷いがあるわけではない。

 一旦やると決めた以上は、なんとしてもやり遂げるつもりではある。

 だが、それとこれとは別に、やはり憂鬱なのだ。

 このミッションがいつまで続くことになるのか分からないが、この調子で……、こんな気持ちのままでケネスの側に居続けた場合に、自分の身に及ぶ影響は如何なるものであろうかと。

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