◆5-11:ヴェエッチャ 査問室(2)

「ようやく本題だな。当ててやろう。お前らの懸念はケネスの奴が持ってるデバイスのことだろ?」


 そうだ。あれこそが獅子身中の虫。我らの手を離れた不確定要素の塊であった。

 あれが敵地にある以上、計画の実行がどのような突飛な結末をもたらすか予断を許さない。

 事の発端にして今なお最大の障害なのである。

 あれ自体はただの中継デバイス。ひねれば水の出る蛇口のようなものに過ぎないが、困ったことに水の供給を断つには〈F3回路〉の主機関を停止する以外に手がない。

 それは取りも直さず、統一銀河連盟からこの地球を覆い隠す認知のヴェールを剥ぎ取ることに他ならなかった。


「ざまあねえな。そもそも自壊か遠隔停止機能を付けてなかったのがお粗末過ぎるぜ」


 ヴェエッチャは自身の無知を顧みず、せせら笑って吐き捨てる。が、無論そんな単純な話ではないのだ。

 デバイス自体に自壊その他の安全装置を取り付ける試みは、既に数千年前に、何億回という試作の末に頓挫とんざしている。

 デバイスが周辺に作り出す力場自体の作用で勝手に自壊し、使い物にならないというのが主な理由であった。


「それに、その数千年で蓄えた成功体験がお前らの判断をゆがめた。違うか?」


 〈姿無き声〉は沈黙を以って返す。既に対話の時は役目を終えていた。


「勝手な奴だな。相談役として呼んだんなら、そろそろ茶の一杯でも出せと催促しようと思ってたところだ──」


 無音の慟哭どうこく

 臆面もなく自らの無知と無恥を晒し続けるヴェエッチャの脳髄を天啓が打った。

 上から糸で吊られたように頭が垂直に持ち上がったあと、苦悶の表情を浮かべていた顔がだらしなく弛緩する。

 脳に直接与えられた情報の奔流が、彼に恍惚こうこつ恩寵おんちょうを授けた。


 椅子の背にぐったりともたれたのち、ヴェエッチャはこれが〈姿無き声〉からの宣告であることを知った。

 最初から、方法で伝えることも可能であったのだぞという。


 これは最初から、相談でも、査問でもなかったのだ。

 彼個人に作戦を指示するに当たって効率的に意思の統一を図るための教導の場。

 彼の反発も。邪推も。隠し立ても。全てを織り込んだ洗脳プロット装置に過ぎないのだった。

 ヴェエッチャは両手で左右の耳を激しくさすったあと、椅子の上で身体を前傾にしてかぶりを振る。


「あークソッ。分かった分かった。行くよ。はなから逆らう気なんざねえ。あれを取り返すために再潜入しろって命令も。今さら勿体もったいぶって言われるまでもねえ。予想はしてたさ」


 絡んだたんを足元に吐く。

 その僅かな間に再び蓄えた勇気で、見えない相手の喉元に牙を立てる。


「それに、お前らが未だに自由意思を持った人間なんていう不確定な駒を必要としてるのかも、なんとなく分かっちまったぜ」


 〈姿無き声〉はやはり何も答えず、ヴェエッチャを暗闇へ置き去りにして静かに気配を消した。


「……都合の悪いことにはダンマリか? 意外と可愛げがあるじゃねーか」

「えっ? なんだってぇ兄貴」


 いつの間にか、ヴェエッチャの目の前には見慣れたコガネイの丸顔があった。

 いや、いつの間にかではない。こいつはずっとそこに居た。こいつも。俺も──。


 呆然と立ち尽くしているように見えて、ヴェエッチャの頭の中では目まぐるしく真実を突き止めるための思索が巡らされていた。

 二人は、連盟の追っ手を首尾よく巻き、さらに念を入れて迂回に次ぐ迂回を経たうえで太陽系内に帰着した。

 ここは、彼らが数日振りに踏んだ友軍の地。

 人工天体内に再現された、ちょっとした公園のような場所だった。


 ドッグからもほど近いこの場所で、コガネイが入口のゲートを潜ってすぐ天然素材のアイス販売所に飛びついた。

 ヴェエッチャはそんな相棒の後ろ姿を溜息混じりに眺めていたことを思い出す。

 ほんの僅かな間だ。気付くとコガネイが両手にアイスを持って振り返るところだった。

 足元に吐かれた自分の痰の跡は、果たしてこれは、吐かれたものなのか……。


「なんでもねー。コガネイおまえ、買うなら一つずつにしろって、前にも言っただろーが」


 キョトンとしてヴェエッチャの顔を見返すコガネイ。

 はて、と見ると自分の出っ張った腹の上に手元から垂れたストロベリーアイスがベッタリと付着していた。


「あー。なんだよもう。折角着替えたばっかなのに。……おい、ポンコツ。どうなってんだこれ。こんな溶けたもん客に出して金取ろうってんじゃないだろうな?」


 ドロドロに溶けて原形がなくなった元アイスを一口でコーンの先まで飲み込み、コガネイがロボット店員を怒鳴りつける。

 その後ろ姿を眺めながら、ヴェエッチャは自分の記憶がどこまで確かであるかを顧みた。


 〈元老院〉からのお呼びが掛かり、二人を乗せた偵察艇はこの宇宙港に寄港した。

 次の行く先は追って指示するのでこの場で待てと言われ……。


「おい、行くぞ。コガネイ」

「えっ、待ってくれよ。これ、着替えなきゃ」


 コガネイが着ているのは、これからお偉いさんに会うのに心証を良くしておくに越したことはないと言い張って〈分子編み込み機〉であつらえた一張羅いっちょうらだった。

 似合ってはいないが、一応は気を遣った努力が垣間見えたフォーマルなスーツが、今は淡いピンクをまだらに練り込んだパンキッシュな装いに変じていた。


「大丈夫だ。もう必要ない。用は済んだ」

「どういうことだよ。まさか……まさかとは思うけど……」


「ああ、。たった今な」


 コガネイが口の中にあったものをゴクリと飲み干す。

 続いて、左手にあったチョコミントも、一呼吸のうちに胃の中送りの刑に処される。


「待ってよ兄貴。そんなに急ぐのかぁ? ちょっとぐらい、昼飯くらい食っていこうぜ」


 ドッグの方向に歩き始めていた兄貴分にコガネイが小走りで追いすがる。


「そこまで急ぎの予定じゃねーが、俺が早くここを離れたい。気分がわりぃ」

「何があったってんだ。教えてくれよ」


 ヴェエッチャが立ち止まり、周囲に人影がないことを確認してからコガネイに顔を寄せた。


「お前、爺様たちの方舟はこぶねが具体的にどのくらいの大きさか知ってるか?」


 鋭くひそめられた語調からはヴェエッチャの真剣さがみ取れる。

 だが、コガネイには質問の意図が全く読めなかった。


「いっ? 知らないよ。最高機密だろ? 探ったことがバレただけでも抹殺処分確定だ」

「なら、大体でいい。どんなイメージを持ってた?」


「そりゃあ……、月ぐらいだろ。皆そう言ってる。中には木星より大きいって言う奴もいるけど、俺ぁ流石にそれは吹かしだと思うね。あ、今のは不可視ふかしと掛けたんじゃないぜ。名誉のために断っとくけど……」


 ヴェエッチャは弟分の馴染みの口振りに、安堵に似た溜息を吐く。


「今度誰かに訊かれることがあったら、なるべくデッカク見積もっとけ。どうやら俺たちの忠誠心ロイヤリティを測る指標の一つに使われてるらしいぜ」

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