◆5-8:メラン メランの私室(3)

「私はぁ……ユフィもまんざらでもないのかと……」

「私も私も。っていうか公私混同しないで、もっとプロ意識を持って任務にあたった方がいいんじゃないかって、忠告しようと思ってたのよ?」


 イザベルがベッドから立ち上がってメランの方に歩み寄る。

 かがんで床に膝を付き、ライムグリーンの髪をどけて彼女の肩に手を置こうとした。


 そのときだ。

 イザベルが自分の視界の端が騒がしいことに気が付く。

 頭を横に傾けると、ネムリが両手を大きく広げて振っていた。

 大慌てで何かを伝えようとする表情。

 どうやら部屋にいる皆の注意を引こうとしているらしい。

 既にメラン以外の全員がネムリの不思議な挙動に注目していた。

 身振り手振りと口元の動きで彼女が何を伝えようとしているのかを読み取ろうとする三人。


 ──外にいる。すぐ前まで来てる。ケネス。隠れないと。


 状況を察した三人はほぼ同時に立ち上がった。

 だが、隠れると言ってもワンルームの個室に身を隠せそうな場所はない。

 アキラは作り付けのクローゼットを開けてみるが、中は衣装棚がいっぱいに詰まっていてとても潜り込む隙間はなさそうだ。

 振り返るとイザベルたち女子三人は固まって一つのシーツを被り丸まっている。

 そんなことで誤魔化せるものかと呆れたアキラだったが、他に姿を隠す手段がないことも事実。

 結局アキラも諦めてドア脇の壁に張り付いて立つことにした。


 無言のまま何やら慌ただしくし始めた四人の気配に、メランがようやく気付いて顔を上げる。そのとき、入口のドアがノックされた。


 キョロキョロと周囲を見回すメラン。

 シーツの隙間から顔を出したセスと目が合うと、拳を握って突き出す仕草をされた。

 イケイケ、ヤレ、と何かを鼓舞するジェスチャーだが、メランにはその意味が伝わらない。

 そうこうするうち、再びドアがノックされる。


「ユフィ。俺だ。ケネスだ。起きてたら少し話せないか」


 ドア越しのくぐもった声。

 それでようやくメランも何が起きているのかを把握した。


 ──ええっ。いや駄目だ。何を話すんだよ。こんな夜中に。こんな夜中に何を話すんだよ!


 動転したメランは必死の表情で訴える。

 だが、シーツの下から覗く顔は三つに増え、「チャンスよ」「とにかく話を聞いて」などと口を動かし、無責任にメランを煽っていた。

 一応アキラの方にも目を向けてみるが、こちらは壁との一体化を試みるばかりで全く頼りになりそうになかった。


 準備もおろそかなままにメランはギクシャクと立ち上がる。

 そのときになってようやく、部屋に据え付けの姿見に映る自分の姿に気付く。

 片側だけ編み込みがなされた髪型であるのに対し、反対側は梳き流したまま。手が込んで編まれているだけに不格好なことこの上ない。


 ──か、髪! どうするんだ、これ!?


 右の側頭部に手をやってイザベルの方を恨めしくにらむが、イザベルの口は「いいから早く出て」としか動かなかった。


 確かに。これはチャンスに違いない。

 日中ではなくえて夜中に、年頃の男子が女子の部屋を訪れるということは、それ自体ある種のメッセージを含んでいる。

 相手が異星人──いや、原生地球人なのだったか?──なのだとしても、それは違わないだろう。

 アキラやセスが言っていたように。気があるのだ。

 少なくとも、ユフィのことをそういう存在として意識しているはず。


 ドアに近付き開けるまでの僅かな逡巡の間にメランの思考は目まぐるしく回る。

 思い出すのはあのサラウエーダの満足げな笑顔。メランの「俺にできることなら何でもやりますよ」と言った言質げんちあげつらって協力を迫ったときのあの顔だ。


 ハニートラップで──彼女はそんな言葉は使わなかったが──〈見えざる者〉の目的に対し探りを入れようという連盟の試みは理解できる。是非やってみるべきだと支持したい。そのために、ユフィという少女が最適なポジションにいることも客観的な事実として同意しよう。自分で言うのもなんだが、割といい線いっているはずだという自信はあった。ケネスがユフィに注ぐ視線にはそういう含みがあるはずだと。


 だが、ひとたび自分の主観で事態に立ち向かおうとすると、メランの心はいっときたりとも冷静でいられなくなるのだった。

 そうなる理由が自分でも分からない。

 いや、認めよう。思い当たる節はあるにはある。

 だが、今はその深淵に挑むだけの心のゆとりも、時間的猶予も残されていなかった。


 混乱を極める思考とは別に、メランの指はドア横のキーを正確に操作していた。

 まるで自分の意思ではなく、そう、あのユフィの人格が首をもたげて身体を勝手に操っているかのように錯覚する。


 空気の抜ける音がしたあと、ドアが三分の一ほどスライドして止まる。

 無理矢理身体をじ込めば普通に侵入できるだけの幅はあるが、メランがその隙間に身体を置いて陣取り、それをさせなかった。


 もっとも、訪問者であるケネスにそんな不埒ふらちな考えはなかったらしい。

 メランは自分の開けた隙間から頭を少しだけ出してドアの向こうを窺う羽目になる。

 ケネスはノックをする格好のまま立ち尽くしており、中から綺麗に飾られた髪型で顔を覗かせるユフィの半身と気まずく目を合わせた。


「よ、よお」


 低い。さっきアキラ相手に話していたときより何倍も。


「すまない。寝ていたか?」

「いや。どうしたんだ。こんな時間に」


 まったく可愛げのない粗野な物言い。


「昼の間は他の者たちがいるから目立つと思って」

「あ、ああ。そうだよな。そうか……」


 びろというのは無理でももう少しやり様があるだろうに。女子を擬態しようとする意気込みがまるで感じられない。間違っても目の前の男を色香で惑わせ、篭絡ろうらくを試みようとする者の声音こわねでないのは確かである。

 メランは心の中で自分の台詞一つ一つに駄目出しを繰り返す。


「それで?」


 自分に対する失望で胸を痛めながら、なお投げやりにメランは言った。


「そのう……。今日の昼間の件だ。ちゃんと返事できずにいたから」


 メランは足元を見つめたまま身体を強張こわばらせた。

 その背後でゴトリと何かが床に落ちる重い音がした。

 左目に意識を向けると、ベットの上から身を乗り出したイザベルたちが雪崩なだれを打って床に転がり落ちているのが見えた。


「誰かいるのか?」

「いやあ!? いないよっ? 誰もいない」


「……今、ここで話しても?」

「お、おう」


 ケネスは一旦メランから視線を逸らし少し考える素振りをしたあと、再び真剣な表情を作り、メランに向き直る。


「君の気持ちは嬉しいが……、付き合うとか、恋人になるとかはできない」

「え……」


「いやっ。誤解して欲しくないんだが、君はとても魅力的な女性だと思うし……、その……多分、俺も君のことが……、いや……その。嫌いではない、と思う」


 全身から血の気が引く感じがした。

 だったらどうして、という言葉が出掛かったが、メランの唇は僅かに震えただけ。

 だが、呼吸音だけでそれが伝わったのか、ケネスは続けてその疑問への回答を口にする。


「これは俺の問題なんだ。詳しくは言えないが、俺は君の傍にずっとはいられない。複雑な事情が。あ、おきて。一族の掟のようなものがあって。だから、無責任に誰かと付き合うなんてできない。……そういう事情だから、フラれたとかは全然思わなくていいから。ただ、諦めて忘れて欲しい」


 メランは肉体だけでなく、精神も自分の意思を離れて自由にならないことがあるのだと知った。

 まるで、自分とは関係ないところでもう一人の自分が傷付いているようだと思った。

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