◆5-6:イザベル メランの私室(1)

「ねえ白状しなさいよ。あなたケネスのこと好きなんでしょ?」

「好きぃ!」


 ベッドの上に腰掛けるイザベルのひざと膝の間。

 ドーナツ風の菓子を頬張ほおばりながら、メラン──もとい、ユフィが元気よく答えた。

 イザベルは一瞬意外そうな表情で間をめたが、すぐに満足げな含み笑いを浮かべる。


「ほほう。でしょう。そうでしょうとも」

「うんとねぇ。ドッドフも好きぃ。リリエも。あとそれとぉ」


「あ、こら。頭動かさないの。ジッとしてて。ユフィは可愛くなるの好きでしょ?」


 イザベルはユフィの髪を編んで結わえているところだった。

 片側は既に編み終わり、大きな輪状の飾りとなって耳の上に留まっている。


「好きぃ!」

「可愛くなりたい?」


「なりたーい!」

「ほんと、あなたは素直ねえ。誰かさんと違って」


 そんな二人の様子を見かねて、アキラが部屋の片隅から陰気な声でたしなめる。


「いい加減にしておけよ。この会話を覚えてたらまたメランさんの機嫌が悪くなるだろ」


「へー。アキラってメラン派なんだ。てっきりユフィ狙いなのかと思ってた」


 からかい気味に割り込んで返したのはセス。

 部屋に一つしかないベッドの上にはイザベルとユフィの他に、彼女と、その奥の方では無言で端末をいじるネムリが陣取っている。


 ここは子供たちが寝泊りする寮の一室。

 女子棟の中に割り当てられたメラン用の個室には、本日の進捗について意見交換をするためと称し、事情に通じた者たちが集合していた。

 寝起きするだけの個人部屋としては十分な広さが用意されているとはいえ、流石に五人も集まると少々手狭である。

 結果として、女子たちが皆ベッドの上に退避する形となっているのだが、彼女らが軒並み高い場所にいて、アキラだけが床の上の、しかも壁に面した隅っこにいることは、彼女らの力関係を正確に模しているようだった。


 この部屋の家主であり、話し合いの中心でもある肝心のメランは今日の夕食の前から人格を引っ込ませており、今は実質四対一だ。

 だが、ここは男同士で交わした約束を果たすための頑張りどころであった。


「狙いってなんだよ。意味分かんねー。元々それはメランさんの身体なんだし、メランさんの希望に沿うように協力するのは当然だろ?」


 この発言には多少込み入った解説が必要だろう。

 メランの希望というのは、やがて訪れるであろう二度目の変態のときにあたって、元通り、男性の成体を手に入れることであった。


 ヒューマノイド化の遺伝的外科手術を終え、船団社会に溶け込んだ後のノイテニア族も、数千年というそれなりに長い歴史を持つが、それでも幼生体への退行という生理現象は先例のないことである。つまり、予測が付かないのだ。

 体細胞がなんらかの形で以前の分化時の情報を記憶していて、次の変態のときも以前と同じ道を辿たどるという(メランにとっての)楽観的な見方もできなくはないが、完全にリセットされているとすれば、次は女性として成体化してしまう可能性も当然ある。

 そもそも先祖返りのノイテニア自体、サンプル数が極端に少ないので、何が性別決定の決め手となるかは分かっていないのだが、既に一度、男性らしく身体を鍛え続けたことで希望どおり男性体となった経験を持つメランにしてみれば、この時期の振る舞いかたには気を遣わざるを得ないわけだ。


 アキラたちは、専門医の所見も交えたそんな話を、メラン本人から聞かされていた。

 メランに言わせれば、女子らしく着飾ったり、可愛くなりたいなどと言質げんちを取るなどもってのほか、ということになるだろう。


「あー。今のは聞き捨てならないわねー。それってこの子の人格を尊重してないんじゃない? 同じ身体を共有してるんだから、この子の希望も聞いてあげなきゃ。ねぇ?」


 そう言ってイザベルはユフィを身体を後ろから抱いて密着する。

 ユフィは手にしていた焼き菓子の塊を丸ごと口に押し込み、もしゃもしゃと咀嚼そしゃくしているところであった。

 ドッドフよりもさらに幼い精神性しか持たない(ように見える)彼女は、今のこの会話もどこまで理解できているか分からない。

 案の定、イザベルからの問い掛けに対し、ほほふくらませながらキョトンと見つめ返すだけである。


 イザベルとて、彼女からのまともな返事を期待していたわけではないので、すぐに視線をアキラに戻して話を続ける。


「それに、いまユフィが大人の、しかも男になったりなんかしたら台無しでしょぉ」

「そ、それは……」


 その指摘にはアキラも口籠くちごもらざるを得なかった。

 興味のおもむくに任せた無軌道な会話に見えて、話題はいつの間にか本来の道筋に戻っていた。

 そう。これは単なる野次馬根性に根差した私的な集まりではない(イザベルとセスの二人に関してはそんな疑いを抱かないでもないが)。これでも一応は、れっきとした連盟政府の作戦行動の一環なのである。


 サラウエーダ発案のケネス篭絡ろうらく作戦──。

 白羽の矢が立ったのはユフィという少女であった。

 れた弱みに付け込んで、揺さ振り、隙を作り、彼から〈見えざる者〉に関する情報を引き出そうという作戦だ。

 子供のアキラなどからすれば、遊びと区別の付かない冗談のような作戦にも思えるのだが、それを推し進める連盟政府の大人たちは至って大真面目のようだった。


「それはそうよね。そうでなくても、いつ大人になっちゃうか分からないってなると、どうしても結果を急いじゃうし」


 口籠ったアキラに代わってセスが合いの手を打つと、イザベルは待ってましたと言わんばかりに息巻いて言った。


「でしょ? やっぱりリスクのある人選と言わざるを得ないわ。ケネスのことが大好きなユフィには悪いけど、ここはぁ……、あ、あら?」


 くし立てる途中、イザベルはふと自分の腕の内側にある少女の反応に違和感を覚える。

 芯から安心しきって柔らかだったものが緊張で強張ったように硬くなり、抗議の波長を発し始めたように感じられた。

 ユフィの細い胴を後ろから抱き締めていたイザベルの腕が、片方ずつ、ゆっくりと押し広げられていく。


 無言で立ち上がったユフィの後ろ姿を見上げてイザベルは思い出す。


「あ、髪。まだ途中……」


 綺麗に編んで飾られた右側に対し、左側の髪はき流したままであった。

 だが、ユフィ──もとい、既にメランの人格を取り戻した少女はそんな髪型のアンバランスも、イザベルのつぶやきも全く気に留めることなく、のそのそと部屋の隅まで歩いていきアキラの隣に体育座りで腰を下ろしてしまう。

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