◆5-5:ケネス 食堂(2)

「おーい。こっちこっち。席空けてあるよー」


 ケネスがトレイを持って食堂の手前に立つと、遠くからドッドフが大きな身振りと声でケネスを招いた。

 ここに座れと指された席はドッドフ以外は女子ばかりで占められたテーブルだった。

 ケネスは左隣のヘルハリリエに軽く会釈をしながら席に着く。


「先ほどの格闘訓練、さすがでしたわ」


 すかさずヘルハリリエがケネスのためにコップに水を注ぎながら話し掛ける。


「ありがとう。でも彼女は病み上がりだから」


 実戦形式の格闘訓練でケネスとユフィの二人が経験者として手本を見せることになった一幕についての話題だった。

 言ったあとで、今のユフィに関して病み上がりという言葉は似つかわしくないと思い直したケネスは、食事に手を付ける前にもう一言言い添えることにした。


「それに、俺は君たちより二歳も年上だ」


 本当はそれよりさらに二歳違う。

 四歳差という肉体の成長度合いを鑑みれば、ユフィがどれほど運動能力に恵まれていたとしてもケネスに敵う道理はない。

 ましてやケネスは物心付いた頃から戦闘工作員となるべく、ほとんどそれのみに人生を費やしてきたのである。

 にも関わらず、そのケネスをして守勢に回らざるを得ない状況に追い込んだユフィは驚くべき格闘センスの持ち主だと言ってよいだろう。

 彼女の手足がもう少し長ければ、喉元に手刀を突き付けていたのは彼女の方だったかもしれない。


「ですってねぇ。どうりで大人びていると思いましたの。聞きましたわよ。ゴルロゴラルのご出身なんですって? それならそうと教えてくだされば良かったのに」


 ヘルハリリエは傍目にも分かる露骨な猫で声でケネスに秋波を送っていた。

 どこから聞き付けたのか、彼女はケネスが自分の種族の母星出身だということを知り、俄然やる気を出し始めたのだった。


「いや、ゴルロゴラルとは言ってもミャウハ族の人たちとはあまり交流がなくて……」


 ボロが出ることを恐れたケネスは急いで口に料理を押し込み、だんまりを決め込むことにする。

 黙っていれば大抵周りが勝手に理に適った解釈を探してくれるので、最近ではそれが彼の習い性のようになっていた。


「やはり戦士階級のご出自だったのですわね。ミャウハの男たちに負けない技量で代々敬意を集めているのだとか。わたくし、もっとゴルロゴラルのお話をお聞きしたいわ」


「ヘルハリリエはまだ故郷の惑星に一度も帰ったことがないの。逆にケネス君から故郷のことを教えてあげてよ」


 ヘルハリリエの取り巻きの女子も、彼女を援護する構えのようだ。

 ケネスは口の中の物を咀嚼そしゃくしながらさり気なく隣に目を配る。が、ドッドフは先ほどから皿の上の料理を掻き込むのに夢中で助けになりそうにない。

 と思っていると、皿から顔を上げた直後のドッドフの口を横合いから塞ぐ者が現れた。


「ちょっとドッドフ。汚れてるわよ」


 ソースで汚れた彼の口元を紙ナプキンで拭ったのはイザベルである。

 面倒見のよい彼女が子供っぽいドッドフを甲斐甲斐しく世話する様子は、これまでケネスも何度も目にしたことのある光景だった。

 ただ今回は世話を焼くにも少し度が過ぎている。というか、強引な印象があった。


「ベタベタだー。余計に酷くなったよイザベル」


 背後に立つイザベルを、弱ったなあというおとぼけ顔で見上げるドッドフ。


「はいはい。ちょっとこっちで綺麗にしましょうねぇ」


 イザベルはそう言ってドッドフの両脇を抱え、椅子の上から引き摺り下ろすと、そのまま彼を手洗い場の方へ連れ去ってしまった。

 間を置かず、空いた右隣の席に腰を下ろしたのはユフィ。

 着替える時間は十分にあったと思うが彼女は運動着のまま。ただ、肩まで捲り上げた袖と、ふんぷんと匂わせた制汗剤の香りが先ほどまでとは違っていた。


「よ、よお」


 わざわざ隣に掛けたというのに、ユフィは横目でちらりと一瞥をくれただけで、それきり正面を向いてしまう。

 不自然に硬く強張った表情。

 彼女の両肩をつかんで後ろに立つセスの存在に気付き、ケネスはユフィが必ずしも望んでここに座ったわけではないらしいと察する。


 非常に気まずい。

 実は、あのカプセルの中で口論になって以来、ケネスは彼女の心情や性格をいまいち掴み切れずにいた。幼い彼女ではない、の心情をだ。


「ちょっとお。今は私たちが話してるのよ。横から割り込むなんて失礼じゃない?」

「あんたたちこそ。彼、困ってたわよ。わざわざゴルロゴラルから移住してきたってことは、どういうことかって、ちょっとは想像してもいいんじゃない?」

「どういうことですの?」


 セスが投げ付けた意味深な挑発に、ヘルハリリエが頭の上の耳をピンと立てる。


「彼、ドッドフのことはあんなに夢中で撫でてたのに、貴女には指一本触ろうとしてないでしょ?」

「はあっ!? それは当然です! 婚姻の約束もないのに男性が女性に触れるなんて破廉恥な」


「聞いたことがあるわ。最近多いんですって。お高く留まったネコに嫌気が差してイヌ派に宗旨替えする地球種族が増えてるって話」

「ま、まあなんてこと! 黙らっしゃい。今のは侮辱です。我々ミャウハと地球人の九千年に渡る友愛の歴史に対する侮辱です!」


 ケネスの周囲がにわかに騒がしくなった。

 セスに向かって開かれる砲門は、ヘルハリリエ一人ではなく、彼女の取り巻きも含め四人分。数的劣勢は明らかであったが、それを覚悟であおりにいったセスはものともせず一身で引き受け、退く素振りもない。

 自分のことを引き合いにして、その自分の身体越しに始まった口論であったが……、だがケネスはその成り行きよりも、右隣でじっとしているユフィのことが気になって仕方がなかった。考えていたのはずっとそのことだけだ。


「あの、最後の蹴りは凄い速さだった。角度も。俺から見えづらい角度を狙ったんだろ? 俺も思わず本気になって……、その……。どこか痛めたりしてないか?」


 顔色を窺いながら小声でユフィに語り掛ける。彼女が不機嫌にする理由が、先ほどの模擬戦の結果にあるのではと考えて。

 あれだけの動きができるのだ。相当自信があったのだろう。

 どうすれば彼女の自尊心を傷付けず慰めることができるのか。おそるおそる言葉を選びながら、しかしそうやって喋り始めてすぐ、ケネスは自分にはそんな気の利いた真似はできなさそうだと音を上げていた。

 彼はそもそも、生まれてこのかた、異性というものをこのような形で意識したことがなかった。


「全然本気じゃなかっただろ」

「いや、そんなことはない。少なくとも最後は。割と本気だった」


「割とってなんだよ」

「あ、いや、ごめん」


「謝るな。こっちがみじめになる」

「…………」


 会話が途切れ、間が持たなくなったケネスは再び食事に手を付け始めた。

 ユフィはずっと正面を向き、ドッドフが平らげた食事の跡を見つめていた。

 空腹なのだろうか。てっきりマヤアらと同じく、先に食事を済ませた口だと思ったが。

 ケネスは、トレイに載せきれない程の量を取って豪快にむさぼる普段の彼女の食事風景を思い出していた。


「体格の問題だ……。鍛え上げた筋肉さえあれば俺だって──エゥッ!」


 ボソボソと呟いていたユフィが突然奇声を上げて背筋を反らせた。

 それから首を後ろに回し、彼女の後ろに立つセスの顔を恨めしそうに見上げる。

 セスの方はニッコリと微笑んで彼女の肩を両手で揉む仕草をしていた。

 目線だけで何か言葉を交わし合う。

 二人の間でどのような力学が働いているのか、外野からでは推し量りようがない。

 一秒足らずの僅かな間。意外なことに軍配はセスに上がったようだ。ユフィは出掛かっていた文句を喉の奥に引っ込め、再び気まずそうな表情で俯いてしまう。


「ちょっと。聞いてますの? セスさん?」

「えっ? ああごめん。なんだっけ?」


 興奮しているヘルハリリエやその取り巻きたちは、ユフィを中心にして交わされるひそかなやり取りには気が付いていないようだった。

 いや、気付いてはいるだろうが関心が払われていない。彼女らにとって、真の競争相手はあくまでイザベルという認識なのである。ケネスに対し身体能力的な対抗心を燃やすばかりのユフィなど端から眼中にないのだった。

 だが、当のケネスはその逆で、自分を取り巻いて繰り広げられる口論の最中であるにも関わらず、ユフィのことしか目に入っていなかった。


 今も何故彼女がそんな表情をするのかが気になって仕方ない。

 小さな耳を赤らめ、何故だかケネスに対し気まずそうに。いや、どことなく恥ずかしそうにも見える表情で、決してケネスと視線を合わせようとはしない。

 いや。いやいや。そんなふうに見えるのは自分の中で膨らむ、ある種の期待がそう錯覚させているのではないかと自分をいさめる。いや。期待とはなんだ。

 どうにも先程から考えが主観的すぎる。冷静になれケネス。ケネス175182──!


「あの、だなぁ。ちょっと突然なんだが……」


 散々気を揉まされ、どこか遠いところへほっぽり出したケネスの意識が再び持ち主の手元に返ってきた頃。

 ようやくユフィが重い口を開いた。

 俯いたまま喋るユフィの横顔を見つめながらケネスは無言でコップを口に運ぶ。

 まごつくユフィを見かねたセスが──ヘルハリリエたちとの口論の片手間に──彼女の肩を掴む手に力を込めて、ぐいと左向きにひねった。

 無理矢理ケネスの方を向かされたユフィは観念したように力強く首を起こす。

 その紅い瞳は、強大な敵に挑む覚悟や力強い闘志を感じさせる輝きを宿していた。


「俺……自分よりも強い男が好きなんだ! 俺と付き合ってくれ!」

「──!」


 口に含んだ水を思わず噴き出しそうになるケネス。

 ッゴフ。ゴッ、ゴホッゴホッ。

 懸命に押し留め、飲み込んだ水が、今度は気管支を詰まらせ盛んに咳き込む。


「……そ、そのぅ、誤解のないように言っておくと、今のは恋人としてって意味で、なんだが……」


 ユフィの声に力があったのはそこまでで、あとの言葉は横合いから割り込んだヘルハリリエの声がかき消してしまう。


「なっ! なんですってユフィさん!? もう一度おっしゃい……いいえ、駄目です。そんな破廉恥な。女性から男性に告白するだなんて、非常識です。無効ですよそんなもの!」


 ヘルハリリエが節操のない大声で騒ぎだす。

 遠くからドッドフがクリクリの黒目を輝かせて駆け戻ってくる。

 他のテーブルにいた男子たちが身を乗り出して騒ぎの中心を覗こうとする。

 後ろで一部始終を見守っていたセスは満足そうな顔で拍手をしながら「公認カップル誕生ね」などとのたまい、またヘルハリリエの派閥と悶着を始めていた。

 にわかに騒がしさを増した食堂の中心で、当の問題発言をしたユフィ(メラン)は顔を真っ赤にして俯き、テーブルの下で拳を硬く握り締めていた。 

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