◆1-12:イザベル E16区画入口(1)

 E16区画は宇宙探査艦ベルゲンを構成する居住区画の中ではかなり特殊な構造をした区画である。

 艦の外縁に位置する農業プラントに隣接したモジュールで、平時は商業施設群として運用されているが、緊急時には単独で艦から分離し、大型の避難艇としても利用できるように設計されている。

 もっともそれは、一応カタログ上のスペックがあるというだけの話で、ベルゲンの行政的には長らくこれを正式な避難艇ユニットとして広報してこなかったという歴史がある。今回の避難警報発令時に、区画内にいた人々がその場所を離れ、別の避難艇を目指したのは無理もない話であった。


 農業プラントでメランたちが出会った子供たちの一団がE16区画のとば口に到着したのは、巡り合わせの悪いことに、人々がこの場所からこぞって引き払った後のことだった。

 また、不運なことといえば他にもある。彼らを農場から引率していた警備員のミゲルとは途中ではぐれており、無人の商業施設に十数名の子供たちだけで取り残される状況が生まれていたのである。


「あのおじさん、大丈夫かなあ」


 不安そうに呟いたのは獣人種の子供。名前をドッドフという。

 全身を覆う白くて長い体毛が特徴のアーキテクトミュータントで、普段はクリクリのつぶらな瞳と柔らかな毛並みが愛らしい彼だったが、今は全身の毛がしっとりとくたびれ、随分とあわれな感じに成り果てている。

 彼の視線は他の子供たちと同じく、長い階段を見下ろす先を向いていた。彼方まで続くそれは彼らが辿たどった道程である。彼らは突然重力をなくした農場プラントの丘をここまで、手摺りをつたいながら慎重に上ってきたのである。


 綺麗に整地されていた農場は、今は巨大な亀裂が縦横に走り、無惨な傷痕をさらしている。大きく隆起し波打った地面。黄金色の作物の間から顔を覗かせる黒い土。無重力の空には管理用の農業機械がいくつも浮かび上がり、勝手気ままに飛び交っていた。

 高台の手摺りに掴まりながら、その光景を見下ろしているはずの彼らであったが、ともすると上下の感覚を失い、この広大な空に吸い込まれてしまいそうな錯覚に襲われてしまう。


「大丈夫よ。彼、気密服を着てたし、おぼれることはない。でしょ?」

「そうね。ただ、あの速さだったから、ここまで追い付いてくるのは少し時間が掛かるかもだけど」


 しょげかえるドッドフの側に付き添い慰めているのはスペースヴァンパイア種の少女イザベル。同調して口添えしたのは、彼女と親しくしているフィライド族の少女セスである。

 彼女らが話しているのは、ほんの四半時前、警備員の男とはぐれたときの状況についてであった。

 この艦における普遍の法則──下方への1Gの重力──が突如失われ、無重力状態で混乱を来たす子供たちに向かい大量の水の塊が押し寄せてきたときのことだ。


 その瞬間まで、ベテラン警備員のミゲルは単身で奮闘し、宙に散り散りとなった子供たちを回収して一つ所に寄せ集めていたのだが、突然地面の土くれを押し退けて現れた巨大な水塊にドッドフが飲まれてしまう。

 水塊はそのまま農場区画の広大な天井に向かって流れ落ちようとしていたが、男は一切の迷いなくその激流に飛び込みドッドフの身体を捕まえた。

 そこまでは良かったのだが、皆のいる方向にドッドフを押し出す代わりに、自分自身はその水流に飲まれ、彼方へと押し流されてしまったのである。


 子供たちだけで残された彼らは、しばらく待っても男が戻って来る気配がないことが分かると、彼らだけで当初の目的地に向かって移動を再開した。慣れない無重力環境の中、階段の手摺りを頼りに、どうにかここまでやって来たというわけだ。

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