◆1-13:イザベル E16区画入口(2)

「そんなことより、私たちいつまでここにいるつもりですの?」


 ミャウハ族のヘルハリリエが遠い場所から尊大な物言いでイザベルに訴える。

 彼女の発言力は通常、彼女の取り巻きの女子相手に限られるのだが、このときは他の多くの男子たちも同調した。彼女の声を聞き付け、あちこちで同様に不平の声が上がる。


「さっさと中に入ろうぜ。外よりは安全だろ?」

「腹減ったあ」

「俺トイレ行きたい」


 これまでどうにかモラルを保っていた小集団に崩壊の兆しが見え始めたとき、中の一人が声を張った。


「タウネルとしては、この場は冷静に、リーダーに従うべきであると主張するのである」


 特徴的な喋り方や外見から、彼タウネル=バッハがデュオクト族であることはすぐに分かる。脳細胞のひだのような深いしわが顔全体に刻まれた風貌のせいで老人のような印象を持つが、騒がしかった子供たちが一瞬で静かになったのは何も彼らがとりわけ敬老の精神に富んでいるからではない。こう見えても彼は皆と同年代の子供であるのだから。

 いや、そういうことではなく。彼ら子供たちにとっては合宿の初日に彼が皆に示した、怒らせたら何をしでかすか分からないヤバイ奴、という評価が全てであった。


「いかがですかな? リーダー?」


 騒がしくしていた子供たちが静まり返ったのを見てタウネル=バッハがうやうやしく腕を広げるジェスチャーをしてイザベルに発言を促す。


「え、ええそうね……」


 イザベルは正直なところ、この合宿班のリーダーの役割を重荷に感じ始めていた。

 何事も起こらない普通の合宿であればよいが、こんな非常事態になっても皆は自分のことをリーダーとして責任を負わせようとしてくる。

 だが、タウネル=バッハの背後でこちらに目線を投げ掛ける他の子供たちの表情に不安げな感情が混じっていることに気付き、彼女にもスイッチが入る。

 そうだ。誰かがその役をやるしかないのだ。今ここでは、自分が判断しなければ。少なくとも頼りになる大人が現れるまでは。


「避難艇に急ぎましょう。さっき放送で言ってたし」

「いいと思うけど、避難艇がどこだか分かって言ってんのか?」


 すぐに反応したのは近地球人種の少年アキラだった。

 それをリーダーへの批判と取ったのか、タウネル=バッハがアキラの方をギロリとにらむ。

 しかし、アキラのていした疑問は妥当なものであった。何故ならここにいるのは皆、ハンザ艦隊に所属する他の様々な探査艦からこのベルゲンへ実習に訪れた子供たちで、土地勘のある者は一人もいなかったのである。


「〈オラクル〉に……いてみましょうか?」


 イザベルが自信のなさを取り繕いつつ目を泳がせたとき、ふと、一人だけ遠く離れた場所にぽつねんと立つ女子と目が合った。

 エルフセレーン種の少女ネムリ。

 正直なところあまり親しくはない。というか、社交性には自信のあるイザベルがちょっとした苦手意識を持つくらいには掴みどころのない少女だった。この一週間に及ぶ合宿の中でも数えるほどしか会話をしていない。

 ネムリはそれまで一人黙々と操作していた手首の端末を下ろし、イザベルを正面に見る。


「もう訊いた。これがそうみたい。大きな避難艇」


 彼女が指を差してみせたのは、イザベルたちの背後にそびえる巨大なドームだった。こちら側からはそんなふうに見えないが、中はそれなりに大きな商業施設だという話で、だからこそ彼女らはこれを目指してやって来たのである。


 いつも眠たげな表情でいる無口な彼女が珍しく口を利いたので、皆は驚き、彼女に視線を釘付けにしていた。

 皆の注目を集めてもネムリはまったく動じることなく、自分の手首に巻き付いた端末を僅かに掲げてみせる。

 彼女の持つ端末が、自分たちの物と違うことは、ここにいる皆が知っていることだった。決して彼女が見せびらかしたわけではないのだが、子供たちはそういうことに敏感だ。ネムリが親から大人用の端末を持たされていることは、皆が薄々感じ、密かに羨望の眼差しを向けていたのである。


「なら……、入って待ってましょうか。中に人がいればさっきの警備員の人と……それか引率のモスネー先生とも連絡を取ってもらえるかもしれないし」


 イザベルがそう仕切ると、疲れ切っていた子供たちは皆、待ってましたとばかりに賛同し、ワイワイと騒ぎながらドームに向かって移動を始める。

 ネムリの脇を通り過ぎるとき、イザベルが身体の向きを進行方向の反対側に返して話し掛ける。


「ねえ、ネムリ。入口に看板サイネージ立てられる? デッカイの。私たちがここにいるって分かるようにしときたいの」

「分かった」


 いつもと変わらぬ覇気のない声ではあったが、こんな非常時には彼女の淡泊な応答が頼もしく思える。イザベルは張り詰めていた気をようやく緩めて他の皆のあとを追ってドームの中へと向かった。


「うー、トイレトイレ」

「ちょっとぉ、押さないでよセス。私も漏れそうなんだから」


 無重力の中、これまでおっかなびっくり飛んでいた子供たちも、距離感の分かる壁と天井に囲まれたことで、より大胆に身体を蹴り出せるようになる。

 彼女らを取り巻いていた漠然とした不安が、皆で状況を整理し、合意の上で動きだしたことによって徐々に取り除かれていく。


 しかしながら、いくらイザベルたちが歳のわりにしっかりしているといっても所詮は子供たち基準での話であった。

 ネムリが普段呼び掛けている〈オラクル〉は深い眠りに就いていて、彼女に応答を返したのは非常に限定された推論しか働かせられない貧弱なAIだった。ここが避難艇であるという情報自体に間違いはないが、離艦の準備を急ピッチで進めている避難艇はこことは別の場所にあるのだった。

 彼女たちがいくら中で待っていても、このE16区画がベルゲンから分離して脱出を果たす可能性は、なかったのである。

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