第42話 それぞれのひととき



   ●



「……始まりましたね」


 王城の一室、一際厳重な術式保護が掛けられた室内。窓際に座るフィーネの呟きに、ベッドに腰かけたククルゥが声を掛ける。


「いいのか、アンタは行かなくて? ――心配しなくても逃げたりしねぇよ、ここの料理は美味いからな」


 少女の気遣いに、しかし従者は首を横に振る。


「いえ、大丈夫ですよ、ククルゥ様。ご心配ありがとう御座います」


 そう告げながらも、従者は苦笑を零して眉を下げ、


「だめですね、頭では私が出向かない事が最善と分かってはいるのですが、どうしても、お役に立ちたいという気持ちが抜けきりません」


「あー、さっき話してた災厄の残滓が云々って奴か」


「はい、私の左目に残る残滓は極僅かな物ではありますが、戦闘中に目の痛みで蹲るなど言語道断ですからね」


 なるほどなぁ、と、ククルゥは顎に軽く握った拳を添えて頷くと、


「つっても、浸食防止の封印はしてんだろ? そこまで慎重にならなくてもいいんじゃねえのか?」


「それはその通りなのですが、やはり、怖いと言う気持ちもあるのです。かつての私は、護るべき人々を自らの手で傷付けてしまった。……私の意思では無かったとしても、それは私の罪であり、二度と繰り返してはいけない物なのです」


 そうか、と頷いた少女は、軽く跳ねる様にベッドを降りると、数歩を進んでフィーネの膝へとまたがる様に向かい合わせで座り込む。


「あの、ククルゥ様、どうされましたか?」


 困惑するフィーネの頭へと、少女の小さな掌が伸び、優しく髪を梳くように撫で始めた。


「いや、なんだ、アンタは頑張ってるよ。だから、もうちょい自分を許してもいいんじゃねえの?」


「……ありがとうございます、ククルゥ様」


 思わず、と言った仕草で抱き締められた少女の顔が朱に染まる。


「お、おう、……まあ、まだ自分じゃ難しいってんなら、蜜希やパーシヴァル達が許してくれんだろ。あの二人のお人好し具合尋常じゃねぇからな」


「ふふ、そうですね。ですがそれは、貴女も相当ですよ、ククルゥ様?」


「勘弁してくれ。――絆されてる自覚はあるんだ、指摘されると顔から火が出るっての」


 しばしの時間を置いて、フィーネが少女を抱き締めていた腕を解く。


「ありがとうございました、大分心が楽になりました。」


「そいつは良かった。んじゃま、術式陣で向こうの様子でも聞きながらお茶でも飲もうぜ、アタシは紅茶がいいな、砂糖とミルクマシマシでさ」


 一息、外見通りの少女の様な笑みを浮かべ、ククルゥがフィーネに言葉を紡ぐ。


「蜜希やギラファじゃなくて悪いが、アタシの役に立ってくれないかい? フィーネさんよ」


 少女のわざとらしい言い回しに、フィーネは笑みを強くして、頷きと共に口を開いた。


「勿論ですとも、ククルゥ様。蜜希様達には悪いですが、おいしいケーキもご用意いたしましょう」


「いいねぇ、嵐の中で茶会としゃれこもうぜ」





   ●



 同時刻、王城の中庭に、二人の人影が佇んでいた。


 咲き乱れる花を眺めつつ、泉の脇に座り込む影は、紫のドレスに身を包んだ美しい女性の姿。


「アーサー王はどうしてるのかしら、マーリン?」


「発射場で待機するってゴネてたのを、なんとかモードレッドと宥めて来たよ。今は二人ですぐ下の大広間に居て貰ってる。」


 そういって女性を後ろから見守る様に立つのは、桃色の髪を二つに縛った少女の様な姿。


「そう……そんなところで突っ立てないで、こちらに座ったらどうかしら?」


 振り返る事もせず放たれた促しに、小柄な神格は僅かに悩み、一つ頷いて言葉を返す。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 そう言って、マーリンは前に歩を進めて座り込む。


 しばしの沈黙の後、じっと無言で水面を見つめるモルガンが、ゆっくりと口を開いた。


「ここの花も、随分と綺麗になりましたね。あの子が世話をすると言った時は驚きましたが、家でも庭の花を良く手入れしていましたから、任せて見れば、本当に大したものです」


 家で見せたのと同じ、昔の口調で話すモルガンに、自然とマーリンの肩からも力が抜ける。


「そうだね、君の加護で咲く花の特性を、ずっと傍で見て学んでいたんだろう。モードレッドは優しい子だ、本当は円卓の騎士なんて似合わない程に、ね」


 その言葉に、モルガンが顔をマーリンへと向けて苦笑を零した。


「あら、あの子に『叛逆の剣』を与えたのは貴方ではないですか、マーリン?」


「うぇっ!? 僕が円卓の武具の管理者だって知ってたの? 誰にも話したこと無かったのに」


「何千年共に居たと思ってるのですか、言われなくても分かりますよ、そのくらい」


 ため息と共に放たれた言葉に対し、マーリンは肩を竦めて視線を上へ、暗雲立ち込める空を眺めて、


「そっかー、バレてたかー。でも、モードレッドに与えたってのは、半分不正解。適性があるのは知ってたけど、僕はずっと、あの子に武具が向かわないように抑えてたんだ」


 マーリンの返答に、モルガンが眉を上げる。


「何故ですか? モードレッドの襲名者はここ千年は不在だった程の珍しさです。素質があったなら、即座に武具と契約させるべきでしょう」


「あー、そうだね、僕の本来の仕事としては、そうだ。――でもさ、僕はあの子に、モードレッドになって欲しくは無かった。ただ、君の子供として、その一生を過ごしてほしかったんだよ、モルガン」


「それは――」


 モルガンの疑問の言葉に先回りして、マーリンは声を放つ。


「あの子と居る時の君は、本当に幸せそうだった。――でも、あの子がモードレッドになってしまったら、君はあの子を死なせなければならなくなる。だから、僕はあの子に剣を与えるつもりは無かったんだ、あの日まではね」


 告げられた回答に、モルガンは一瞬何かを言おうと口を開き、けれど首を横に振って吐息を零すと、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「そう、そういう事だったのですね……。あの日、凍結した計画書と共にあの子が『叛逆の剣』を持ってきた時は、一瞬貴方を恨んだ物でしたが、……あれは、貴方なりの気遣いだったのですね」


「そんなものじゃないさ。というか、謝らないといけないのは事実なんだ、襲名者の選定の為に、素質のあるモノの事は常に監視していたからね。――あ、プライバシーにかかわる部分はキチンと半自動で遮断してるよ、これでも永いことやってるから」


「あの子の裸を見て居たら殺すところでしたよ、マーリン」


「親馬鹿過ぎない? あーまって、まっていま真面目タイムだから、うんうんありがとう。――それでさ。あの子が君の計画書を見つけた時に、悟っちゃったんだ。この子は止まらない、君が否定しても意地でもやり遂げようとするって。

 だから、君を説得できるだけの材料として『叛逆の剣』を送った、恨んでいいんだよモルガン、間接的に僕は君を追い込んだんだから」


「恨みませんよ、もとはと言えば私が立てた計画です。もっとも、実行したくは、ありませんでしたが」


 再びの無言、永遠にも思える沈黙を破り、モルガンが立ち上がる。


「――行きましょう、マーリン。今なら邪魔は入りません、計画を実行するには最善のタイミングでしょう」


「はいはい、わかってるよ。まあ間違いなくアグラヴェインは戻って来るだろうけど、彼だけなら何とかなるか」


 軽く伸びをして、マーリンがモルガンに正面から向き合う。


「マーリン、全てが終わったら、その時は、この泉と花園を、お願いしますね」


「自分でやりなよ、って言いたいところだけど、君は君を許せないもんなぁ……」


「当然です、我が子を自ら犠牲にした母親など、のうのうと生き延びていいはずがありませんから」


「それ地球時代のモルガンを全否定してる気がするけど、真面目な君の場合はそうだよねえ……」


 向き合い、距離を詰めたマーリンが、下から見上げる様に視線を動かす。


「ねぇ、最後に少しだけ、君の時間を貰ってもいいかい? モルガン」


「? 構いませんが、一体なにを――」


 疑問の声を上げたモルガンの唇が、背伸びをしたマーリンの唇で塞がれる。


 思わず強引に振りほどき、顔を真紅に染めたモルガンが叫ぶ。


「あ、貴方一体何を――」


 その叫びは、再度重ねられた唇に封じ込められた。


「ずっとずっと、好きだったよ、モルガン。――――ごめんね、これが最後だから、どうしても、伝えておきたかった」

 

「――――ッ」


 離れ、困惑した様に固まったモルガンに対し、マーリンは頬を赤く染めたまま大袈裟な手振りで杖を取り出した。


「それじゃあ、僕は先に行って準備をしておくよ。――じゃあね、モルガン!」


 慌てる様にマーリンが魔術で消え去り、一人残されたモルガンは、そっと唇に指先で触れる。


 そうして浮かぶ表情は、諦めと、けれど何処か嬉しさを滲ませた微笑をたたえ、


「――まったく、もっと早くに言いなさいよ、馬鹿」


 彼を追う様に、水流に包まれたモルガンの姿が消えた。


 後に残るのは、変わらず咲き誇る花の園。


 水流に巻き込まれ散ったアヤメの花弁が水面に浮かび、ゆっくりと、沈んでいった。

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