第5話 就職


 

「こっちの世界は向こうの十倍の速さで時間が進んでるから、向こうの事はあまり気にしなくても大丈夫よ?」


 などという衝撃発言から数時間。日が落ちて夜になった頃、この世界に留まることを決めた自分が何をしているかというと。



   ●



「いらっしゃいませー!!」


 絶賛酒場で接客中である。


 いや、待ってほしい、誰に説明しているのか分からないがこれにはきちんとした理由がある。

 

  ●


 そう、あれはアージェさんからの衝撃発言の後、一先ずこれからどうするべきかを相談したのだ。


 何せ現状自分は家無し職無し行く当て無しだ。そこで頼れる存在となればギラファさんとアージェさんしかいないわけで、最悪野宿も止む無しと考えていたところ、アージェさんに軽く住み込みで働かないか、と提案されたのだ。


「行く当てないでしょうし、暫くここで住み込みで働かない? 今なら制服支給で三食ご飯とギラファちゃんの護衛付きよ」


「マジっすか!はいはいヤルっす住むっすお世話になるっす! うひゃー! 一気に衣食住と安全の確保が出来たっすよー!!」


「……私の意思はお構いなし、か。まぁ……構わんのだが」


「何言ってるのよギラファちゃん、こんなに可愛い女の子と一緒に居られるのよ、感謝されこそすれ文句言われる筋合いはないわ?」


「いやいや、可愛い女の子かはちょっと自信ないっすよ?」


 身だしなみにあまり気を遣うタイプではないし、働いていた時も髪のセットやらメイクやらも最低限だ、むしろメイク忘れて先輩に小言を言われたことも少なくない。


「否、君はとても魅力的な女性だ、自信を持っていいだろう」


 真正面からそう告げられて、心臓が止まるかと思った。


「は、はひ、ありがとう……ございます……っす」


そういう事を言われたことが皆無というわけでは無い。けれど、あまりにも真っ直ぐ、混じりけの無い声で言われたことに、思わず呼吸が止まりかけ、声が上擦ってしまう。


 顔もひどい熱さだ、はたから見ればどんな様に見えるか、それを想像するとより一層熱が来るのを抑えきれない。

 

 落ち着け私、深呼吸して動悸を整えないと、そう、これはギラファさんなりの社交辞令の様な物の筈、というかギラファさんは人というか虫というか、いくら何でも種族が違いすぎる……でも普通にかっこいいから困るというか、


「あらあらギラファちゃんったら、随分と熱烈な告白ね?」


「んぐひゅっ!!?」


 落ち着き掛けた所を狙ったボディーブローに、今度は間違いなく呼吸が止まった。 


「告白? ……む?大丈夫かね蜜希、呼吸が明らかに異常だが?」


 あーダメですギラファさん、心配して背中に手を当てるのはアーー! 止めてください声がいい! ナイス低音!! それと黒光りした甲殻の質感マジでかっこいいっす! 虫好き人間にとってはこれはある意味一つの到達点かもしれない、あ、やばいちょっと呼吸止まりすぎて脳に酸素が……あっ、


「蜜希? 蜜希!? おい! 息をしているかね君!!?」


 薄れゆく意識の中、自分を抱きとめるギラファの力強い腕の感触だけが、やけに鮮明に感じられていた。



 

 というわけで今に至るわけだ。支給された制服がディアンドル風なことに若干の疑問はあるが許容範囲、いや、試着したときにギラファさんに結び目の位置を直されたのは大分謎だがそういうものなのだろう。


 そんなこんなでジョッキやお盆を両手にてんやわんやの大忙し。

 

 お客の人達も最初見慣れぬ自分に眉をひそめて居たが、自分の胸元を見て納得したように頷いていく事から、アージェさんから貰った翻訳機は異境の民としての身分証でもあるのだろう。


 けっして胸の谷間を見ていただけではないと信じたい。数人鼻の下を伸ばして親指を上げ、即座にギラファさんに店の奥へ連れていかれて居たが深く考えない事とする。


「おーい、酒追加頼む、レモンとグレープでなー」


「かしこまりましたー、すぐお持ちするっすー!」


 兵士の様な鎧を着たお客からの注文を受けていると、今度は耳の長い、エルフというべきであろう女性が手を挙げつつ叫ぶ。


「こっちは苺パフェと鳥の丸焼きでー!」


 どういう組み合わせだ。というかこの世界、建物は中世ヨーロッパ風なのに服装や食べ物などはむしろ現代に近い。


 鎧や魔術師っぽいローブを上から着ていたりするが、その下に見える服装は現代の衣服とそう違いがないし、食べ物に関してはチューハイやらパフェやらが普通に存在している。


 最初は翻訳機がそう訳しているのかと思ったが、どうも運んでいる品を見る限りそのままの様だ。


 店内を照らす灯りもランタンや蝋燭の類ではなく、蛍光灯の様な板状の光源が天井に張り付けられている。


 アージェに尋ねた所、どうも俗に言う魔力を配線で繋いで送り込み、電気の様に町全体へ張り巡らせているらしい。


 使用しているエネルギーが異なるだけで、文明レベルとしては地球とそう変わらないどころか、物理法則をある程度無視できる分、先に行っている部分もあるようだ。


 ……つまりはご都合空間……!!


 時代考証どうなってんだと疑問が浮かぶが、そもそも異世界な時点でそんなことを気にするのは無駄な思考でしかない。それに便利なものは便利なわけで、むしろ中世やら近世やらの衛生観念とか持ち出されるよりありがたい。


 ……野宿は経験あるっすけど、どうせなら清潔で居たいのは日本人の性っすからねぇ。


 制服に着替える前にはシャワー付きの風呂へ案内された上、自室には空調の様な設備(どうやら魔術礼装というらしい)すらあった。 部屋の片隅にあったモニターの様な物がテレビでは無いと信じたいが、後でスイッチ押して映像が流れたら信じざるを得ない。


 ………いや、さすがにテレビは……


 おやそこのお客様、その手に取りだした物は一体……ふむふむ、魔力操作で空中に映像を浮かび上がらせて? 霊脈を通じて遠くの地域と相互に連絡や情報のやり取りができると、ふむふむ、ほうほう、へーーなるほどなるほど。


「情報ネットワークが発達していらっしゃるーーー!!?」


「うお!? どうした急に叫びだして!?」


 いけない、思わず心の叫びが口からまろびでてしまった。


「あーー、何でもないっすよ、こちらご注文のフレイムバードのから揚げとレモンサワーです、ごゆっくりどうぞーっす!」


 何事も無いようにごまかして1つ深呼吸。まさかここまで文明レベルに差が存在していないとは思わなかった、いくら何でもネットワークは駄目でしょう奥さん。


「蜜希ちゃーん、驚愕してるところ悪いけど向こうのテーブルの食器下げてきて頂戴な?」


「あ、はいっす! わかりました!!」


 このことについては後でアージェさんを問い詰めるとして、今は目の前の仕事に集中集中。


「店員さーん、ウォッカのマンドラゴラジュース割と岩蜥蜴のステーキ追加でー!」


 え? あの蜥蜴食えるんすか?



 

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