第3話 決意
……自分はどうしたいのか、っすか。
帰りたいという思いは、間違いなく、有る。
プレイ途中のゲームに、まだ完結していない小説の数々、夏冬の新刊や推し作家の更新。……家族に関しては割と豪気なのであまり心配して居ない。祖母とか気が付くと数ヶ月行方不明になってシレッと戻ってくることが常なので、自分が虫取りで一週間音沙汰無くても家族は無反応だった。
だがしかし、帰りたいと思う心と同じくらい、帰りたくないという思いも有る。
……こっちに来た理由からして、会社ぶっちしてほかの電車に飛び乗ったからっすもんね。
一日無断欠勤したくらいでクビになるほどブラックな職場ではないが、やはり冷静になって来るほど気まずさが増してくるものだ。
何より、不意にそうした行動をする位には、仕事に嫌気が差していたのも確かである。
差して代わり映えのしない日々。個々人で多少の個性はあっても、大部分では同じような人生。
多くの人はそれを当然に過ごしているし、自分も多少の不満こそあれ、それを良しとして今まで生きてきた。
……けど、ここは違う。
今自分が見ている景色は、元の世界では決して出会うことのない、それこそ物語のなかの出来事のような光景。
天まで聳える大樹に、竜が空を征き、人の様な昆虫がいるこの世界。
先の説明の通りなら、向こうに帰るなら記憶を消すことになる。こんな世界のことを向こうで話した所で精神を疑われるだけではあるから、当然のことだろう。
――それでいいのか? こんなに未知に溢れ、胸を躍らせるような世界の記憶を無くしてしまっていいのか?
嫌だ、と意思は拒む。
それを自覚した瞬間、言葉は自然と口を出ていた。
「私は、まだ帰りたくないっす」
「「…………」」
二人の無言を促しとして、自分はさらに言葉を重ねる。
「――見てみたいんです」
会社の事なんて関係ない、自分は、もっとこの世界を見てみたい。
竜を見た時も、ギラファさんに助けられた時も、蜥蜴に襲われた時すらも、自分は思っていた。
――この世界は、なんて心躍ることに溢れているのだろう。
「この目で、この世界をもっと見てみたい、肌で感じて、経験したいんす」
別に、向こうの世界に心躍るものがないとは思っていない。けれど、自分が今遭遇したのは此処なのだ。
これで元の世界に帰ったとして、同じように心躍らせるものに出会えるか? ――否、そんなことはきっとありえない。
だから、もっと知りたい、もっと見たい、もっと感じたい。
この世界を、もっと、何よりも、何処までも、先へ。
「私はまだ帰らないっす。どれだけ猶予があるかは分からないっすけど、それまでは、此処に居させてください!」
思わず椅子から立ち上がり、二人に向けて頭を下げる。
それに対しての返答は、満面の笑みをもって送られた。
「ふふ、ありがとう蜜希ちゃん、貴女の意志でそう言ってくれて、嬉しいわ」
「……ああ、君の選択を歓迎しよう、功刀・蜜希」
二人の言葉に、ほっと撫で下ろした胸の内に感じるのは、僅かな不安と、それを遥かに上回る期待感。
「じゃあ、これは蜜希ちゃんへのプレゼントね」
そう言ってアージェさんが差し出してきたのは、大きめの赤い宝石を用いたネックレスだった。
「ちょっ!? こんな高そうな物受け取れないっすよ!!」
「いいからいいから、ちょっと着けてみてくれるかしら?」
「ええ……分かったっすよ」
半ば押し切られるように渡されたそれを首に掛ける。重いかと思えば、不思議と一切の重量を感じさせなかった。
「よし、聞こえてるわね、蜜希ちゃん?」
「? 聞こえてるっすけど、いったい何が……」
そこで気が付く、今のアージェさんの声には、日本語のほかにもう一つ、聞きなれない言葉が重なって聞こえていたことに。
――まさか、これって
「気が付いたかしら? そう、それはある種の双方向同時翻訳機よ。装備者が会話する際、自動的に双方向の言葉をそれぞれが理解できる言語に変換するわ。――それに、一ヶ月くらいつけとけば加護が馴染んでそれ無しでも通じるようになるから、便利よ?」
「oh……」
とんでもない物をシレッとプレゼントされてしまったが、確かにこの世界で暫く生活していくなら必須のものではあるだろう。
だとしたら、ここで言うべきは無駄な辞退ではなく、素直な感謝の言葉である。
「ありがとうございます、無くしたりしないよう、大切にするっす!」
「大丈夫、それ装備した時点で私の認証がないと外れないから、無くすことはないわよ?」
「呪いのアイテムじゃないっすかそれ――!?」
なんか着けてていいのか一気に不安になったっすよ?
「気にするな、むしろ常に着けていないとふとした時に命取りになりかねんからな」
ギラファさんの言葉に、それもそうかと納得して椅子に腰を下ろして、一息。
「ふふ、それにしても蜜希ちゃんがこっちに残ってくれて良かったわ」
「え? 帰るとなんか不都合あったんすか?」
自分の様な一般人がこちらにいたところで何が出来るとも思わないのだが、アージェさんには思い至ることがあるのだろうか。
「いえ、そうじゃなくて、今の蜜希ちゃんを向こうに返しても、ほぼ確実にまたこっちの世界に落っこちてしまうのよ。」
「………………はい?」
自分、なんかやっちゃったんすか?
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