第38話 エピローグ②
僕は、とりあえず翠を連れて屋上から手近な音楽室に移った。
ピアノ前に椅子を二つ並べて、二人で身体を休める。
春香と戦闘になって、最悪、僕らは二人とも……と想像して、それを覚悟していたけど。ラストは思いもしないことになって、その余韻というか衝撃が、まだ僕らを揺さぶっている。
でも、翠と二人で身を寄せ合って手を握り合っていると、心が落ち着いてくるのを実感できる。嵐の中から抜け出して、風雨の止んだ空の下に二人で佇んでいるという気持ちになれる。
「階下が……騒がしいね」
「そうね」
「身体は、大丈夫?」
「ええ。だいぶ……楽になったわ」
「なら、警官たちに確保されないうちに脱出しないとね」
「それって……」
「うん」
僕は翠に顔を近づけて微笑む。
「君は約束通りに返事を聞きに来てくれた。だから僕も君に答えたい」
「雪也……」
翠の顔に期待と不安が浮かんだ。たぶん、僕の答えが怖いんだと思う。
ナイトメアのパートナーというのは尋常な選択じゃない。日常を捨て、一般社会での生活を捨て、永いセカイに生きる事を選ぶということだ。今、成長してある程度分別がつく年齢になった僕にはわかる。
翠が、子供の僕をパートナーにしないで、十年後に返事を聞きに来ると言った意味も今ならわかる。身も心も重ねるのなら、年頃になってからの方が好ましいということもあるんだろうけど、僕に考える時間をくれたんだってわかる。
翠の顔には、僕に拒絶されたら……という不安が浮かんでいて、すがる様に僕を見つめてくる。
「わかったんだ。僕はずっとずっと独りじゃなかったんだって」
「……」
「僕は、ずっとずっと翠と一緒にいたんだって」
「ええ……。ええ! 私たちはずっと一緒にいたわ!」
「僕にも救える人、救いたい人がいて、僕を救ってくれた人、僕を救ってくれる人がいるんだって」
「雪……也……」
「だから……」
「雪也……」
「僕は、このセカイで二人きりでも構わない。学校に通えなくなって社会から弾かれて、闇に紛れる様にして時を過ごしてゆくのでも……。それでも僕は君の『パートナー』になって、これからもずっとずっと君だけと一緒にいたい」
翠がその僕の返事に息を飲む。放心して、それから顔をしわしわに歪めてぐちゃぐちゃにしながらぼろぼろと涙をこぼし落とし始めて……
「ゆき……やぁ……」
顔に手を当てて泣きじゃくり始める。ぐずぐずと鼻をすすりながら、溜め込んでいた感情が決壊したという様子であぅあぅと嗚咽をこぼし始める。
僕はその翠をそっと抱きしめる。
翠は泣き続ける。
そして僕は翠を抱き続ける。
しばらく二人だけの、翠の泣きじゃくりが響く時間が過ぎ……
やがて翠が泣き止み……
どちらからともなく二人で見つめ合って、微笑みを交わす。
翠の濡れた瞳と顔が、希望に輝いていた。
今、二人で分かり合っているという実感があった。
翠の指に自分の指を絡めてその手を握りしめる。
「一緒になろう。パートナーになろう。伴侶になって、永い時を二人で生きてゆこう」
「ええ……」
翠が、また泣きそうな顔を見せる。
「だから『契約のキス』」
言いながら、翠にさらに顔を近づける。
目の前、眼前に翠の顔がある。少し泥がついてるけど、きめ細やかな肌。黒真珠の瞳。さくらんぼの唇。
「僕は君の『パートナー』になるよ。君の伴侶になって、一緒に永い、日常じゃないセカイを生きるよ」
微笑みを浮かべている翠の瞳が嬉しさで潤む。
翠が唇を噛んだ。綺麗な朱色がリップに広がる。
その翠に、僕はそっと口を近づける。
僕の方から翠と唇を重ねて、甘く切ない、お互いの魂を求め合うキスをした。
そして僕は翠から唇を離してふぅと息をつく。
「これで僕は、君の恋人で夫で男娼で下部だ」
ふふっと笑うと、翠はその濡れた顔で、ええと笑みを返してくれた。
「ならここで一曲。十年前から聞いてみたいって言ってたでしょ」
「時間……あるかしら……」
「ほんの数分」
「なら……」
翠が両手で小さな拍手をしてくれる。
僕は翠の前で一曲、奏で始めた。
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お付き合い、ありがとうございました。
月白由紀人。
学園に閉じ込められて襲われそうになったから味方の女の子と助け合って一緒に脱出を目指します 月白由紀人 @yukito_tukishiro
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