第35話 対決

「雪也。私のモノになりなさい」


 春香の声はしっかりとした意志のこもった、有無を言わせない強さを持っているものだった。


「雪也。私の『パートナー』になりなさい。私はあなたが思っている以上にあなたを必要としているわ」


 春香の目力は物凄い。その声音と視線で僕を動けなくする程だ。


 僕は、言葉を選びながらその春香に答える。


「はっきり言うと……俺は君のことは嫌いじゃない」


「知ってるわ」


「君のしたことは悪だと思うけど、僕はそれを裁断する程の善人でもない。逆に君にも魅力があるとさえ思うくらいだ。でも……」


「でも?」


「君は……翠を殺そうとした。それは……許せない」


 春香の顔が強張った。歯を噛みしめているのが、わかる。春香が拳を握り締める。


「雪也。翠を選ぶの?」


「…………」


「それとももう翠のモノになってしまった?」


「…………」


 この春香もナイトメア。クラスで日常に紛れていた時は、明るく朗らかな笑顔を見せてはいたが……。たぶん、想像もしない生を送ってきたのだろう。


 その春香という少女にどう伝えたらよいのだろう。


 僕は逡巡する。


 と――


「でもいいの」


 春香はふっきれたという顔で、この雲空の下、両腕を広げた。


「翠を殺せば、雪也と翠との『契約』は解除されて雪也は自由になる。じっくりと時間をかけて……私の想いをそのココロに染み込ませてあげる」


 のち、春香が一歩こちらに踏み出した。


 今まで僕の後ろにいた翠が、僕の前に出る。


「雪也。下がって。戦闘になるわ。一般人の貴方には無理」


 僕は、その翠をかばう。


「雪……也……」


 翠の、驚いたという声が耳に聞こえた。


 翠は手負いだ。かつ、ナイトメアとしては春香が格上。翠が五体満足だったときの化学室の戦闘で結果は出ている。翠に勝ち目はない。


「春香。やめてくれ」


「無理な相談ね」


「翠を殺すなら……僕が相手になる」


「雪也が私の相手になるわけないじゃない」


 春香が可笑しいという風にふっと笑った。


 僕はその春香の笑みを無視して続ける。


「翠を殺すのは許さない」


「…………」


「翠を殺すなら、僕を殺した後にして欲しい」


「……残念ね」


 春香は少し寂しいという表情を浮かべた。


「最後にもう一度だけ聞くわ。雪也、わたしに同意してパートナーになりなさい。そうすれば翠は見逃してあげる」


「ことわる」


「なぜ?」


「それは翠の気持ちを踏みにじることだから。翠をこの先ずっと不幸にすることだから」


「そう……」


 春香は、短くつぶやいたのち、続けてくる。


「翠さんは、残念ね……。たぶんまったく理解してもらえないだろうけど、同じナイトメアとしての憐情もあったんだけど……」


 言ってから春香は腕を掲げて手刀を形作る。


 ぐぐっと足を前に踏み出して……跳び込んでくるという態勢。


 僕はほんの僅かな時間に脳内を最大回転させて考える。


 翠を殺されるのは論外。僕が殺されるのも残された翠の気持ちを考えるとアウト。ならば二人で、それが出来たとして何とか春香を殺すのか……とまで思考を進めて逡巡する。


 それが出来ればベストだと思う一方で、春香を殺すまではしたくないという想いがある。


 春香のやってきた事、やったことは紛れもなく悪なんだけど、春香を殺せたとしてそれをするのか? と自問自答して……


 思考が苦しくて辛くて、追い詰められる。頭が焼かれる。でも……今すぐ答えは出さなくちゃならない。


 僕が貫かれた方がましだ――と結論付けた。


 翠と春香には申し訳ないけど、僕が死ねば、二人が争う理由はなくなる。


 心の中で、「翠、ごめん!」と謝った。


 僕の勝手だけど、二人とも生きてくれることを、僕は望む。


 そして――春香が動いた。


 僕も動く。


 僕は、翠をかばって瞬足で飛び込んできた春香の前に出る。僕の望み通りに春香に殺されようとして。


 そして……


 春香の手が僕の直前でピタッと止まり……


 僕ら三人がストップモーションの様に静止する。


 ――と。


「春香さん……」


 声が不意に聞こえて、はっと見やる。


 春香の背後に、どこからいきなり現れたのかアカリさんが立っていて、ズブリと春香の背にそのアカリさんによって何かが差し込まれる。


 ぐぅと、春香が苦痛に顔を歪める。


 ぽたぽたと春香の背から血が地面に落ち始め……


 僕は、春香がアカリさんに刺されたのだと理解した。

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