第30話 想曲①

 私、芳野春香は、悠馬の奉仕を楽しむことが出来なかった。


 いや、楽しむ以前に、気を紛らわせることすらできなかった。


 行為の最中も、雪也が私のものにならない苛立ちを忘れることができなかった。


 悠馬の奉仕が気持よい、気持ち良くない以前の問題だろう。


 この相手が雪也だったらどんなにか……そんな想いばかりが募って……最後は私に奉仕を続ける悠馬を「もういいっ!」と蹴飛ばして、転がっている制服をひっかけてからそのまま応接室を出てきたのだ。





 今まで、自分の思い通りにならないことは、なにもなかった。


 思った通りにならないことがこれほど苛立たしいとは思わなかった。


 廊下を進みながら、足が雪也のいる化学室を目指しているのを理解する。


 雪也に会いたい。雪也の顔を見たい。あの、普通で平凡だけど、私の心をドキドキと熱くする雪也の姿を見たい。


 私は胸を焦がしながら足を進める。





 自分がナイトメアになったのは……江戸時代の町娘の時だった。


 それ以来、この永い生を楽しんできた。


 今まで『パートナー』が欲しいと思ったことなどなく、作るつもりもなかった。


 男とも女とも、自らの正体を隠しながらの騙しの交流を楽しんで、たまにはチャームの能力で自由に操って、あるいはスレイブにして楽しんで、飽きたら捨てる――人間などそれだけのモノだった。





 この港南市に移ってきたのは二年前。


 この学園に入って、今までと同じように好みの生徒の気持ちをもてあそんで、それから身も心も楽しんで捨てる毎日だった。


 それが港南市高校生行方不明事件。


 自分が捕まることはないし、つまらなくなったらこの街を離れるつもりでもあったから。


 でも……あの時、雪也の曲を聞いた時に、私の永い生が変わってしまったのだ。





 雪也が欲しい。欲しい。欲しい。欲しい……





 一度、欲しいと望んでしまうとその気持ちはどんどん強くなっていった。


 こんなにも雪也に夢中になるとは想像もしてなかった。


 あの時から、心の底から雪也の身も心も欲しいという情念に焼かれる様に変わってしまったのだ。


 だから計画を立てて、準備を整えて、雪也を閉じ込めた。


 クローズドサークルで危機を煽って、吊り橋効果で雪也の心を取り込もうと考えたのだ。





 結界を張った時点で想定していたのは、五、六人。


 雪也が放課後の部活でピアノを弾いていて、人数の少なくなった午後七時の学園の第一校舎だと、だいたいそれくらいの人数になる。


 職員室は第一校舎とは別の建物にあり、夜七時になると第一校舎の人の出入りは減るからだ。


 イケメン先輩の悠馬は既にスレイブにしていて、使い捨てにするつもりだった。


 そのスレイブのイケメン先輩を含めた五、六人を学園に閉じ込めて、大まかな流れとしては順に一人一人殺してゆき……雪也と共にその窮地を乗り越えて結ばれる事を想定していたのだ。


 ただ、あの逢瀬翠というナイトメアの行動は想定外だった。


 こんなことならさっさと始末すべきだったと後悔している。





 雪也が欲しい。欲しい。欲しい。欲しい……





 あの時を想い起こす。


 私の心に刻まれた雪也と雪也の曲。


 なんということもない、自分の身に何かが起こると予想も想定もしていなかった放課後の……午後だった。

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