第27話 苛立

 雪也の決意をぶつけられた私、芳野春香だったけど……


 今度は誘惑や脅迫ではなく、説得と懐柔に方向転換してみたんだけど……


 残念ながら成果はなくて、今、化学準備室の応接室ソファに身をあずけていた。


 目の前のテーブルには、使う可能性のあったナイフやダガーなどの神器が散乱しているが、片付ける気力は起きない。


 精神的な困憊が押し寄せてきて、天井を仰いだ。


 人を嬲るのは、私の中にある嗜虐的な部分をくすぐる。


 でも……相手が雪也なのは……自分でも正直どう感じていいのかわからない。


 愛する相手を嬲るこその快感があって、同時に暖かく抱きしめ合いたいのにそれができないという辛苦もあって……


 雪也を責めれば責める程、実際の私は混乱して惑って自分の気持ちがぐちゃぐちゃになってゆく。


 雪也を自分のモノにする為に苛む必要はある。でも実は、悶えている雪也を前にして、自分が責苦に乱れよがっているのが真実だった。


 それだけの思いをしてもなお、未だに雪也は落とせていない。


 雪也は、同意による契約のキスはしないと、気持ちを硬くしている。


 翠の登場がよけいだったと、今になって思う。


 翠を責めれば雪也は屈すると簡単に思ったのが……間違いだったのだ。


 結果、雪也の心は私から離れてしまった。


 苛立たしくて忌々しい。同時に、惨めでもある。


 だが、この程度で雪也を諦めるつもりはない。


 私にとって雪也は、本当に心の底から人生の伴侶にしたい男性で、雪也にも心の底から私を求めて欲しいのだ。


 だから雪也をスレイブにするつもりはないし、雪也を殺めるつもりもない。


 おそらく翠もそれには気付いている。私が雪也を殺せないことをわかっての登場と逃走なのだ。


 アカリが、私の前のテーブルに紅茶を給仕した。


 別に命じてはいない。


 スレイブは命じた通りに動く、逆に言うと命じないと動かない操り人形だが、愛人で意識を縛っていないアカリは自分の自我で動く。そのアカリの判断なのだろう。


「アカリ。神器は片付けておいて。説明した通り、使いやすくまとめて」


 アカリは、湯気を立てているティーカップを、私が手に取りやすい様に回転させる。のち、私に話しかけてきた。


「春香さんには私がいます。『スレイブ』じゃなくて自分の意志で春香さんのものになった私が」


 アカリの言葉に私は苛立った。


「落ち込まないでください。雪也さんも、きっと絶対、春香さんの良さに気付きます」


「黙り……なさいっ!」


 今度は気分をアカリにぶつけた。


「アナタごときに何がわかるの? 人を本気で好きになったこともない人間風情なのにっ!」


「そんなこと……ありません」


 アカリが予想外に反論してきた。


「私は、心の底から好きな人がいます。その人には振り向いてもらえないから……春香さんの気持ちもわかります」


「…………」


 アカリの言葉は私の心にチクリと刺さって、私を逡巡させた。その私に、アカリが問いかけてきた。


「そんなに……雪也さんが……いいんですか?」


「どういう意味?」


 アカリは一瞬躊躇を見せたが、意を決したという様子で言葉にしてきた。


「私じゃ……ダメなんですかっ? 私は身も心も春香さんを想っています。雪也さんの心の中に春香さんはいません。それでも雪也さんが……いいんですかっ?」


「黙りなさいっ! 余計なことをっ!」


 今度は、迷わなかった。心の中に沸き起こった怒りに任せてアカリを平手で打ちのめした。アカリは、私の殴打を受けて手に持っていたトレーごと、床に転がる。


「アカリッ! あなたごときに私の気持ちがわかるわけがないっ! 悠馬、きなさいっ! 私を楽しませてっ!」


 部屋の隅で棒立ちになっていたスレイブの悠馬に命じて、着ていた制服を脱ぎ捨ててベッドに転がる。


 その私の命じた通り、悠馬が私のカラダに絡みついてきた。アカリは、ふらふらと起き上がり、泣きながら応接室から跳び出す。


 私は……アカリが跳び出したドアを一瞥したのち、私を楽しませることを命じた男――の愛撫に、身を任せた。

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