第20話 奪還
春香を拉致した先輩を追って、僕は三階に昇った。
警戒しながら廊下を進み、部屋の一つ一つを慎重に確認する。
先輩一人でならともかく、春香を連れた二人でなら身を潜める場所はそう多くない。
そして化学室を覗いて……いた!
春香の腹にナイフを突きつけて立っている先輩と、その春香と、春香の脇にアカリさん。
なぜアカリさんも一緒にいるのか? アカリさんも先輩に囚われたのか? という疑問はあったけど、黙っていても結論はでないので、すべきことを考える。
この化学室の入り口から春香たちのいる壁際までは少し距離がある。
春香がナイフを突き付けてられている状況が危うい。
僕が跳び込んで二人に届くよりも春香が傷つけられる方が早い、と用意に予想できる距離だ。
春香が刺されるのは絶対なんとしてもさけなくちゃいけない。
だからといって……手をこまねいているわけにもいかない。
僕は思案し……脳裏に浮かんだ春香が刺される場面を振り払って、決意する。
隣の教室から静かに椅子を持ち出してきて、軽く目をつむり精神集中。
心臓がバクバクしてるけど……。手も震えてるけど……。なんとか必死にそれを抑え込む。
意を決して目を開き、そっと扉を開いて中に突入する機会をうかがう。
そして椅子をもう一方の出入り口前に放り投げると――ドガンッとした大きな音がして椅子が転がった。
隙間から中を覗く。
先輩がそちらに目を向け、何が起きた? と反対側の扉を注視するのが見えた。
先輩が春香から離れて数歩、そちらの扉へ足を踏み出したところで、僕はガラッと目の前の戸を開いて跳び込んだ!
先輩の顔がこちらを向く。
驚いて……ナイフを持った手を振り上げて僕に向かってくる前に、僕は先輩の懐に突撃する。
体当たりをして二人して床に転がった。
それから……こんがらがった状態で体力に勝る先輩を勢いでなんとか……と思っていたんだけど、先輩の反撃は予想外に何もなく……
先輩は僕の下でエネルギーの切れたロボットの様に弛緩して……
糸が切れた操り人形の様に、カランとナイフを手から落とした。
◇◇◇◇◇◇
ちょっと予想外の展開で、僕は驚きながらも立ち上がってその先輩を警戒するけど、先輩は倒れたまま動かない。
しばらくじっとした時間が過ぎて、僕はもう大丈夫だと判断した。
正直、突入してからどうするかは決めてなくて、最悪春香が無事なら自分はどうなってもいいという覚悟だったんだけれど。
拍子抜けだったのは良かった。でもちょっと腑に落ちないと思っていると、壁際に立たされていた春香が僕の身体に跳び込んできた。
「雪也君っ!」
春香が僕をぎゅっと抱きしめてきた。
「雪也君っ! 雪也君っ! 雪也君っ! 雪也君っ!」
恐怖から解放された春香は、泣きじゃくりながら僕にしがみついてきた。
僕もその春香を強く抱きしめる。
春香の震える身体を温めてその身体を覆っていた恐怖を溶かしてあげられるように、ように、と。
しばらく……春香は嗚咽を続けていたが、その音がだんだんと静かになってゆき……
やがて僕の胸に埋めていた顔を上げて、濡れた瞳で訴えるように見つめてきた。その視線が僕の中に染み込んでくる。
「こわ……かった……」
「うん」
「すごく……すごく……こわかった」
「うん。でも、もう大丈夫」
「きっと雪也君は助けにきてきれるだろうって……信じて……」
「春香……」
「崩れそうになる自分を……奮い立たせて……」
それからまた春香は泣き始めた。
わんわんと再び僕の胸に顔を埋めて泣きじゃくり……
ひとしきり……泣いたあと……
春香は僕を見上げて、やっとその濡れた顔に初めて微笑を浮かべた。
「雪也君。ありがとう」
「よかった。春香が無事で。本当に……」
僕も僕を見つめてくる春香に合わせるように微笑み返す。
「きっと雪也君が助けてくれるって思って、必死に耐えていたの」
「うん。夜の廊下で約束したから……ね」
「雪也君……」
春香の濡れた瞳がきらめいている。
柔らかな微笑みがズキンと胸に染みる。
「雪也君。こんな時に言うのはなんだけどでもこんな時だから言うけど、私ね……」
「うん」
「雪也君のこと……」
そして春香は一拍置いて、言い放ったのだ。
「ずっと好きだったの」
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