第19話 アカリ

 私、渚アカリは物理室を出て春香さんたちを追いました。


 春香さんたちは二人なので、足の遅い私とそれほど速さに違いはないでしょう。


 思いながら階段を昇って三階に達したところで、化学室に入ってゆく先輩と春香さんの姿を見つけました。


 その化学室まで足を進めて扉の前に立ちます。


 中から悲鳴とか言い争っている声は聞こえません。


 意を決して扉を開きました。


 部屋の壁際に、ナイフを突きつけている先輩と春香さんがいました。


 ですけど、先輩は先ほどの乱暴時とは打って変わって自我を失った様に棒立ちで、その脇に春香さんが壁に背を預けて感情を乱した様子もなく佇んでいました。


 私は、私を一瞥しただけの春香さんの元へと行きました。


 私は春香さんを捕らえて拉致した先輩、今は呆けている様子の先輩の存在は一切欠片も気にしないで、「春香さん」に話しかけました。


「春香……さんっ!」


「アカリさん……。追ってきたの?」


「はい」


「雪也を待っていたのだけど」


 春香さんは物理室で囚われた時とは別人の様。感情を乱している様子もなく、もっと言えばとても冷たい感じで、私には興味がないという抑揚でした。


 私はその春香さんに気持ちを吐露します。


「春香さんは……大丈夫だと思ってました。でも追わないことも出来なくてっ!」


 春香さんが怪訝だという顔を見せました。


「私が大丈夫だと思っていた……と?」


「はい」


「なぜ」


 春香さんは有無を言わせないという調子で尋ねてきました。


 私は、隣で春香さんに形だけはナイフを突きつけている先輩を無視しながら、答えます。


「私が……春香さんのことを『知っている』からです」


「……」


 私の返答に表情を険しくした春香さん。私は、なおも続けます。


「覚えていますか? 泉田先生に絡まれていたのを助けてもらった……一年生です」


「?」


「先生の準備室に呼び出されて……更衣室での私の盗撮動画を見せられて、脅されていました」


 春香さんの、そのいぶかしむ顔に、私は独白します。


「前から声をかけられていたの、困りますと伝えていたんですけど、あの時は着替えの姿をネットに上げると脅されて気が動転してしまって……」


「ああ……。あのときの……」


「多分あのとき春香さんが部屋に入ってきて助けてくれなかったら、私……きっとカラダを……」


 春香さんの顔に納得と安堵の色が浮かびました。


「思い出したわ。そんなことあったわね。日直日誌を届けに行ったとき、襲われそうになっていた後輩がいたわね。確かに……」


「はい……」


 私は感謝と尊敬と愛慕の瞳を注ぐと、春香さんが返してきました。


「あの教師、今までに何人もの生徒に手を出していたから。あの時もまた……とは思ったけど、気にいらない男だったから」


「はい。感謝して……います。ずっと……」


「そう」


 納得したという春香さんに、私は続けます。この想いが伝わりますように、と。


「それから、春香さんのことをずっと見てきました。学校でも、帰り道でも、街中でも例えば夜の公園とかでも……」


 今度は春香さんの顔に警戒が浮かびました。春香さんの目が険しくなって、私を睨みつけます。


「この校舎に一緒に閉じ込められたのも、春香さんの下校を待っていたからです。たまたまじゃありません」


「だから、何?」


「だから私……春香さんの秘密も知ってます!」


 春香さんが驚いたという様子を見せました。そのまま、じっと、じいっと、私を見つめてきます。


 この女が言っている事は事実だろうか? 何を考えているのか? あるいはこの女をどうしようか? という目線です。


「それで?」


「でも、誰にも言ってませんし誰にも言うつもりもありません。それで私の中の春香さんの価値が変わるわけじゃないからです!」


「なるほどね。私がこの街でやってきた事は知ってるのね」


「はい。それでも私、春香さんの為なら……何でもできます!」


「…………」


 春香さんが、じっと私を探る様に視線を注いできます。


「正直に素直にはっきり言います。伝えます。私……」


「私が……何?」


「春香さんのこと、愛してますっ!」


 私は、自分の気持ちを言ってしまいました。


 その私の返答に、春香さんが目を見開きました。


 その後、ややあって……


「あなた、このチャラいナンパ男が気に入っていたんじゃないの?」


 春香さんが返してきました。その春香さんのセリフが少し可笑しかったから、ふふっと笑ってしまいました。


「ぜんぜん……。春香さんと昼も夜も一緒に過ごせるってわかったから、心の中で嬉しくて浮かれていたからそう見えたのかもしれませんね。でも、はっきり言うとその男が生きようが死のうが私にはどうでもいいことです」


 私は、真剣に春香さんを見つめて、気持ちを再度伝えました。


「私の心の中にいるのは、春香さんだけです。私が身と心を捧げるのは、春香さんだけです」


「アカリ……」


 春香さんがつぶやきます。本当に驚いたという様子で。


 私は春香さんと見つめ合いました。


 ナイフを持った男が立ち呆けている部屋で、私と春香さんの二人だけの時間が流れてゆきます。


 流れてゆきます。

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