第6話 結界②

「私も、そのナイトメアだから」


「……え?」


「だから。私もその吸血鬼の様な異能力者のナイトメアだから」


「……??」


「この結界を張ったのは私じゃないけど、私もそのナイトメアの一人」


 翠の言っていることがわからない。いや、わかるんだけど、理解できない。


 翠が……吸血鬼?


 異能力者?


 つまり……ナイトメア?


 翠の見た目は、普通の女子高生と変わりない。そりゃあ、気の強そうな別格の美少女ではあるけれど……。でも、一般の人間にしか見えない。それが、実は……というのはにわかには理解できない。


「納得してくれない?」


「だって……。そんな、翠が、そのナイトメア……だなんて……」


「だったらなぜ、私は十年前の出逢いの時の見た目で、今現在の雪也の前に現れたのかしら?」


「そ、それは……」


 確かにそこはずっと引っかかっている所。簡単には説明できない。僕の記憶違い、あるいは翠は実は二十七歳の大人……だという説明もできるが……。ちょっと苦しい。


「厳密に言うと、年は取っているんだけど外見はかわらないの。ナイトメアだから。私も見た目通りの年齢ではないということ」


「そん……な……」


 まだ納得はできない。翠は僕を揶揄っているのだろうか。あるいは嘘をついている……とは思えないけれど。


「翠って、本当にその……ナイトメア……とかいうものなの?」


「信じないのね」


「確かに……翠が十年前と同じ姿で僕の前に現れたのは事実なんだけど……」


 すると、翠がごく自然な動きで腕を前に伸ばして、手の平を僕に向けた。


 そこから眩い光が広がる。


 とっさに顔を手で覆った僕の耳に翠の声が届く。


「大丈夫。目を開いて」


 こわごわと腕をどけて目を開くと……何も変わってない。


「い、今の……は……」


「雪也を小さな結界に閉じ込めたわ。出られる?」


 驚いて周囲を確認してみると、確かに空気の壁に包まれていて動きがとれない。


「え? え?」


「雪也は今私が作った結界に閉じ込められているわ。そしてさらに、雪也と私はどこかにいるナイトメアが張った結界に閉じ込められて校舎を出られない」


「…………」


 信じるほかなかった。


 確かに僕は周囲を覆われてここを出られない。それは事実だ。そして翠の動きから、その状況を作り出したのが翠だと確信できる。つまり……翠は確かに『結界』で僕を閉じ込めたということだ。さすがにこれは、認めざるを得ない。


 翠が、しゅっと手を横薙ぎに払う。


 同時に、周囲が一瞬ブレてからその視界が回復する。


「結界を解いたわ。出られるはずよ」


 僕は一歩踏み出す。確かに壁はもうなかった。そのまま三歩進んで翠の眼前に達する。


 翠を見つめる。『ナイトメア』の翠を。


 その瞳にはいつも通りの意志が宿っていたけど、表情は柔らかく僕を包んでくれるようだった。


「私は雪也の味方よ。いつだってどんな時だって。例えセカイが敵になろうとも。だって私は雪也を生涯でたった一人の『パートナー』にして一緒に生きてゆきたいのだから」


 そう言って翠は優しく柔らかくその瞳で僕を包んでくれる。


「私が雪也を閉じ込めたのは小さなものだけど、この学園に張られた『結界』はそれの大規模なもの。私よりも格上で強力なナイトメアがいるという証」


「そう……なんだ……。あまり脅かさないで欲しいけど……」


「そしてそのナイトメアはおそらく十中八九、校内にいる。離れた場所からでは結界は張れないから」


 その翠の言葉に僕はドキリと震える。でも翠の自信に満ちた顔が僕の怖気を癒してくれる。


 本来なら、その校内にいるというナイトメアと、自分もナイトメアだと言った翠を怖がらなくちゃいけないんだろうけど、不思議とそれほどの恐怖は感じなかった。


 怖さが全くないというわけじゃない。でも翠は十年前の『あの出逢い』の少女。僕の心の奥底に十年間ずっと住み着いている女の子。


 だからかもしれない。本当なら怯えて震えなくちゃいけない相手なんだけど、そこまでの恐怖は沸き起こってこなかった。


「残念なことに……私では力足らずでこの結界は解けない。だから結界を張ったナイトメアがその結界を解くか、そのナイトメアが死なないと出られない。だから例えばそのナイトメアを見つけて説得するとか……そこは私と雪也が一緒になんとかしないといけないところ」


「それは……すごく大変だって思えるけど」


「一緒にこの窮地を乗り越えましょう。将来の『パートナー』として」


「そう……だね……」


 答えた僕は、翠と見つめ合う。


 確かに僕らが置かれた状況は尋常じゃない。でも翠と一緒なら、なんとかなると思えてくる。


 そういった頼りがいというか心強さが、翠にはある。


 もちろんナイトメアという正体不明の異能力者に対する不気味さが全くないわけじゃないんだけど、ある種のオーラというか、この人がいれば大丈夫だという安心感みたいなものは確実にある。


「行きましょう。まずは移動できる範囲の確認から。この時間帯だけど、校舎内にはまだ誰か残っているかもしれないし」


「それが……その敵みたいなナイトメアが……悪いナイトメアじゃないといいんだけど、ね」


「軽口を叩けるなら、まだまだ私のサポートは必要じゃないわね」


 そんな会話をしてから、僕らは校内の探索、探検に出かけた。



 ◇◇◇◇◇◇



 そして……


 とりあえずの探索が終わった。


 結論から言うと、結界で閉じ込められたのは第一校舎全体。僕たちは、音楽室や図書室や化学室があるこの四階建ての校舎からは出られなかった。


 さらにこの校舎内で、僕らは僕らを含めて合計六人の教師生徒と出会った。


 みな自分の置かれた状況、校舎から出られないという事態に困惑していて、その中には不安から泣きじゃくっている女の子もいた。


 僕らはお互いに声を掛け合って勇気づけ合って、学園内の探索を終えてから冷蔵庫や食材や調理器具のある家庭科室に落ち着いた。


 家庭科室でお茶を沸かして皆一息つく。一同に安堵というか、安心が広がって、笑みをこぼす者も出てくる。





 この時はなんとかなると漠然と楽観的に考えていた。


「敵?」であるナイトメアのことも棚の上に置いておくというか、あまり深刻に考えないで。


 甘かったと言えばそれまでなんだけど、僕らは普通の高校生だったから。


 互いの事を良く知らずに、全くわかってないという事すらわからない子供だったから。


 みんなただの学園生だと錯覚していたから。





 後から思い返すと、僕の人生の冒険はここから始まることになったんだってわかる。


 種はずっと昔に蒔かれていた。それが芽吹いたのは彼女が僕の前に現れた時点で、僕はそこから前に進むことになったんだってこと。


 その未来が明るいものになったか暗いものになったかは難しいんだけど、僕自身は全力で立ち向かった結果だから納得しているし満たされてもいる。


 その僕と彼女の出発地点が……ここだったんだ。

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