第4話 音楽室

 そんなこんなで。


 僕らはアットホームな雰囲気の中、昼休みも一緒に食堂で日替わりランチをとって……


 一日も経たずにクラスで仲良く会話する仲になれたんだけど……


 それも春香の人柄というか、気に入った相手に対しては誰であれ物怖じせずに話しかける性格が功を奏したと言えるんじゃなかって思えて、その日はいつも以上に春香に感謝。


 そしてさらに翌日になり……


「じゃあ俺は部活があるから」


「私は図書委員。今度の休日には一緒にラテ、だからね!」


「私は……雪也のピアノの邪魔をするのも何だから、校内の散策でもするわ」


「練習不足でいいなら……ご清聴してもらってもいいんだけど」


「ごめんなさい。気が変わって。雪也が私のパートナーになった暁のご褒美にとっておくことにしたの」


 そんな会話を三人でして、放課後の教室で別れた。


 僕は教室のある二階から音楽室のある四階にまで昇り、室内に入る。


 がらんとした部屋の真ん中にグランドピアノがあって、他には何もない。誰もいない。


 このピアノ部は現在僕一人。もともとサッカー部やゲーム部の様な人気部活でもなく、たまたま僕が入学した年に僕が入らなかったら廃部にされていた部活だ。


 ピアノの屋根を開け、蓋を開いてピアノ椅子に真っ直ぐ座る。


 譜面は開かないし今はいらない。


 椅子の位置を調整してから鍵盤を幾つか鳴らして音を確認。


 そしておもむろに……パッヘルベルのカノンを弾き始める。


 速度指定がないからいろんな弾かれ方をされているけど、僕はゆっくりと流れるように弾くのが好きで、テクニックの練習にも最適。


 個人的にはアップテンポでパッショナブルな曲より、落ち着いたメロディアスな音が好みで得意にもしている。


 多分、僕が普段から感情の昂りを外に表現しないで内に込めて解消してしまう性格なのが影響しているのだと思う。


 その為、コンテストの課題曲が合わない場合には苦労することになる。


 だからそのハンデの分、自由曲で加点するのが僕のスタイルにもなっているのだが。


 鍵盤を鳴らしながら、色々な事に想いを馳せる。


 思えば昔からずっと家でも外でも独りだったから、けっきょく社交的な学生にはなれなかったけど……


 二年生になった時に春香が声をかけてくれて、親友になってくれたからその寂しさから少しは逃れられているんだって思える。


 さらに、転校してきた少女、翠も仲良くなってくれて……


 でも翠はどうなんだろう、とその顔が浮かんだ。


 十年前に出逢った時は二人とも本当に孤独で、だからこそ心を交わすことができた。


 確かにあのとき僕は、独りじゃないんだって実感できた。


 その実感は嘘じゃなくて間違いなくて絶対に本物で。


 その翠があの時の約束通りに返事を聞きに来ている。


 答えなくちゃならない。


 あれだけはっきり言うんだから、翠はきっとずっと僕の返事を待っていたんだって思えるから。


 でも……。昔はまだ社会的な経験なんか全くない小学生だったけど、今の僕は一般の学生になっていて、翠とパートナーとやらになるのはどうなんだろうと惑ってしまう。


 パートナー。恋人……彼氏彼女の関係という意味だろうか?


 何にしても、僕にとっては大事には違いない。


 だから今すぐ返事ができない僕は、昔の事はよく覚えていないとぼかした答えを返しているのだ。


 翠にどう答えればよいのか。考えれば考える程、うーんと唸ってしまうので、ピアノの音に身をゆだねる。


 やがて僕の思考は……心地よいメロディの中に溶けていった。



 ◇◇◇◇◇◇



 僕は、指の向くままに引き続ける。途中からカノンがメヌエットに変わっているが気にしない。気にしないで心の向くまま気の向くままに引き続ける。


 気付くと、壁掛け時計は夜の七時を回っていた。新春のこの季節。昼は長いけど、この時間だともう日は沈んでいて外は暗い。ほとんどの生徒も帰宅している時間帯だ。


 ひとつ大きく伸びをする。筋肉がほぐれて心地いい。


 ピアノの屋根と蓋を閉めて、横に置いていた鞄を持って音楽室の電源を落とす。


 横滑りのドアを開いて廊下に出ると――


「お疲れ様」


 壁に背を預けた姿勢のまま、優しい面持ちで労いの言葉をかけてくれた生徒がいた。


 逢瀬翠――だった。


「お疲れ様」


「え?」


 僕はその翠の予想外の登場に驚く。


「もう……下校時刻はとうに過ぎてるのに……というか、どうして?」


「雪也と一緒に帰ろうと思って。いや?」


「いやじゃないけど。全然いやじゃないんだけど……。ちょっと驚いてるというか……」


「私は貴方の『返事』を聞きに来たと言ったでしょ」


「それは……確かに大昔そんな話をした記憶はあるんだけど……」


「私はその大昔の話は本気で命がけでしたんだけど」


「うん。僕も、いい加減で適当だった印象は残ってない……んだけど……」


「けど?」


「なんというか十年ぶりで……。僕にとっては突然すぎるというか……」


「私は確かに確実に『十年たったら』迎えに行くと言ったはずよ」


「それは……薄っすらとした記憶としては……」


「いいわ。とりあえず歩きながら話しましょ」


 翠は言うと、壁から身を起こして真っ直ぐに立つ。


 二人連れだって、音楽室を後にした。

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