第3話 家電屋さんにて その3

私は悩んでいた。


今住んでいる場所は築年数20年の一人暮らし向けの1DKのアパートで、自分一人でも問題なく管理出来る広さである。


そりゃロボットが全部やってくれたら楽だけど、ロボット自体が場所を取り稼働以外は狭い部屋がますます狭くなるだけだ。


お茶を入れるにしても型落ちの専門機で十分だし、自分で試行錯誤して入れるのも楽しみの一つという面もある。


それに自分の舌にぴたりと合った自分だけの美味しいお店は、なるべく自分で見つけたい。


便利なものはたくさんあるけれどいまひとつ決定打に欠けるのは、今の生活に上手く馴染んでくれないからだろうな。


今の私は何が欲しいんだろう。


元の世界は可もなく不可もない日常が流れていた。


賃金は贅沢しなければ貧乏しないくらいの額で。


仕事内容はやりたかったことではなかったためモチベーションは低かったが、人々は皆無関心で面倒な人間関係もなく、通勤時間も許容範囲内で我慢ならないほど劣悪なブラック企業……ではなかった。


違う世界に来て文化の違いに戸惑いはしたが、慣れとは怖いもので3年経った今では多少の失敗はあるけれど概ね受け入れて不自由なく暮らしている。


今の世界の職場も元居た世界の環境と似たようなもので、結局私は場所こそ変わったが幸か不幸か異世界でも可もなく不可もない生活を続けていた。


このままでいいのかな、という元の世界と同じ小さな危機感だけが降り積もる、そんな日々。


これといってやりたいこともなくただただ生活費を稼ぐためだけに働く日々は、心が少しずつ固くなって冷えていくのが分かって。


楽しかったと信じていた娯楽も趣味も手につかなくなって。


私は何がしたかったんだっけ。


ここ数週間、そんなことを考える時間が増えていった。


大それたをしたいわけじゃない。


平和に生きたい。


でも今と同じではいられない日がきっと来る。


その日のために今の自分から変わりたいけどどう変わればいいのか分からない。




分からないなら。


自分を見つめ直すことからしてみれば。


やりたいことを探すことから始めれば。


こちらの世界にもあるインターネットの検索エンジンはどれもそんなことを言っていた。


後悔しないように生きた方がいいよ。


楽しかったことを思い出して。


一人二人ではない人々が揃って同じようなことを言っているということは、私の悩みは私だけが悩んでいるわけではなく、割とありふれた、みんなが通ってきた悩みなんだろう。


何にも思いつかないならば紙でも電子でもとにかく書き出すといいよ。


自分を客観的に見ることが出来るよ。


「書き出す」、か。


数あるアドバイスの中で妙に印象に残っていたのがその言葉だった。




さて。


今、私の目の前には手帳がある。


なんとなく気になって目が離せない手帳が。


価格は元の世界の通貨に直すと割引クーポンを使って2万円ほど。


決して安くはないけれど、失敗しても回復可能な額だ。


……買っちゃおうか。


久しぶりに関心が向いた、貴重なものなのだから。

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異世界もぐもぐ回顧録 まんまる丸 @manmaru_hishou

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